「私が私であること」、そうこれが私が自分自身で至福の時を感じるときです!
いきなり、わけ解らないことを書いています。
なにがいいたいかというと、現代社会のなかで「自分という存在」の価値を自分自身が認めら
れないことが多いのが数千年来の人間のパターンではなかったか、と私は思います。
ひたすら、他者に受け入れられるために、本当の自分の心とはちがう自分を演じてきた時が
長く続いてきたと、私は思います。
でも現在は、一人ひとりが自分という存在について、その価値を見直すときが来ているように
私は思います。
あなたは、自分という偉大な存在を認めていますか?
なぁ~んて書きながら、自分自身を認められないシーちゃんがいます!
これは長い歴史が残した負の遺産です。
ひたすら、自分自身のためでなく、人のための良いことをすることで、自分自身の存在価値
を感じようとする、私たちがいるのです。
そんな生き方に、疲れている自分を感じつつ、自分という存在の意義をなかなか見つけられ
ない私がいます。
たぶんたくさんの人が、私と同じような想いをしているのではないかなぁと思います。
私は精神的なストレスを解放する仕事をしています。
でも、みなさんと一緒です。
同じように日々悩み、苦しみ、泣き、笑い、喜びます。
そういった日々のストレスと向きあい、辛い自分を向きあい
ただ、ただ自分自身と正直に向きあいたい、それだけなんです。
本当の私は、どこにいるの?
本当の私はどうしたいの?
そんなこと考える必要がないのかもしれませんが、でも私にとってはとても大切なテーマなん
です。
それをつきつめていきたい、ただそれだけです。
そんな私を見て、ただ人間の理想を追求したいだけの夢想家と人は呼ぶかもしれません。
でもね、いつも私は思うんです。
嫌なことも、苦しいことも、自分自身の未熟さも含めて、私はそれを体験するために生まれた
と・・・・
すべてが完璧であったとしたら、私という存在にどれほどの価値があるのでしょうか?
私たちの世界は、まだまだ自分自身、そして人と共存共栄するために、
まだやるべきことがあるように思います。
すべてを完璧づくしにしてはいない、それは神の贈り物かもしれません。
それはひょっとして、私たちに、それをなすスペースを与えてくださっているのかもしれませ
ん。
完璧でなくては愛されない、なんて幻想を越えて、私たちが一人が何かに参加することで
この地球が、少しずつでもよくなることを祈りたいと思います。
自分自身、そして他人のとらわれを越えて・・・・
酔っぱらって書いていますので、思いつくまま、気ままに書いちゃいました。
なに言ってるんだか、わかんなかったらごめんなさい。
すべての人が、自分の不完全さを祝えるといいですね。
お休みなさい。