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カテゴリ:制作現場
イスラム教徒の一家の番組に関わり中なので、家にあったそちら関係の本をちらほら読んだり、インタビューを聞いて書き起こしたり。 「神に任せているから、楽で楽で」 大学生の頃にムスリムとなった主人公はそう語る。 すべてが神の思し召しのままと思えるならば、それは確かに楽かもしれないなぁ。 自分が他人に優しくできるのも、それは神がそう望まれているから。自分は神の思いの媒介に過ぎない。 そう思えると、楽だろうね。 一神教でも、多神教でも、安寧と救いをもたらせてくれるなら拝む価値は十二分にある。 こんな時代だし。 でも、神の御心のままならば、自分って一体なんだろう? なんて、邪念がむくむく。 この疑問、中学の頃のまんまだわ・・・。進歩ってなにかしら? これも神の思し召し? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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