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カテゴリ:戦い
きのうに引き続き、「集団自決」。 数年前、「集団自決」がらみの番組の制作に参加したことがある。沖縄、読谷村のチビチリガマで起きた「集団自決」。 ガマと呼ばれる自然洞に逃げ込んでいた住民たちは、海を埋め尽くしたアメリカ軍の艦船から兵隊たちが上陸してきたことを知り、パニックに陥る。 観念してガマを出ようと言う人たちと、辱めを受けるくらいならここで死のう主張する人たち。「男は皆殺しにされ、女は強姦されたうえにやはり殺される」。ここで自ら死ぬべきだと言う人たちの「根拠」はこれだった。 その「根拠」は、一部の日本兵が中国や東南アジアの占領地でやってきた行い。同じことをアメリカ兵もすると考えた。いや、鬼畜米英は日本兵など比べものにならないほどに劣悪非道だと信じていた。 「生きて虜囚の辱めを受けず」。捕虜になると殺されるのだ。辱めを受けた上で。ならば、日本人らしく死のう。 捕虜に危害を与えてはならないという国際法など、一般市民が知るよしもない。日本兵もそんな教育は受けてはいなかった。「生きて虜囚の辱めを受けず」。敵の手に墜ちるくらいなら、死を選ばねばならない。 ガマの入口からはアメリカの通訳が顔を覗かせ、水や食べ物を見せながら「出てこい、出てこい」と言っていた。でも、誰も信じなかった。捕虜になると殺されるのだ。 住民が潜んでいたのはチビチリガマだけではなかった。少し離れた別のガマでは「集団自決」は起こっていない。そこには英語を解し、アメリカを知る住民がいたから。「捕虜になっても殺されることはない」。その住民の説得で、そのガマに逃げ込んでいた人たちは命を長らえた。 書いてると気が滅入るな…。 チビチリガマでの出来事を知るには、下記が簡潔で分かりやすい。 → 「沖縄・チビチリガマの“集団自決”」 (岩波ブックレット) 下嶋哲朗 著 番組の制作にあたっていたとき、戦後60年を経てなお、今も口を開かない体験者が数人いた。あまりの辛さに思い出せない。思い出せても、語ることができない。その、今もなお語れない人たちに向かって「(あなたの父や母や家族は)自分から望んで死んだんだよ」と言えるのだろうか? チビチリガマの「集団自決」は、ガマの中にいたのが地元の住民だけという点で、何らかの形で日本兵がからんでいる沖縄の他の「集団自決」とは性格を異にするとされている。ここには直接的な「軍の命令」がないだけではなく、日本兵もいなかった。 だからと言って、「死んだ人たちは、みんな望んで死んだんだよ」と言えるのだろうか? 違うと思う。 どんな形の「集団自決」であれ、それが日本軍の強制や強要、命令等によるものであることは生き残った人の証言で明らかだ。それを「自発的行為」と呼ぶことができる人は、よほど強い意志の持ち主なのだろう。どんな苛酷な状況にあっても“自分”を見失わず、自分の行為を自分自身でコントロールできる人に違いない。 11日付けの琉球新報の社説に、ドイツの元大統領・ワイツゼッカーさんの言葉が出ていた。 「過去に目をつぶる者は過ちを繰り返してしまう危険がある」 「逆に、過去に対して目を見開く者は、将来に向け平和の証しを体現できる」 → 琉球新報 2007.6.11 社説 過去に向き合うときにとるべき態度を示すこんな“当たり前”の言葉を、新聞の社説に見いだしてしまう現状って、いったい何だろう? そして、その“当たり前”の言葉を、「あぁ、いい言葉だ」と思ってしまったぼくの思考回路は? ますます気が滅入るな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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