15歳のわたし
昨夜のこと。夜中に急に片付けたくなって、えっらいことになっていたJJたちの部屋にある本棚を片付けはじめました。今まで、いつか使うだろうとおいていたファイルなんかも、中身を確認して捨ててしまおうと、ぱらぱらめくっていた時、ふと懐かしい物がでてきました。それは、わたしが15歳のころ。初めてアメリカへ行き、2週間のホームステイを経験したときの感想文集でした。そんなものがうちにあったことさえ、まったく覚えてませんでした(^^;実は最近、あるネット上のコミュニティを通じて、このときに一緒にポーツマスにいったYちゃんと、実に約18年ぶりにコンタクトをとることができたばかり。しかも、ふとYちゃんの名前が頭にうかんで探してみたら、すぐに見つかったのです!!しかも、そのときのメンバーで近況のわかる子達はみな若いときに外国に出て外国で結婚してくらしているとのこと。やっぱりシンクロ♪♪『JJ,みてみて~~~~~~~~!!こんなん出てきた!』と見せると、JJが『え~っ?!ちょっと貸して!』と冊子を手に取り、声に出して読んでくれました。↓↓↓Home stay in Portsmouthわたしは、この夏、初めてのホームステイのメンバーとして、アメリカのポーツマスへ行ってきました。わたしは、ずっと、生の英語の中で生活したいと思っていました。わたしは、中学に入学してから英語を勉強し始めました。英語は学校で学ぶだけで、塾などには、全く行ってなかったので、英語が通じるかどうかとても心配でした。でも、わたしは、言葉が通じなくても、ジェスチャーを使って、話をしようと思っていました。わたしが初めて、アメリカ大陸を見たときには、とても感動しました。アメリカは、わたしの想像していたものとは、全く違っていたのです。アメリカはとても大きくて、たくさんの緑に囲まれていました。道路も日本の2,3倍はありました。わたしは、初めてアメリカを見た時の感動を忘れることができません。そして、これからも決してわすれることはできないでしょう。アメリカでの生活は、食べ物・言語・習慣などの上で全く違っていました。しかし、言葉はわたしが思っていたよりもよく通じました。きっと、英語の教科書を暗記していたのがよかったのだと思います。日本を出発する前に『ポーツマスの人々は心が大変温かい』と聞いていましたが、実際に行ってみて、本当にその意味を理解することができました。アメリカの人はみんな大変優しくて親切でした。そして、気軽にわたし達日本人に声をかけてくれました。しかし、日本では外国人をめずらしそうに見てしまいがちです。それに、アメリカ人はみんな大変音楽がすきなのです。わたしは、日本人はアメリカ人ほど音楽に興味をもっていないなと思います。アメリカ人は、みんなとても陽気です。それから、日本では隠したがる家庭内の問題をわりとオープンに話してくれるところにも驚きました。でも、人々が何も気兼ねせずに気軽に話しかけてくれたところが一番うれしかったです。ポーツマスでは、海やプールへ行ったり、ショッピングや映画にいったり、テニスをしたりしました。特に楽しかったのは、日本ではあまりできないような、夜のピクニックや、夜、友達の家に集まって皆ですごしたことです。アメリカのお父さん、お母さんは、わたしを本当の娘のように扱ってくれました。わたしが、ポーツマスを離れるときには『あなたがいなくなると、とてもさみしいわ。いつでもまた、ここへもどってきていいのよ。きっと又ポーツマスへ帰ってくるでしょう?わたし達はいつでも、あなたをうけいれるわ。』そういってくれました。わたしにとって、この言葉がどんなにうれしかったかわかりません。わたしが、この夏得たものは、言葉では言い表すことのできないほど大きなものでした。わたしは、もし、国や言葉が違っても心は通じ合えるんだということを知ることができました。わたしは、この夏ポーツマスで経験したことを生かして、将来、英語を使った仕事につきたいと思います。さいごに・・・I LOVE AMERICA↑↑↑自分で作文を書き、英訳するという作業を始めてやりました。今この文章を読んでみても、ものすごくリアルにこのときのことを思い出せるのにびっくりしました。そして、言葉に違和感がない。(自分で書いたんだから、あたりまえか・・・笑)当時15歳。中学三年生でした。宮崎の田舎育ち。外国人にはほとんで出会ったことがなく、学校にくるALTの先生がわたしの出会った唯一の外国人でした。まだCDデッキなんかも普及してない時代で、レンタルVIDEOやさんでMadonnaのVIDEOを借りてきてみたり、食事後にCDやレコードで音楽をよく聴いたりしたのがとても刺激的でした。食器洗浄機もありました。地下室もあったし、バスルームが2個ありました。ホームステイ先の女の子はパーマをかけていて、コテを使って髪を巻いてました。初めてジーンズとNIKEのスニーカーを買ってもらいました。お母さんが再婚だったので、週末になると子供達と一緒に実の父親宅に泊まりに行き、そこに彼女である、子供の同級生のお母さんがとまりに来るということを説明され目の当たりにしたのは、田舎育ちのわたしには、大きな衝撃だったんですね。普通はそういうこと隠したがるんじゃやないの?!ってね。(笑)11歳のJJが15歳のころにわたしの書いた文を読んでいるって、なんだか不思議な感じがしました。『タイムマシンがあったら、絶対15歳のママに会いにいくのになぁ~・・・・で言うねん。わたしは11歳のあなたの娘ですってね。』それを聞いて二人で爆笑しました。『絶対びっくりするよなぁ~!11歳の子が(しかも半分アメリカ人)いきなり娘って現れたら!』『(英語の仕事につくという)夢叶ってるやん!!』と話しは盛り上がりました♪そして、自分で思いましたねえ。子供のころに自分が何を感じていたのか。何を見て、どう思ったのか。特に多感な時期に違う文化の違う国を見て経験したことは、今のわたしの核になってるんだって。この感想文に書かれていることは今のわたしに大きく影響していること。音楽のことを書いてるのはちとびっくりしました。だからJJBBの父親に惹かれたわけですね(汗)OPENなアメリカ人に対する憧れもあったんでしょうね。複雑な『家庭』の人間関係を目の当たりにしたのも『いつでもあなたを受け入れるわ』と心から言ってくれた人がいたことも、15歳のわたしにとっては、強烈に残ったんでしょうね。そして、将来英語を使った仕事につくと決めたのも、この頃だったんですね。一見全く関係ないエアロのお仕事を長くやってきましたが、結局YOGA通訳という、全くそのときには予期してないお仕事を通じてたくさんの人達と(日本人&外国人)触れ合って行くことを今やってるんですよね。これからの人生は、また、どうなっていくのか全く予測できないけれど、20年前を振り返った時、『あの時の経験が今のわたしにつながっている♪』ってうれしくなりました。そして、JJともいろいろ話しをしながら、JJが今経験していることがどんな風に彼女の人生に現れてくるのかがとても楽しみになりました。当時の家族は引越しをしていて、子供達は皆外へ出て行ってしまったので、もう10年近く連絡をとっていません。片付けた後、ネットで探してみたのですが、見つかりませんでした。けど、違うところを整理していたら写真の間から、JJが生まれたときに向こうから来た手紙が出てきたんですね。残念ながら封筒はなかったものの、近い将来、彼女達とまた連絡がとれるのではないかという期待に胸ふくらんでいます。とってもうれしい15歳のわたしとの再会でした。