みんな「セシウムさん」3
朝日新聞にあった玄侑宗久さんのコメントにも↓、誤りを許容することになる危険を感じるので、指摘を加えておきます。http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY201108120716.html 1,放射能とどう向き合っていくか。日本人が抱える心の混乱が、京都の送り火というシンボリックな場面で出たと思う。2,京都市は「被災地を支援したい」との思いから薪を使うことを決めたと思う。でも、3,放射性物質を帯びているとわかって燃やすことはない。わずかだとしても飛散はする。苦しい思いはわかる。4,福島県民のなかでも、心の分裂がある。環境中の放射性物質はできる限り取り除きたい心情と、気にしすぎていたら暮らしていけないという心情と。5,私は、京都を責めないでおきたい。 1、全く同感です。 2、も概ね同じですが、私は育ちが悪いので、邪推をします。被災地の支援だけを真剣に思っているなら、安易に中止の判断ができるはずがなく、そこに絵づらとして綺麗な「ガンバロウ東北」の演出しようとの魂胆がなかったか、といった邪推です。そういった軽い態度、他の不幸を自分の利益に結びつけようとすると、得てして大やけどするものだと思っています。 3、これは、はっきりと間違いです。食品の中にも微量のセシウムが含まれるのは当たり前で、今回の数値はごく微量で特別なものではありませんでした。特別な物と見なしたのは、京都の関係者の無知によるもので、続いてコメントされている京都大学の先生のお言葉のとおり、全く風評被害を助長するだけのとんでもない話なのです。陸前高田の人たちには、自分たちが特別に汚染されているなどと誤解しないようにお願いしたいところです。 4、玄侑さんがお住まいの福島県の方々のご心労は筆舌に尽くし難く、同情するのも息苦しくなるくらいですが、とにかくその差別をより拡大させるような行動を、同じ日本人として、しょせんは同じ「セシウムさん」として、許容してはいけないと思います。より汚染地として遺憾ながら区別しなければならない地域を縮小させていき、産品の出荷停止となる地域やその期間だけに収まるように、そうでない人も、ほとんど皆、考えを改めていかなければならないと考えます。 5、私も京都全体を責めるのはおかしいと思います。ただ、京都市当局や保存会に存在してしまった、ありふれたセシウムをゼロでなければ済ませないとする非常識な常識は、影響力の有る無し、多い少ないに関わらず、情報を発信できる人は可能な範囲で是正する努力をしなければならないことだと考えています。従って、今後も気になる展開があれば、この話題を執拗に取り上げるつもりです。 ・・・やはり、何とも息苦しいお盆ですね。