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カテゴリ:戦い
二日遅れの新聞が沖縄から届いた。 一面トップには、高校の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の関与が削除されたことに抗議する県民大会の様子。 記事の内容はこちら → 「集団自決」軍命削除に抗議 (琉球新報 2007.6.10) ある事実が「なかった」ということを証明するのは「あった」ということを証明するよりも難しい。作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島に取材し、「軍の命令」による「集団自決」はなかったと結論づけている。「集団自決」は住民の「自発的行為」だったというのだ。 興味深いのは曽野さんの著書を根拠に、「だから、集団自決に日本軍は関与していなかった」と結論づける(づけたがる)人がいること。 わからんなぁ、こういう結びつけができる思考回路って。 曽野さんの著書のタイトル『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』(長い…)に表れているように、曽野さんの検証は「渡嘉敷島では、集団自決の命令はなかった」ということ。その結論づけが正しいかどうかは(ムリヤリに)置いても、それが沖縄戦に普遍的に通じる事実ではない。 物書きとして、自分が明らかにしようとする出来事の舞台となった場所を丹念に歩いた曽野さんの姿勢は評価できるとしても、その検証内容から、沖縄戦全体の「集団自決」には「軍の命令」はなかった、と言い切れる人の心がわからない。沖縄では今でも「集団自決」の体験や思いを語る人がたくさんいるというのに。 そのたくさんの人たちに「日本軍が関与した集団自決はなかったよ」と文部科学省は言っている。「死んだのは自発的行為だったんだ」と。 その根拠ってなんなのだろう? 「日本軍の系統だった『集団自決命令』は発動されなかった」ということなのかなぁ。そういう明確な「軍命」はなかったんだ。あったというならその証拠を持ってこい、ってなもんなのだろうか? 敵の捕虜となるくらいなら死を選べという東条英機の『戦陣訓』の教えは、そのまま日本兵の住民への威圧的な態度となっていただろうに。 それはあくまで「命令」ではない、と言うのだろうか? フタをしようとしても、事実は消えはしない。教科書に記載があろうがなかろうが、事実は消えないし、変わらない。興味を持ってそちらの方へちょっと歩めば、事実はおのずと見えてくる。 でも、沖縄ほどには、ぼくのまわりには動きなし。それがちょっと不安かな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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