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テーマ:小学生ママの日記(28655)
カテゴリ:勉強!
このゲリラ雨のお陰で、鴨川は濁流が轟々と流れ、自転車通学のうちの大学生たちも毎日出かけるのに困っています。今までの梅雨装備ではだめですね。 大ママちゃんは登山用のレインコートとズボンをはいて朝歩いたけれど、ぐっしょりだった、ていうので 「大ママ、ずぶぬれよりも、こんなに雨が降って地盤が緩んでいるときに、山に行ったりしないでよ、道が崩れたり危ないでしょう?」 雨は侮れません。 さて、今日はWの方の参観と懇談がありました。ところがお母さんたち、ちっとも来られず、参観の時間もたったの4人だけで、さらに懇談になれば、私帰るし~~てみんな帰っちゃいそうになるんです。 ええ、毎年この時期の懇談は人権問題についての学習が入っているので、6年生のお母さん方にもなれば、すっかりそのことをご存知で、わざわざもう良いか~~、となって積極的には学校の方にはおいでにならないのですね。 え?私一人? そんな、あんまりにも先生かわいそうです。 こんな懇談初めてです。小さな子どもの椅子をちまっと寄せ合ってさっき見せていただいた社会の時間のことから話しました。 江戸時代に日本全体の人口があまり増えなかったのに、士農工商の枠にも入ることがなかった人々の村の人口は後期ぐぐっと増えていきました。 「どうして増えたんでしょうね?」という質問を生徒たちに投げかけられておられた先生。 ということで、今子どもたちが学習していることについて教科書を見せてもらったり子どもたちが目にするであろう参考資料を見せていただきながら、教えていただきました。 本来こういう内容を懇談で喋ったら、えらく堅苦しくなったりするものだけれど、4人でやっていると、疑問に思ったことも自然に語ることができるし、一緒に考えることができるしで、とてもよい時間になりました。 ね、その「河原者」と言われていた人たちの住んでいたところって、今の河原町?やんね~ いま鴨川を調べてみるとやっぱりそうでした。 当時の人々は死を忌み、自然に手を出すこと(今でいう河川工事や建築)を非常に恐れていたそうです。それでも町で生きていくには不可避な事なので、そういうことを河原者たちにさせていたのです。 これは宗教観や死生観がこういう人々の存在を作り出した一つの理由かもしれないと思いました。ヨーロッパではキリスト教が非常に大きな力を持っていたので、死は教会が扱ってくれるところで、むしろ教会という建物の地下が大勢の方々のお墓になっていることも少なくないです。 歴史は実に面白いです。人は実に面白いです。 つづく
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