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テーマ:洋楽(3398)
カテゴリ:Pops / Rock
Bungee Price CD20% OFF 音楽Prince プリンス / Parade 【CD】 最初のPrince体験というと、'Kiss'でした。 そのころアルバイトをしていた酒屋で、有線放送から聞こえてくるのを耳にして洗礼を受けました(懺悔のようだな・・・)。短いギターのカッティングに続いて、カエルをふんづけたような、'Oooo...!'という鳴き声。それまでは気持ちが悪くてしょうがない、もっとも好みとは遠いミュージシャンだったのです。でもことPrinceに限っては、多くのファンがこの同じプロセス、つまり、嫌悪から崇拝へと一夜にして宗旨変えするらしいのです・・・。 Prince・・・プリンス、という名前は本名で、そのなにやらエゲツないステージパフォーマンスや爬虫類を思わせる身のこなしやらの印象から、理解よりも誤解に彩られがちですね。しばしば、亡くなったマイケル・ジャクソンと比較されたけれど、彼のようなポピュラリティとはどうもまた違った個性を持っているようです。 ファンの間では、その名前とその気高さ・・・というよりは、特異性から`殿下’なんて呼ばれたりもします。彼の音楽については、佐野元春や亡くなったMiles Davisはじめ、さまざまなミュージシャンから賞賛され、一目おかれているクリエイターでありながら、このごろはラジオとかではめったにかからなくなっちゃいました。 ラジオはかつて貴重な試聴メディアでした。それだけでなく、FMファン(そういう名の雑誌もありました)は、エアチェックっていって、カセットテープなどにラジオの放送を録音するのが二十年くらい前までは流儀でした。その頃は、かなり骨太な番組があって、一曲紹介するにも、DJはそのアーティストの音楽的な背景やその楽曲の録音にいたるまでのエピソード、聴きどころなどいろいろと興味深い解説をしてからやおらおごそかに(?)曲をかけました。けれど、プロモーションがオンエア楽曲全部にしかけられるような仕組みになってからというもの、楽曲を言葉で掘り下げるような番組が少なくなりましたね。FMがいまはおしゃべりになっちゃって、ザッピングしても70年代の深夜放送みたいにしゃべってばかりで音楽があまりかからない。JASRACなどの著作権管理が徹底したのも影響しているのか、FMが音楽のための電波から変容してしまったのは少し残念です。 それはともかく、Princeが1986年に発表したParade: Music from the Motion Picture "Under the Cherry Moon"です。 もともとUnder The Cherry Moonという映画の音楽でもあったこのアルバム。コンセプトアルバムともいえるのでしょう、ともかくその運びのすごさ! 天下一品、奇想天外、奇々怪々です。 次々と繰り出される楽曲、パフォーマンスが、その個々の完成度の高さに加えて、万華鏡にように、あるいは殿下の住まう御殿の部屋部屋のように(2006年のアルバム『3121』は御殿の部屋部屋の写真入り!)、姿を変え趣を変えてたたみかけます。一曲目の`Christopher Tracy's Parade'から`New Position’へのつなぎでもうそのエキセントリシティは全開、シンプル&インプレッシヴです。 このあたりの音色と音の強度の組み合わせは、現代音楽にも通ずるような実験性を帯びています。「音価と強度のモード」を作曲したオリヴィエ・メシアンが知ったら、’実践音価と強度のモード’として注目してくれたーかどうかはわかりませんが、少なくとも実現こそしなかったものの、のちのPrinceのアルバムで、ライナーノーツを武満徹に依頼する話があったと聞けば、メシアンから少なからぬ影響を受けたこのジャズ好きの詩人作曲家が興味を持ったのも頷けます。 ところが、販売が前作『Around The World In A Day』にくらべて芳しくなかったということで、世間一般の評判だけでなく、このアルバムそのものの価値までが軽視されてしまうようになりました。 販売を最優先する音楽産業のほうから見ればそうなのでしょう。また、一般的に言えば、その傑出した音の造形と、一聴するだけだとエログロばかりが目立ちがちなパフォーマンスとが、ポピュラー音楽としては度を超してアヴァンギャルドでありすぎたために、受け入れられにくかったとしても無理はないかもしれません。ただ、一般的に言えばです。 話は飛ぶけれど、もう20年くらい前かな、原宿にあった`Keystone Corner’というジャズ中心のライブハウスに、Charlie HadenのQuartet Westを聴きに行ったときのこと。 1st stage最後の演奏が終わろうとして、じゃーん、みたいな感じでリタルダンドしたバンドの音が、シンバルの残響に吸い込まれて消えていこうとしたとき、ピアノのAlan Broadbentが、ほんの1小節ほど、Gustav Mahlerの「さすらう若者の歌」の一節を右手で弾いた。気づいた人も居たんだろうけれど、この、第一交響曲のモチーフにも使われたフレーズに、第一交響曲の虜になっていたぼくは、ちょっとばかり嬉しくなって、ピアノの前から立ち上がり、ステージを降りて、てくてくとホールを横切り、地上へでる階段を昇ろうとしたピアニストに、「ねえ、マーラー弾いたでしょ?」と声をかけたのです。 すると、品よくカットされた口ひげを笑顔にゆがめて、「え、わかったの!?」と返してきました。 それからしばらくの間、階段の途中で万華鏡のように千変万化するマーラーの音楽について楽しく話をしたあと、 「それでいうとPrinceの曲もね、あのアレンジの巧みさと完成度の高さにはまいっちゃいますよね!」と言ったところで、ピアニストは一呼吸おいて、あれはさ、アレンジャーのおかげなんだよ・・・。 ああ、なるほどそうなんですね、といいながらじつはちょっとばかりショックを受けてたじろぎました。Princeの才能ではなく、アレンジャーがみんなお膳立てしたからなのか・・・。 でもそれは考え違いでした。いまにして思えば、当時彼が有能なアレンジャーに協力してもらっていたこともそれはそれで実力なのだったと思います。 The BeatlesにGeorge Martinがいなかったらどうなっていたか、現実に起こっていることのすべての要素は、欠くことのできないもの、いや正確には欠くことの不可能なものなのですね。 あるときそのような力がそこに集まった、ということなんです。 そして、ピアニストはその15年後ほどあとにグラミー賞をジャズアレンジメント部門で受賞しました。ですから、Princeについていた優秀なアレンジャーのことも、知っていて当然の立場にいたわけです。 その後、Princeは傑作を次々と発表したあと、レコード会社との確執でいったんはPrinceという名前をシンボルマークに変えてしまったり、結婚と離婚、宗教へ傾倒したころからスランプに陥り、R&B、Soul Musicにに回帰していきました。 Princeといえば代名詞のように引き合いに出されるPurple Rainがロックミュージシャンとして、ボーカリストとして、ギタリストとしてのPrinceであるとするなら、その後サイドメンを含めて、鉄壁のエロでリリカルなダンスミュージックの星雲をミネアポリスの上空に運行させていた、80年代から90年代初頭にかけての黄金期の始まりは、このアルバムであったに違いありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.18 01:49:48
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