50過ぎても波乱万丈??
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月に二回往診に来てくれるお医者さんがイル最近の母の様子私にだって解るお腹のデキモノが急速に育っている浮腫みも出てきた医者が言う浮腫みについて今の母の状態について蛋白質が如何こうだとそして長くない状態だと今年を越せないと私それってどの位何時もどうりの信じ切れない解りたくない時の質問知っているの解っているのけどお母ちゃんが居なくなるって私どうなんだろう訳わかんない居なくなるなんて覚悟なんてできる訳ないあといくらも時間が無いなんて信じられないし私耐えられない何時も聞いてる呼吸聞けなくなるなんてイヤダ・・・・・・・・・・・・イヤダイやなの
2012.09.07
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親友が脳大動脈瘤と診断された健康で何時もバイタリティー溢れてた彼女何年か前多少手相を見る私親しい人は見ないと決めていたのに見てと強引〔60過ぎに大病するから気をつけて〕殆ど病気と関係なく暮らしていけど私の言った事〔心シテタサ・だから今回普通じゃ無いと思って病院に行ったの信じて良かった〕私。迂闊予後の事見なかったけど友よ生きて貴女が言っていた何の縛りも無く生活でき始めたら〔私の故郷に二人で行こう〕実現させよう・・・・難しい場所に塊り出来ているという。けど堪えて手術にどんな容じでも良いよ生還してくれれば行こうねアンタんの故郷に・・・・頑張れイズミ・・・・・・・フレーフレーダヨイイねマッテルヨ・・・・・・・・・・・・・・・・
2012.08.15
お母ちゃん今日言われたよ何時急変するか予断を許さない状態だって血圧が下がったら下血続いたら・・・・痩せたよね確かに一ヶ月位前にお腹に硬い物見つかってそれがずんずん大きく成って・・・・〔年齢的に、考えてそんなには、早く進む事は無い〕ってお医者様言っていたのにお母ちゃん私・嫌だょ置いてかないで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012.08.03
母さん。両足を、無くしても此処まで・頑張って来てくれたのにこんどは大腸癌別れの時なの?迫って居るの?逝なくなるの?叫びたい・・・・・痰ガラミ。音の凄い呼吸嫌だぁーーーーーーーーイヤダァーーーーーーーーーーー母さん迫ってるよね別れの時イヤダーーーーーー
2012.07.22
寝たきりの母飲んで帰った私只今を言うムサイ顔ゴメン飲んで来たのでも母さん今日は。ちゃんと帰ったょ母の顔。笑顔心配かけ続けたから認識も会話も意思の疎通も無い状態の母のはずなのに母さん。安心したの?頷く様に笑ったね私ね最近思う両足無くなっても生きている母さん見て自分の為じゃないって私の為なんだって心配かけなくなったら居なくなってしまう・・・そんな風に思うだから少しホンの少しだけだょ・・・心配かけ続けるよ・・・居たいから物言わぬ母さんでも居てくれるだけそれだけで良いの心配かけ続けて悩ませて就いてないとと思ってもらえ続けて悩んでもらって私を見ながら生きててほしいもう少しもう少し其の日迄私宣言ます親不幸で居ます宣言ですイイよね・・・・
2011.11.11
熱が出た風邪ぎみで咳きが酷い・・・罹りつけの医者のもとへ・・薬。注射。三日分深夜身体汗だらけ頭ブォ-救急車頼み救急病院へ・・・血液検査・ct検査結果・肺炎処置を受けて来てくれた息子とともに帰宅二ヵ月後また熱発日曜日なのでまた救急病院へそこで驚き・・・五月の時罹りつけの医院へ悪性リンパ腫の疑い有りと診断紹介回したの聞きませんでしたか?・・・聞いてません・・・有るんだこんな事取りあえず私翌日の診察予約もちろん腫瘍内科ペット検査に始まり沢山の検査結果悪性リンパ腫疑い濃厚聞いた時冷静21年前息子が小学6年生同じ様な病気ウロタエタ。小さい子置いて逝かれないもの何とか沈静再発覚悟はしていたけれど21年後の今になるとは・・・今・気になる事6匹の犬が一番次が寝たきりの母の事自分の事って意外と気に為らない生きれても・生きれなくとも為るようにしか為らない・・・こんな風に受け止めている母さんは最後までがんばるよけれど力尽きたらゴメン貴方はもう大丈夫でしょ・・・・
2011.08.04
母の臭いが変わったので有る何日か前からイロンナ臭いがする体が発するサマザマな臭い良い臭いではないもしかして・・・・の?とかもしかして・・・・の?とか今までとは明らかに違う昔、私の祖父が亡くなった時小母が言ったそう云えば臭い違った、とどんな臭いかは聞いてないけれど多分何時もと違う臭いしたんだろうな。こんなに健康なのにどうなんだろう変わった臭いは遠くに逝ってしまう・・・その合図の臭いなの?耐えられない・・・耐えられない・・・そんなのもう何処も悪くないのに何で連れて行くの・・・・・・ただの体臭望む・・・・いやだ・・・・・・
2011.06.27
別れた亭主の七回忌なのである居なくなって、丸六年早い、暮らしていた頃よりはスローかなとにかく、日々平穏とは無縁天国の様に穏やかな日急転直下即地獄真ん中無し自分の役割何もかも関係無くなるし家の中のリズム狂いっぱなし・・・大人同士は良いその時々でどちらかが原因での諍いなんだからけど亭主としての責任と義務父親としての重い役割と責任そして義務忘れないでって願ったな・・・何時も投げっぱなしになるのそれをしながらの大人同士の話し合いをしていく事で家族・夫婦の形になっていくし守り・築く・家庭作り願い続けたけれど元亭主には届かなかった今頃二人で孫を囲んで穏やかに暮らせて居たはず・・・・・なのにかも・・・t
2011.06.11
一週日くらえ前からだるくて何となくの微熱疲れたのかな・・・そんな程度きたので有る熱が出た9度8分意識明瞭・体思うように為らないこのままでは行けない取り合えず病院医者に架かって居たのに・・・救急車依頼何時もの様に外で待つ音が聞こえた手を振り乗せて貰う本人です熱が有りますフラフラします症状説明検査色々身内の方の連絡先沢山聞かれ少し大変左の肺に多少の曇り診られます点滴シマシタシ薬処方します良くならなかったら再診受けて下さい・・・何時間も待っていてくれた御免・・息子は完全寝不足送られた私目覚めは五時半フラフラはするし頭はボーけれど何時もの様に犬にご飯寝たきりの母さんに係わるいろんなこと自分が過ごすエリア。結構広いの掃除終えてヤット朝仕事終わり毎日来てくれる仕事仲間に家に事やってくれる人来ているのに何やって居るのコンナくらい任せたらって叱られたけど日々の私のリズムだしどんなに酷くても母さんとの約束なの綺麗な所で死にたいって頭に刻まれていて他人に任せられないもう日々のリズムけど私うーんと酷いけどだぶん続くんだと思う今日だって今八度四分有るからね・・・昨日よりは良いソンナモノかもリズムコナセテルカライイ
2011.05.12
地震怖かった・・・電気も無く真っ暗家で寝れない・・・母さんご免貴女連れていけない暗い家に母置いて私。犬と役場の駐車場明かり有る少しホッ寝た・・・朝まで次の日も夜になると役場物言わぬ母。少し緊張状態けど。私言った母さんご免私。貴女ほどまだ生きてないせめて納得するまでは・生きたいのってまだ少しだけど見届けたいこと私には有るから・・・・ごめん
2011.03.23
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一寸前何かしないといけない・・・・・と思って此処に居るのに一寸の間なのに忘れちゃったこれって・ヤバイ私・少し壊れてきた?・・・・の少し間を置いて考える思い出すけどやっぱり私少し壊れてるかも繋がらない時ある・・・・・イヨイヨ・なのかも見ているだけに恐ろしい壊れること・・・・・・
2011.02.25
逢いたくて叫んでみたお父ちゃん・貴方に逢いたいお父ちゃ~ん・おとうち~ゃんって逢いたい。うんと・逢いたい叫んでも呼びかけても声も姿も聞こえないし見えないでも居るんでしょうこの家に教えてよこれからの私どうすればイイのかを少し疲れた母さんの事・有るからこれって正解だったのかな?判らないの私お父ちゃん・・・・・この気持ち助けて・・・・逢いたい・うんと逢いたい・・・・
2011.02.05
動脈硬化庄 二年前、母は同じ症状で右足を失った今回二週間前残った左足に赤い発点ミルミルそれが広がって紫に変わるかかりつけで往診してくれている医者に相談血管外科診察オオモトの血管血流無し切断薦めます私の母明日手術ですもう母の足無くなる命有るから命助かるから決断も医師に願ったのも私だけど 足の無い母を見る自信有るのかな私複雑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011.01.30
去年、子犬が産まれたので有る四匹その中に小さくて母犬からも乳を貰えず小さいまま・・・発育最悪その子を一時間置きに注射器で授乳。ブドウ糖補給細いけど何とか、体重も増え元気あれから一年体調不良検査、結果腎臓先天性腎形成不全・・・右の腎臓、豆粒左の腎臓、機能せず・・・今日まで生きた事不思議母犬が育児放棄私が必死で手をかけたそれに答えて生きてくれた・・・そうとしか思えないほどの状態人間なら移植・・・犬には其れがない本人は生きたいのに内臓奇形私憎らしい
2010.10.27
母(82才)の頑張りが、すごいので有る。去年、右足切断、その前には、右足ミイラ化、腐敗、結構壮絶、結構な緊迫状態での手術その後も肺炎。謎の熱発・・ダメ?もうダメ?それの繰り返し・・・・・その母が今、妙に状態安定元気なので有る。言葉、発せず殆ど意思表示など無い、あんなに毅然としていた母気位が高く上品で周りからだって一目も二目も置かれてた母こんな状態で何で生きてる?不思議だった・・・・けど最近私思う私の為だって私を生かす為母さん生きてる・・・母に聞いてみた(お母ちゃん、あたしの為に生きて呉れてるの)母さん妙に笑顔生かされてるのって私なのかも
2010.09.25
子犬が産まれた息子が、〔飼っていた子達の子孫欲しいヨナ〕と言った事から始まった今までその子。その子で終わり子孫残そうとは思わなかった代々残して私が面倒見れなく成ったら・・・残せない今産まれた子犬達に歴代の子達の名前を付けたなんか嬉しい呼んでみるまだ本人達は馴染まない様子・・・ペーちゃんはパトラはカズはチョモは・・・・・・・・・・私皆覚えてる私生きてる限りあの子達覚えてる生きていたのね・・・・・・・あの子達を知っている人の記憶の中で・・・・・・・・・・それって人も・・・有りダョネエ記憶にしっかり残してモラオ・・たった一人の孫にそうすれば私後最低ウン十年は生きられる孫の記憶の中で・・・継ぐと言う事多分これダネ良いバァバァでイョウ記憶の中で生きていられる様
2009.12.14
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オネェが自分で見るから と 言っただから今が有る一昨日末弟が言ったので有る父が倒れ一年一寸位で母も倒れた父が倒れたとき身体が弱いとなっていた母が心配で手助けのつもりで父の介護を引き受けた母まで直ぐに続くとは思わずに行きがかりじょう二人続いた父は亡くなり残った母まだ自覚が有った頃両親は自宅に居たい施設は嫌だ清潔な処で最後迎えたい此の侭が良いと言って望んでた認知症有り格好、介護は梃子摺る状態あの時私 母さんは出来ないと言えば良かったのかな今になってオネェが見ると言ったから可笑しくない可笑しくないかアンタこの親見れたのか何したの自分の事自分達の事優先この親にどれだけの事して貰ったそしてそうしていれるのナンデカ私 手上げたからなんでしょ気付けよ少しは挙手で無いこと
2009.11.28
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動脈硬化症3月に・そう診断された手術困難後は家でのホスピスケアだと・・・悪化へと進む母の足痛み堪える母眼にして終末なのだと思いながらも懸命に処置をする私達その母の状態悪化病院へと救急搬送。・・・これ以上の治療は出来ないと言った病院へ入院医者が言う何で此処までと3月は何で入院したのですか?と今は足を切断する以外助かる道は無いと・・・耳を疑った何?って切ることも何も出来る事は無い・・・それで退院させられてタダタダ死を待つだけの作業を親子で堪えながら母子口に出さず日々繰り返して来たのに・・・昨日私達の母は右足を失いました地面踏みしめ踏ん張って私達を育て・・・大好きなゴルフだって非力ながらの自己ペースの独特のホームで人に惹けをとる事無い上手と云われる位置に居たその右足が無くなった本日確認涙溢れて止まらなかった3月からの堪えてきた時間と結果こうなら何でもっと早くに・・・こんなに大きく失う事無かったんじゃないの・・・見立ての悪い医者年寄り後回しの考え方をする医者親身にならない奴許せない母さんの右足かえせってーの母さんの痛みに堪えた時間かえせってーの誰にブツケテ良いのか判らない怒り私の中で渦巻いている
2009.07.25
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最近 私弱気なので有る朝は良いの日中も良いの怖いのは夕方から夜母親の息使い。熱。表情の何もかも私オドオド行ったりきたり母の口元に耳を傾け息 確認常に動かす手を凝視疲れた・・・・ホントに・・・誰でもいいのこの状態分けあってくれる相手居てくれたら私多分今より少しは眠れて朝頭痺れたりリンパ腫れたりしないと思う左手の関節上部に本日リンパ堅いの発見・・・・結構ショック爆弾でなければ良いけど・・・母よりモテバ良い・・・約束だから是で終わりという気はあんまりシテナイのだけれど兎に角今は母の後からだけ・・・
2009.07.14
足、悪化日々重篤へ向かう母なので有るこれ以上病院で出来る治療は無し血液が通わず変色している母の足家でやるべき処置の方法をたった一度教わり退院何と無慈悲痛みも凄いと思う包帯を毎日解くたび昨日よりも進んでいる状態そんな母が陽のあたる方向を見て幸せそうに笑みを浮かべる時が有る日に何度か一番最初は私の言葉へ反応したのかと・・二度目陽を見ている母の眼が何かを追うようにズート動くので有るそしてウットリ・・・私にはそう見えたそして想わず[母さん、父さんが見えているの?]今の母にもし父さんが見え語り掛けて呉れているならそれで良い苦しい中父さんを見て母さん逝けるなら母さん逢いたかった父さんに逢えて良かったね大好きだったものね父さんの事父さんの元へ逝く日まで私が側に居るからねうんと寂しくなるけど約束どうり送るよ私
2009.03.30
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父の時もそうだった介護は充分のはずだった外に見えない内からの予想外の事に負けたそれが今母にも起こっているので有る先日ディサービスから戻った母の右手に酷ブツケタ様な痣発見スグサマディに痣、抗議そして今日の朝同じ側の足の部分に痣発見小さな小さな痣今日はディの日迎えに来た人に足だけジァ無かった旨伝え母を送り出した夕方帰宅した母着替えさせようと靴を脱がせたとき右足の冷たに驚きよく見ると小さかった痣が広がって紫に・・・スグサマ医者へ診察した医者足の脈が取れない・・・・・・・・・・・・大きな病院へいろいろ検査結果動脈が石灰化し血流が最悪・・・・・・・・・・冷たくなってる足壊疽起こすかも手術困難命落とすかも信じらんないそれ以外元気なのに第一母さんの足腐ってしまうなんて紫になってる打ち身のような痣そんなのが母さんの命左右するなんて信じられないそれよりももつと早く私気付けばこんな事に成らなかったいつもいっつも私遅いこれ満点の介護なんていえない酒飲んでも今日からどうにも眠れないょ詫びようが無い親に
2009.03.03
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大忙しなので有る 頼まれてる訳じぁ無いけど・・・ こんなに 動いた処で、感謝なんてサレナイの 重々知ってる 昔も有った こんな事 こ奴の親父の時・・・ 何とか成りたい 偉く、ダヨォゥー・・・・ 望む 亭主 そん時 私ガンバッタサァー 偉くさせたくて 結果 成れたんだよね そん時は けど まっ良いか・・・ あれは こ奴の 親父の 時だったから 今。 こ奴 即ち私の 息子 選挙 なので有る 今・一応議員 やりたい事いっぱい有るみたい ならば 送らないとね 実行出来る場に・・・ 私。必死 息子 案外 マイペース どうなんだろ 米搗きバッタみたいに 動き回ってる 私 何時もの イメージ無いし 変な意味の 見直され方までされてる 何なの 舐められてるジャ そんな 想いも・・・・・ けど 此処で 終わりじゃダメなんだよ・・・ かぁぁぁぁぁー 私 同じ思いで動いてる 多分 今度も 結果どうあれ 感謝は 無いな・・・ だって 殆ど 私自身の 趣味 かも 男 偉くするの 私 好き なんだ・と思う 根っから
2009.02.27
ヤァーメタ私の日記だよナンダョアアァァァァァァー終わり
2009.02.14
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あたしの。 ホームページ 見て色んな事 掲示板に書いいる方達いるけど 何これ 関係ないのばっかり チュパチュパ,,, クチュクチュ・・・・・・・・ アンタラさぁ・・・・・ はずかしくネぇ 実経験で無く 有ったら良いなでの書き込み 要らないよ コッチはよ いろんな意味で 憂さ晴らしな訳よ・・ 交ざるな・・・ 関係ねい奴はよ・・・ お面出してモノいいなよ 今日はよ・・・・・ コレマデ ホントは誰だと思っているんだよ
2009.01.27
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随分昔からの付き合いなので有る彼女がまだ近辺では結構大きな美容室のホヤホヤ美容師だった頃から週一回美容室に通う母の専属だった人結婚を期に独り立ち腕は本当に確かカットもセットもアップだってなんのその・・・・だった最初の異変その先生の息子がグレダシタ頃母が言ってた『最近・腕落ちた』と少しの間腕落ちたまま彼女は持ち直したので有るここ5年前位まで・・・母と共にずーと髪を任せて来た私変化が現れてからも任せてる先日カットとパーマ様子が何時もと一寸椅子に座る彼女語り始まるどうやら今はお姑さん・・・・での悩みらしい鋏みでパチパチ鋤バサミまで使うその間彼女感情顕わにシャベリッぱなし私の髪完成ー私翌日からその・髪に馴染めず本日修正を依頼椅子に座った私[この前。イロイロあって気持ち落ち着いてなかったでしょ]彼女反省(ゴメンネ・婆さんとイロイロあって・デモ、今日は大丈夫)私。安心ホットシタァー髪カットシ始まった之なら良いかもそのすぐ後始まったので有る姑の話私本日カットのみ・・・・・帰りの車中いいさ髪なんてすぐのびる容だってうまくすれば何とかなる・・・・判るよアンタの姑どんなに酷いか聞いてもいるし見てもいるけどさー話す語尾強くなった時鋏みで髪を厚く切るのだけは止めてよマァネ明日からパーマ カヶッパーのソバージュ?のはずナンダロウ・・私の髪結構時間かけて整えれば良いだけだから今度は何時になったら私本来の手間要らずの髪になれるのかなぁー時間かかる?
2009.01.25
孫ができた 諦めていた私のDNA・・・ 継ぐ者がデキタ 何とも言えぬ気持ち なので有る。 女の子なのに 結構 運動量が激しい 付き合ってると私の身体痛む子 なので有る 何時もの様に 寝返りうったり 歩けないのに 立とうとしたり イソガシイ 愚図るので オムツ確認 ヤッパリそう 交換・・・・・ いつもの様に オムツヒラクト そこに 螺子が・・・ 私 何故か 大慌て 何処ドコノどこのなの?・・・・ お尻確認 背中確認 お腹確認 頭も・・・・ 何処にも以上無し ならこの螺子って・・・ ふっと思った 生身・・だょね! 今もって 螺子の出所は判らない けど 私の孫の 何処にも 螺子 必要な所無し それだけは確認・・・・・・・
2009.01.24
自分の言葉 言えない母 的を得た答え?も出す母 面白い そんな母の 今日は 座薬の日 (便を薬で出す日なので有る) そんな母が 今日 スッキリした?のの 私の問いに 首を傾げた そしてこう (何なのこれは?) 私(オムツ交換したんだけど) 母 (ウゥゥんーん) ニャツと笑った そして 続き (寝るよ・・・) 母さん あんたモシカシテ 何でも知ってて・・・ 私の疑問 イビッテいるの?????????????私を 次の瞬間 鼻と・・・ 違うところからの 奇妙な音 ブィィぃーって 母の顔 妙に穏か ニャッと笑った いったいこれは?
2009.01.23
精一杯だったので有る 日々余裕なく 自分の気持ち コントロールするので精一杯 コツブ・・・・・・ 小粒・・ 今 あの時の事 思い出す [スマナイナァー・世話カケルナァー] 大きかったはずの 父の 私が耳にした 最後の 鮮明な言葉が この二言なので有る。 額面どうりなら 介護していた 私の 労を労った言葉 けど今 重い 重すぎる 貴方(両親)にどれほど 愛されて 育まれながら かけた 苦労・・・ 特に 私・・・・・・・・・・ 泣かせたし 泥も塗った・・・ のに・・ 父さん。 貴方の 残した言葉 今だ 私 引き摺ってる 残さないでほしかった だって 聞いたらさぁー 優等生で居なくちゃならなくなったんだょ 一番の 苦手なのにね
2009.01.22
何日かまえ、三浦春馬の恋空をみて 泣いた~ナイタァ~次の日眼が腫れて顔がイズクて その日は頭も顔も重くて重くて ドラマの内容もだけど 自分自身の相方との経験に 相手が若くて死ぬこと以外 余りに似すぎていたから・・・ 私の亭主 あんな男だったよ 何時もいつも マイペース 乱暴だったり。 優しかったり。 理解し難い人だった。 恋空みて 思った 私の元亭も 3年前に 死んじゃったけど いろんな事に 私を巻き込み 迷惑をかけ 抜き差しならない ホンとに酷い状態に置かれてしっ待った事も・・・ けど 許せる それは 私を守るため 自分の心 封印したから 段階の世代と言われる私 恋空に感銘 事実なら 残された女の子より 逝ってしまった 男の子が いとおし過ぎる けど 老婆心ながら 残された 女の子の これからも 気にも懸かるし 重いもの背負って・・・ 幸せになってほしいなぁー 引き摺るけどね
2009.01.16
友達だったのデアルタガイに離婚しタガイに未就学の男の子を持ち一文無しでの再出発私は生まれ故郷彼女はその地に・・生活が何となく落ち着くまでは申し合わせた訳でもないのに連絡なし4・5年後彼女からの連絡美容室を開業したと自分の生活安定して居なかった私もう少しその後月に一度顔みせに通えるようになった私タガイに大好きなコーヒーを飲みながら四方山話をし時には寝ながら今後の子供と自分の関わりかたも・・六十過ぎたら温泉巡りそんな話もしてたのに私の両親の相次ぐ病で気がついたら6年もの御無沙汰最近何となく気になって連絡〔電話〕取ったけど繋がらない利用者がいないのテープが流れるだけあそして今日五年前に彼女が亡くなっていた事を知った今日まで知らずにいた私自分の病知らせずに逝った彼女友人だったのだろうか本当に彼女の死を教えてくれた人によると息子さんの<友達のなかには母が何時までも生きていて欲しいから母の死は誰にも教えません>という堅い意志が有ったといいますたった一人で彼女を送ったそうです絵里・・・・・・それでよかったの?・・・・・・・
2008.12.15
気付かないので有る 何時までも儘なので有る 自覚なんて無い 気持ち 昔のまんまなのに・・・ 鏡を見て・・・ 想う 何で 私コンナ為ったの・・・と 時は残酷 かなり 残酷なので有る・・ 若い頃に持っていたもの 全て?剥ぎ取るのだ 加齢・・・ 不足は無い もう すぐ側に 老いは来ている 信じられない 信じられない事だけど・・・ 確かに 来ている すぐ側まで けど どうやら老いは 平等らい ナラバ 老いヨ・・・ 気持ちは負け無い 負けないよ 何時までだって 若くいてやる ズーとズーと 昔の儘・・・ 気だけかもシンナイけど 負けたくないんだ 老いなんかに! 今 少し弱気の 私だけど 見つけるのさ 吹き飛ばす方法を・・・ 何か 物悲しいけど そんな 深刻でもないのが 救いかな? ノー天気 一番・・・ これって 最高な見かけ 不老の 秘訣かも・・・・・・・・・・?
2006.05.02
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朝 起きて 仏壇にお茶と水を上げる 線香をたく・・・ ここ一年 してきた事 でも・・・・ 今 できないので有る 認めたくない 認めたくないのだ 帰って来ないなんて 抜けきれない 夢中できた この一年 規則的な日常の リズムとしての作業 だった様だ けど・・ その 作業が 今 出来ない 出来ないので有る ★オハヨウ お父ちゃん★の 挨拶で 仏間の戸を開け 一日の始まりとしていた作業 なのに 開けられない・・・ 戸が 開けられないのだ お茶も水も 線香も 上げられない日が 続いているので有る 心底・・ 心底・・・ 居なくなった事を 認めるの 辛すぎて イヤ 多分 其れだけ・・ だけど・・・・・・・ これって 不孝だよね 私 何時までもだね・・・ 直らないよきっと そして 直さないよ 私 解って呉れてるよね。 父さんだもの 甘ったれな 不孝もんの娘 それでも良いよね イイよね!! 堪忍してねぇ~ ごめんしてね お父ちゃん・・・ 私 暫く 戸 開けないよ 親不孝続くよ 私 側にいくまで ダイブ 先に為るけどね
2006.04.20
話したいので有る 互いに 一杯、一杯になると 何時も 何かの形で 連絡がきた 結局最後は 夫婦喧嘩? もう・・・ とうに別れた筈の男 要らない筈の男なのに 完全な 決別、 其のかたちになる前に 何故か 妙に連絡が入ったので有る けど もう 奴は居ない 喧嘩も 声も 連絡も 思い出のなかでしか 会えない そんな アンタに・・・・ 支えられて来た 覚えなんて 何一つ無い 良いことなんかも なかったはず・・・ けど 妙に恋しい ダイアルするんだょ アタシ 通じる筈無いのに ・・ 心耐え切れない程 想い溢れると 聞きたい 喧嘩したい 喚き散らして 叱られたくて アンタ あたしネェー ネェーネェー アンタ 何でも良いの アタシが 奮起出来る 言葉聞かせて・・・・ キズカナカッタけど アタシって 柔 だったんだネェー カッコイイネェー アンタ 最後に 負かされてるよ アタシ・・・ 話したい 話したいんだよ けど 連絡・・・なんて・・・・ 無理だよね アタシが アンタの側に 側に行くまでは・・・・
2005.09.22
早朝の電話 出ると 共に介護やを立ち上げ 周りには 私のイロ、と 思われている 男からのもの (ゴメン、ゴメンナサイ 事故った、同省も無いンダ 迎えに来て 迎えに来て ほしいんだ)と 今にも泣きそうな声で言う 昨日 奴は (お客さん、3件位紹介されたから その女と飲み会をする)と言うのだ 『それって、オカシクナイ 家は介護やだよ そういう付き合い必要無いと思うし かえって拙く為る気がする よく考えてみた方が良いと おもうけど』の私の 言う事も 眼中に無く 早々に出かけて行ったので有る 『人身?場所は?』の私の問いに 奴は (俺一人ダョ 場所は○○温泉)と答えたので有る おいおい 其れって 白状かい? 随分私 舐められてるね・・・ 『バカだね、言う事も聞かないで やったケツだろ 歩いて帰って来るんだネ』と私 おい 相方よ 以前拘わった仲だから 身の立つ様にと 引き入れて 今日まで来た事 忘れた様だね 哀れ過ぎて 腹も立たないよ 間もなく60だろ けどサァ 私・・ ホッとした これで 縋られる事も 相方を何とか・・・も 必要なくなったぁ~! 軽くなったよ 私、完了ダヨネ! これで 私の 任務は 完了・・・
2005.09.17
分別が無いので有る 何時まで経っても まんまなのだ 私って 心一杯になると 溢れた思い コボスノデ有る 情けない 今日の相手は 末弟の女房 つまり 義妹なのだ それも 子ほどに年が離れた・・・ 聞いて呉れるのを 良いことに 愚痴まくり オマケに 泣きまくるまで 大人げ無し 恥ずかしい・・・の 限りで有る ダメ姉?・・・ ゴメン・・ でも 聞いて呉れて アリガト 遅まきだけど 強くなるよ 是からは・・ 多分?・・ 点々だらけの 確約無し 駄目姉 だけど カンニンして
2005.08.04
何もかも・・・ 今のこの現状 有るのは 私のせいなので有る 弟(長男)が育たなかったのは グレた 私が要因なので有る 手が係り過ぎたものね 私に 私が もっと女らしかったら マトモナ暮らしをして来ていたら 弟は 今の相方に 不信感を抱けたと思うし 私が もっと親の期待のままに 成長していたら 多分 今の状態は 避けられていた?かもと言う そんな 現実が・・・ 此処にあるので有る 反省・・・ 反目・・・ そして 自己嫌悪 似合わない 私には 似合わないので有る 反省も 自己嫌悪も 私に合わない・・・ のに 似合わない日々を 過ごす 私 今此処に居るので有る 辛い 逃げたい 拘わりたく無い けど どうよ 今此処で私逃げたら 父さんが築いてきたもの全て 無くなってしまう 父さんが 築いた全てのもの・・・ 父さんの歴史も 無くなる そんなの 私 イやだ嫌なんだょ 守りたいんだ 全ての 要因となった私の手で 父さんの歴史と 私達家族の 是からを だって 今まで 充分過ぎるほど 愛されたし 守られても来たんだもの 誰か一人でも 父さんの子 此処に有りが 無いと・・・ それが さんざ 親不孝した私でも イイじゃない 末弟を 巻き込みながらだけど 残したいんだ 父さん 貴方の歴史
2005.08.02
本日、 財産分与調停第一日目 驚く報告 父の公正証書による 遺言状は 私と末弟による 捏造・・・ 血肉を分けた姉弟 そこまで・・・ なのかで有る 財産明細 これまでの流れ 何もかもを・・ 私と末弟による 仕掛けと言い切る弟 情けない情けないので有る 親の事 会社の事 そして我々姉弟の事 何時の間に 何時の間に 其れだけ変わってしまったの? 言いたくないけど あえて言う 踊らされてないかい? 悪知恵満々の相方に 弱弱しかった事 思い出すよ 縋りついて後ろに隠れて 何もかもOKになってからしか 前に出ようとしなかった お前の姿 今 縋りつく相手 違えて無いかい 一言 一言 言えばいい 『オイちゃんオイちゃん(お姉ちゃんの意) やぁーやだ、やぁーやだ、オッカナイ』と 守ってやるよ 昔みたいに 可愛くてショウガナカッタ 弟だもの オイちゃんなんだょ 今だって 変わってしまったのは お前なんだよ
2005.07.26
忘れたのかい? 自分が何を言ったのか 自分が自分達が 親に何を言い 其れがどれ程親を傷つけたかを 縁を切ったのは お前達だよ 不自由な体になった親に 金庫を開けさせ 自分名義の物を持ち出し 其れを手にして 父の顔の前に差し出し (これで二度とこの家の敷居は跨がない 何事有っても連絡呉れるな) お前の言葉だよ その後 父さんが 公正証書で 遺言を残し 長男で有るお前を 財産分与からも この家を守る任からも外し 次弟に全て任せるとした事だって 周りはもう とっくに当然だと 認めて居るんだよ 父から継いだ会社もかなりの状態に追い込み 嫁は自己破産申請 目先の金だけが欲しくて・・・ 病的なダラシナサ(ゴミ屋敷で町中有名)と 浪費、借金好きで有名な しまりの無い女と 両親、姉弟を秤にかけ お前は 肉親を捨てたのに 都合がいいね 次から次と よくやるね 今度は裁判 持って行くだけ持っていって マダマダ欲しいのかい 好きにやるといいよ 受けて起つから 何処までも 何処までも 哀れな奴だね お前もう 生きる路 この街には無いよ そしてもう 二度と 姉弟には戻れない 同じ名字の他人に為るんだよ 解っているのかい? 哀れな いいや見事?な 乞食根性だね (差別用語です、言葉見つからなくて) 父の会社は 私と次弟が立て直すよ もう手は打ってある 貰った財産全て充てるのさ 従業員が気の毒だから お前とは もう話すことも 会う事も無いよ お前が仕掛けた 裁判も 弁護士任せだもの
2005.07.20
流産 早産の 危機を乗り越え やっと産み月 何とも言えない 痛みが始まる もう少しもう少し 我慢すること8時間 こんな事も有るだろうと 準備していた お産時必要備品 両手に抱え 家の外へ こんな時に限って 待つタクシーは来ないので有る 痛みを堪え 私は立ったりシャガンダリ やっと止まってくれたタクシーに 行き先を告げ 病院 到着 産まれない産まれないので有る 陣痛微弱 ジクジクと 痛むだけで 産まれる程の痛さがないのだ 何処までも 真っ向勝負かけて来る ガキ(子供)なので有る それにしても 亭主も 誰も来ない 手紙も置いたし 言付けも頼んだ 此処にくるまで3日も亭主に会って無いし・・ こんな時まで・・・ 入院3日目 医者が言う 「ソロソロ出さないと・」 注射・薬等の 処置をされ 痛み本格的 いざ分娩室 (オッギャ~) 産まれた産まれたので有る 男で有ること 五体満足で有ること 全て確認 ホッとした私 亭主現れないまま 明日が退院という朝 いきなり ドアが開いた 現れたのは亭主 そしてイキナリ (探したぞ~病院!!)と そして ( 私の手紙に病院名が記されて無かった ちゃんと書け)と言ったので有る 産まれるまでは 10か月 いったいコイツ何?・・・ もっと ましな 言い訳無かったのかい? バレモトなんだよ アンタの言い訳 ネェーアンタ ホントは あん時何してたのよ
2005.07.15
本音で 話せる相手 亡くしたので有る 父を 失い 奴までも 負けを知らない私 どん底なので有る 最低 憎い 殺してやりたい 恨み 呪い およそ 全ての悪感情向けても 足りないほど・・ その 奴が 逝った 私の子の父で有り 亭主だった奴 別れてなを 亭主気取りだった奴 けど もういい もういいんだ・・・ どうやら 私 アンタに 心底惚れていたようだ どうすんだよ どうすりゃ良いんだょ 何も 言って呉れず 逝った アンタ アタシ憎いョ 最後まで 解らなかったのかい? 私の本音 それが 溜んないんだよ 解るか 解って呉れるか 無いよね 絶対 バカヤロー バカヤロゥー ナンダョ アンタ 葬送の言葉だよ アタシの 精一杯さ サヨナラ サヨナラ アンタ
2005.07.11
父がいて、 母がいて、 そして私がいた カシャッカシャッ トゥォントゥォン 片麻痺の父が操る車椅子の音で 始まった一日 父の発病から 丁度一年後 同じ病に倒れた母 麻痺こそ無いものの 自力では殆んど何も出来なくなった そんな母に 守ってやれない 手助けできないと 詫びた父 その父が 呆気ないほど 突然に 逝った 病が 長引いて 家族全てが父に向いて 母が辛い想いを するのを避けるように どこまでも どこまでも 父らしい 父さん 私 母さんには 知らせないょ 父さんが 逝ってしまった事 母さんにまで 逝ってしまわれそうで 話せなかった 今は 母さんが完全に 宇宙人に為って仕舞うまで 騙し通すつもでいるよ いつか また親子が 一緒になれたとき 『淋しかった』と 叱られそうだけれど 母さん守るの この方法しか 想い当たらないんだ ゴメンネ 父さん
2005.04.02
誕生月なので有る 何ともロマンチックに 祝ってくれた奴 何とも照れくさそうに 花束を抱えて来た奴 (大丈夫?)なのと 心配になるほどの 高価な物をくれた奴 その年々 親しかった男達との 幸福感 充分に満喫していた 懐かしい思い出 が 何といっても 最高??なのは 元亭主からの たった一度の贈り物なので有る ボス達と 何日も前から 海外への買春ツァー 帰宅は何故か 私の誕生日当日 『小遣い不足じゃ恥をかく』と 私のヘソクリまで 懐に入れ 洋々と出かけて行ったのだ 息子と私への土産 有って当然なので有る 当日夜 ピィ~ン ポォ~ンとチャイム ★ハァ~イィ~★と私 強い期待で 返事も良いのだ ドアを開けると 『はい!誕生プレゼント』と 渡されたのは A4サイズの厚い茶袋 重みも有る 部屋に入った 亭主を見ると スーツ新調(昔、韓国は一日で出来た) 指輪ピカピカ 時計ギラギラの 完全成金スタイルなので有る 成らば 贈り物だって・・・・と 茶袋の中身 確認 何と そこには 帰路に読んだであろう ビックコミック 新潮 文春 現代 実話 ポストの 週刊誌6冊 そして 亭主曰く 『まだ読んでないのも有るンダ』と ツゥゥ~!!! 有効!~ ユウ~コウ~なので有る 女房子供 眼中に無し この何とも ノー天気な男に 技有り一本取られ 二の句も告げれぬ 32歳の私が 其処に 居たので有る
2005.02.02
片麻痺をものともせず 車椅子を上手に操り 家中を走り回る父 自力では殆んど何も出来なくなった母 肝臓を患い 腹水に苦しむ愛犬 傍から見れば 結構な悲惨状態の中に ドップリと浸かっているので有る その私には 三者各々が 少しでも快適な余生を 送れる様に 見守り手助けをする役割と もう一つ その三者各々が 旅立つ時 シッカリと見送るという 結構重要な役目もあるのだ が 愛犬を除いた 車椅子の二人(父母) 自己の障害以外 バリバリ健康なので有る 常に眼下に隈の私とは 対照的に 頗る元気 全て絶好調なのだ 正月に帰省した末弟が 『オネェーの方が早く逝くかも』と言って 笑うほどなので有る 負けられない 負けてはならない 自分の役目を マットウする為にも 負けては居られないのだ 勝負!!??・・・ この先の 我が人生を賭けて 父母との 大勝負なので有る 勝負運! 有り難い事に 私は強い!!! けれど この運 親ゆずり? 今現在 役目 マットウの 行方は 闇の中なので有る
2005.01.25
息子がまだ 小学校の低学年だった頃 パァーン バァーンと 早朝の花火 運動会開催の合図なので有る 息子は 何日も前から 天気を気にし テルテル坊主を下げて 楽しみにしていたのだ お弁当を作り 私も 朝から学校へと向かう 良い場所に陣取り まづは入場からの観戦 玉入れ ダンス等々が終わり 息子の徒競走の番 1,2列目が走り いよいよ息子の列だ バ~ンの音で走り出した 息子7人中4番目 前の3人は結構早く 混戦状態 1番目転倒 2番手3番手巻き込まれて転倒 可哀想だが 我が息子のチャンス!! トップなのだ 我が子がトップ!! 勇姿を捉えようと 身をのり出しカメラを構え待った もう少しもう少し近づいて来てから!! 後続の5人は?! 大丈夫だ距離は縮まっていない! 始めて見る息子の勇姿に 目頭がジィ~ンと熱くなる が 感激の一瞬 涙で逃しては為らない 気を強く持って 狙うは シャッターチャンス その時 息子が 揺れた!! エェェェ~?!と私 そして 声と同時に カシャッ ゴール直前 転倒の 我が子の姿 しっかりと撮れたのだ 忘れがたい 記念には 違いないので有る
2004.10.23
最近宇宙人?になっている 時間が多くなった母 その母を車に乗せて 買い物に行く途中に 弟の姿を見かけた すると 母は ハッキリと弟の名を呼び 手を振ったのだ が 私達を見ようともせず 足早に行く弟に 母は『馬鹿な子だねぇ~』と言って 大声で泣き出したので有る 私を含め3人姉弟の子を育て 一人一人に合った 愛情を注いできた母 その母に 常に縋りつき 末弟が出来てからも 結婚してからも 容を違えて 何かにつけて 縋り続けた弟 これが最後これが最後と言い 借金癖のある嫁の為に 随分と多額のお金を 母から引き出してきた弟 それ以外 殆んど実家に足を向けない弟夫婦が 1度めの病に倒れ ほとんど正常は状態でいた母の許へ来たので有る そして口を揃え 弟名義の物全て 貰いたいと両親に詰め寄り 手に入れた後 二度と実家の敷居は跨がない 何が有っても一切の連絡はくれるなと 言い捨てて帰って行ったのだ 其の日から 決して弟の事を口にせず 黙した母 あれから少しずつ 症状が進み 母の記憶から 消えてしまっている事と 思い込んでいた私 違っていた 違っていたのだ 消えて居たのでなく 母は弟を思う気持ちを 封印していたので有る 母の涙の中に 私は 弟を許し 弟を案じる 大きな愛情を見た なのに 私は今まで以上に 弟夫婦を憎らしく 許せない気持ちになったので有る そして ★母さん私 親じゃ無いから アイツラ絶対許せないよ 悪いけど!!★と 辛そうな母に 言ったのだ 親の心子知らず 私も 弟と何ら 変りは無いのかも 知れないので有る
2004.10.21
結婚していた頃 『温泉に行くぞ!』と亭主 珍しくお伴なしだと言う 待つことが嫌な奴 サッサと支度し私の用意は万端 なのに奴は 中々家を出ようとしないのだ 何か有る 何か企んでいるなと まづは観察 ピンポーンとチャイムが鳴り 玄関のドアが開くと同時に [パトラいる~遊びに来ちゃった]と 現れたのは同店のM耶 彼氏との約束を反故にされ クサクサしているのだと言う すると それまで 落ち着かず 奥にいた亭主が 『良くないね~約束守らないのは 俺達今から温泉行くけど 気晴らしに出かけてみたら』と言うのだ そして 『女房も一緒だし3人なら 別にかまわ無いでしょ』とも 見えてきた 見えてきたのだ どうやら M耶の訪問は 亭主の書いた 安いシナリオらしい 亭主とM耶の彼氏は友人 私の友人としてM耶を連れて 温泉に行くなら 言い訳になるのだ まっイイや 何が起こるか見るのも悪くない けれど、 その時には・・・と 新たに荷物を一つ そっとバック入れ 出発 運転手は私 車中の二人は結構な盛り上がり状態 楽しそうなので有る 宿到着 湯を浴び 夕食 酒も会話も充分堪能 後 寝る事にした 俺が 私がと共に 眠っている事をアピールする為の 寝息?が暫く飛び交い 動かぬ私に安心た二人 行動開始!! 動く私 静止する二人 何度かの攻防の末 起き上がった私 M耶とならんで眼を閉じている 亭主の枕元に座り 出掛けに持った 裁ちバサミを 亭主の両目の上でその幅に広げて 言った ★眼あきな!動くんじゃないよ!★と 眼を開き固まった亭主に ★女房 ダシにするの止めるんだね★ そしてM耶には 自分達の帯で 亭主を縛らせてから そのまま出て行く様に言ったので有る 縛られてモガク亭主を見ながら 着替えた私 ★会計済ませていくね★の 一言を残し 帰路についた これが 私の 自分に 般若を見た 最初の日 なので有る
2004.10.19
親は子供を 大変だからといって 他に預けたりはしない なのに私は 両親を月に2回2泊の ショートステイに送り出すので有る 私の身体を気遣い 黙って出かける両親に ★ごめんね。ごめんなさい。★と いつも決まって私は言う 私 休みなんか要らない 親を預けるの止めよう けれど 私が倒れたら 誰がこの親を! 葛藤なので有る 辛いので有る どうする事が一番良いのか 答えは出ないのだ 先は長い 期限など無い 親と一緒にいる事が 苦痛では無い が 身体がしんどくなると 心がツンツンと角を出し 優しく成れないのだ 修行不足 忍耐不足 と 自分を責める事の 繰り返しなので有る そして そんな日々が 一日でも長く続く事を 願う自分 確かに 此処に居るので有る
2004.10.15
産まれるまで必死で 私にシガミツイテいた子の 誕生日なので有る 母性の欠片も無かった私だが 産声を聞いた時 涙が止まらなかったのだ どうやら 赤ん坊とともに 私の母性も産まれたらしい その子に ただただ大きく サッパリとした男に育て と 以前から好きな 1文字を 命名 母である私は よちよち歩きの 母性の持ち主 カンガルーと異名をとるほど 片時も離さず 抱いてばかりの 子育て それでも 子は願いどうり 竹の子の様に大きく 真っ直ぐに伸びたので有る 妊娠に気付いた頃 結婚生活は不安定 産む産まないで 悩んだ末 何故か 私は占い師の許へ シャカシャカと何本かの 竹の棒を器用に操った後 『その子は枷に成る子 産みなさい!』と 占い師は言ったので有る なのに 結婚生活は 破綻 が しかし 最近になって 解ってきたのだ 夫婦の枷で無く 私の枷だったと 子供と共に 私が成長したので有る 三十路に(男もこう言う?)成ろうという我が子 私を守りながら 育ってくれた子 産んだ私に [産んでくれて ありがとう]と言ってくれる子に 私からも ★誕生日おめでとう★ けれど やっぱり 私の おかげなんだよネ!と 言って憚らない私 今も顕在 息子よ おかげ を ワスレルナなので有る
2004.10.13
荒れた生活を終わらせて 生き直そうと一大決心し 普通の女に成ろうとした若い頃 信じられる友人にも出会い 順調に 普通の女道 まっしぐら!! けれど 周囲はなかなか受け入れては 呉れなかったので有る 自分自身の努力不足に気付かず 周囲の変化だけを性急に望み過ぎていたのだ 勝手に挫折 自分が 惨めで 哀れで 耐え切れなくなったので有る 向かった先は 何軒かの薬局 鎮痛剤 睡眠薬 買えるだけ買い込み 家に戻った私 自室の片隅に座り込み 器に山の様に盛った薬を 何故か1錠1錠 箸でポリポリと食べ始めたので有る 死のうと思った訳では無い ただ 眼を開けている事がいやになったのと 目覚めた時に 今と違う現実が待っていて呉れる気がした 短絡的 破滅型 自己中心 負け犬 手の付けられない程の 非行女は 恥ずかしい程の弱虫女だったので有る 何時もと様子が違うと 母が 私を見に来た時 虚ろな眼 半開きの口 だらしなく力の抜けた身体 それでも 薬を手掴みで口に入れ続けて居たという 早い手当てで 生き延びた私に母は ゆったりと自然体で生きる事 自分と向き合う事の大切さ そして 最後に 私の長所幾つかを取り上げ 伸ばして行く様にと 諭したので有る 今 私 自分なりの 普通の女として 此処にいる
2004.09.27
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私のフリーディの為の ショートステイ<短期入所 お泊り>を 嫌がる父にその日に限り ヘルパーを付ける事にしたので有る 50代 40代 30代の3人のヘルパーが 交代でやって来る事になった これで良い これで満足という事の無い父 必ず文句は出るだろうと 覚悟はしていた やっぱり・・ 出た 出たので有る 50代のヘルパーさんは 声が甲高く 妙に折り入っていて 疲れると言い 40代は 口ばかりで動かない 朝に来た時はカーテンも開けず 服も着替えさせずに 食事を出され 『生まれてから今日まで 一度だって寝巻きで 飯食った事など無い!』と 大声<怒鳴り声>で言ったそうなので有る 30代 ヘルパー暦半年という人 慣れて居ない様子も見えて 私としては 一番不安に思えた人 が 父はそのヘルパーさんを 誉めたので有る まじめ 素直 良く気が付く 頑張り屋だと 何一つ悪い点は上がらないのだ そして今回 50代のヘルパーをも 誉めだしたので有る 色んな話をしてくれるし 苦労人だと この変り様は何?!! 知りたい どうしても 謎を解明したい そこで 一人一人の感想を 父からジックリ聞く事にした まずは40代 誉めない 矢張りダメなままなのだ 30代 50代について 父が言う 30代は 両親が早く亡くなり 叔父さんの家で生活している 幸薄い可哀想な女の子だと 50代は 離婚して子供を 女手一つで育てた 苦労人なのだと言う 父の人選? 身の上に有り!! 何と父は タイヘンな 不孝好きだったので有る そして 不幸な女に対して 物凄く寛大で 優しい男だったのだ 解りやすくて良い男なので有る 父さん 私だって 離婚してるし 子供も育てたよ ダメなのかなぁ~娘には どうやら 父の寛大さは 他にだけ 向いて居る様なので有る
2004.09.26