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カテゴリ:制作現場
先日、番組コンテストの審査員なるものを初めて体験した。
ぼくが担当した番組はラジオの生ワイド。3人の審査員がそれぞれ1~6点を持ち、自分が「いい」と思った順に6点、5点…1点と付けていくという方法。 いつもは審査される側だし、初めてだったから面白かった。 しかし、審査ってどういう風にやっているんだろうと思っていたけれど、実際にする側にまわると、難しいわ、こりゃ。 体操とか、シンクロナイズドスイミングとか、ある一定の基準があってそれをクリアした、しないをベースに考えるスポーツ競技ではないし、取り上げた内容も違えば、表現の仕方も全然異なる番組を「こっちの方がいいな」と言わなければならないのだから、困った困った。 審査される側でいつもほんのり感じていたこと、飛び出ているのは選ばれないというのが、あぁ、こりゃそうなるかもねと思えた。選者には選んだ理由、選ばなかった理由を述べる義務が生じる。「これ、面白かったんだもん」じゃ、審査にはならん。 だいぶ以前のことだけど、製作に携わった番組が某番組コンテストで3人の審査員の評価が「満点、満点、1点」でトップを逃したことがある。 その番組はある絵描きさんを取り上げていたのだけれど、1点をくれた審査員の講評は「ぼくはこの絵描きが嫌いです」だった。 そりゃ、講評じゃないだろう! そのときはそう思った。 でも、番組に限らず表現されたものへの判断基準の基礎の基礎は「好き」か「そうじゃないか」。 審査員を体験して、それを改めて思った。講評ではいろんなことを言ったけど、それは評価の理由付けをしたワケで、「ぼく的面白い度順」の一言でほんとは事足りる。 実際、意見は分かれた。 ぼくが6点をつけた番組を1点と評価した審査員もいたし、その逆も。人の感覚って面白いなぁと思ったけれど、こうなるのが当たり前と言えば当たり前。みんなそろっておんなじとらえ方って、気持ち悪いもん。 でも、ときどき、審査員全員満点という番組が登場することもあるけれど、そうした番組はやっぱり面白い。 評価するには数値化が一番簡単。テストの点数しかり、偏差値しかり、視聴率しかり。相対評価はわかりやすいし、高い数値を得たものは、いいもののように思える。 でも、一番の評価はやっぱり自分自身の絶対評価だ。番組作りもディレクターを中心とした制作陣の絶対評価から組み上げられていく。 やれることをやるだけやって、オンエアされるときには、「さぁ、どうだ! どうにでも見てくれ、聞いてくれ!」と半ば居直れなければちょっとやってられない。 まぁ、居直れたことはないけれど、居直りたいと常づね思ってはいる。 賞はおまけ。もらえたらもちろん嬉しいけれど、狙って番組を組み立てることはない。 まず、見てもらって、わかってもらって、興味を持ってもらって、次へとつないでもらうことができたなら・・・その番組は成功だし、役目を十二分に果たしたって言えると思う。 やっぱり賞はおまけだな。 でも、欲しいね。実利はぜんぜんないんだけどさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.04 08:07:08
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