テーマ:アニメあれこれ(27163)
カテゴリ:Dunbine
「生と死」の観点からもう一度観直そう、ということで3月末から DVD で観続けてきた『聖戦士ダンバイン』。とうとう最終回「チャム・ファウ」に至った。
高2の時以来どうしても腑に落ちなかった話が、見えてきた面もある。逆に、この描かれ方では分らないとしか言いようのない面もある。特に、複数の脚本家によって書かれるストーリィの間には、少なからぬ矛盾もあるし、放映されてしまった作品を後から修正することもできなかったろうから、これはこのままで「観る」しかないのだろう。 クの国に拾われたはずのトッド・ギネスが、「浮上」以降にアメリカでドレイク軍と合流し、ウィル・ウィプスとゲア・ガリングの間をどのように行き来したのか――。 完成直前のスプリガンで、ショット・ウェポンらと地上に出てしまったゼット・ライトが、どうしてゲア・ガリングに身を置いて、ガラバやブブリィの製造に携わったのか――。 夫であるドレイクを裏切り、クの国王ビショットと不貞をはたらいていたルーザ・ルフトだが、なぜ彼女が「すべての元凶」だったのか――。 地上とバイストン・ウェルの両方の制圧をたくらんだドレイクが、妻ルーザの不貞を知ることによって、なぜ「自分たちは地上では粛清されなければならない」等々と娘リムルに語り得たのか。「世界を観る眼」と「自身の野望」との関係は――。 そもそも、ドレイクのウィル・ウィプスがアメリカに出現し、他方、エレ・ハンムのゴラオンとシーラ・ラパーナのグラン・ガランが揃いも揃って旧ソ連に出た、というのはどうしてか。また、『浮上』以降に描かれた戦いの大半は、ヨーロッパでのビショット軍 vs. エレ=シーラ軍だったが、これは1980年代前半のヨーロッパでの「核の脅威」が背景にあったからか――。 ハイパー化とは単なるオーラマシンの巨大化ではなく、憎しみの心を地上界に残し、人々の思惟に悪影響を及ぼす。最終決戦でドレイクを倒した後、シーラが「浄化」を行うが、バイストン・ウェルの意思を呈していると言われるシーラのナの国が、国力にまかせてかくも多くのオーラマシンを作ってしまったというのは、どういうことか。シーラの言う「命かけて悔いない大義」とは――。 主人公ショウ・ザマが、オーラマシンをなくすため命を賭す覚悟したのは、一度地上に出て再びバイストン・ウェルに戻った時か、それとも「浮上」以降か。特にオーラマシンのハイパー現象に接して、その意味を考えるようになってからか――。 最後、太平洋上での決戦を傍観するよりないアメリカのスコット艦長が、地上人として「この戦いの意味」を知っていた人物として描かれているが、NPT再検討会議も終わりに近づきつつある中で最終回を観たということにも、何らかの意味がありそうだ(劇中では、いったい何回、核爆発が起きているのだ? 「核の冬」も迫っていたのではないか?)。例によって、3クール以降の地上編だけ繰り返し観直すことも考えられるが…(汗)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.28 15:49:03
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