大人は聞けない。パソコン操作。1私が購入したきっかけ
私が、PCを使うようになたのは、4年前。パソコンの翻訳の仕事に携わる人が、デルコンピュータに注文を出してくれた。振込みの時に、銀行に行き、振り込んで、仮にピュータ君としよう。ピュータ君が必要なソフトと思われるものそインストールした物を渡してくれた。私がコンピュータを必要とした動機は、絵を各手段として、最近のCGの使えるように成りたかったからだ。つまり、コンピューターでできる作業を、手書きで苦労する必要は無い。と考えての事だ。コンピューターで何処まで、できるのか謎だった。現実問題として。お絵かきのソフトを入れてくれたのですが・・・。操作方法がわからなくて。放置していた。手続きのお礼に、コルドンブル~のボトルを届けた。どっかの美術館の資料が見れる、ソフトが入っていた。ピュータ君の事務所でPCでいろんなサイトに入って、情報が取れて、プリントアウト。この時プリントアウトしてもらったのは、SMクラブのおねえさん3人のコスチュームの写真。その目つきに不思議を感じて、プリントしてもらった。使わないまま放置していたのと。何が何だか判らない状態で、リカバリーのソフトが渡された時から、紛失していたのも気がついていなかった。結婚生活に決着を付ける為に、先に離婚届に、判を押してもらい。この時、押さないと、会社に取りに行くよ、と夫を脅した。しぶしぶ判を押してくれた。私達の結婚は、普通の愛し合った人の結婚と違う。お互い事情一致していた。家族から逃避。避難する場所を求めての結婚。私の美学は、同棲は半端でイヤだ。経済を二人一緒にする時。どっちが払ったとかの事で、争うのがイヤなので、同居の時。世帯を一緒にすれば、後くされない。別居の時に籍ははずす約束だった。が。実際、先に籍をはずさないと、動きが取れなかった。離婚届のお互いの住所は同じだった。私は、身の振り方に悩んだ。結婚の時、実家と縁を切りたくて、背水の陣ででてきたので、着地する場所が無かった。**************異常な事態を経験しなければ、文章とも縁が無かった。今離婚の時の話をするのは私が自分の異常を感じた時期の話。株式の取引で、自分らしく無い反応を示した。自分の中の思考が分裂し始めた兆しを感じた。株取り引きは何か異常を嗅ぎ取るのが仕事。それが上下の分岐点だ。自分の異常も敏感に嗅ぎ取った。その朝。仕込んだ株がナギに入り上昇に動き始める兆しが見えた日。私は朝一、株屋に電話して今日は取引しないので、家に電話をしないように、言った。この担当。一ヶ月前に変えたばかりなのだった。仕事は出来ないが、余計な口出しをして欲しく無い時期で、有能な人を外したばかりだった。資本金を1000万に増やして、橋本首相の退陣の時の暴落を一ヶ月で、取り戻した後。橋本首相を退陣させた、日本の国民の無知さに、アメリカが震撼した。当時開かれた国会で、テレビでは毎日国会が中継されていた。見ていれば、聞く耳があれば。首相が、当時・世界経済を脅かした、ヘッジファンドっ撤退させた、立役者で有った事が知れただろう。バブルで数字だけが膨らんだ負債の処理。実質の無い数字の動きの清算。成功した。橋本の働きを理解せず。国民は、暗い扉を開いた。預貯金に対する知識が無かった。何故、銀行に預けたお金に利息がつくのかさえも・・・。あの時、橋本を続行させれば、自殺者はこれほど出なかった。無能な者も養い続ける体力を維持できた。しかし事情が変わった。本格的に、社会構成を変えなくては成らなくなった。激動の暗い時代を迎えた。私は本格的に勝負に出ていた。時は、さくら・富士暴落。長銀の清算の後。担当をかえ。2年で売りから入る信用の使い方を覚えた後だった。千株と万単位の株。低位株、万株単位。300円幅をとって、小額の50万利益。購入の単位間違えの失敗を経験から学習していた。新しい担当は一ヶ月でなれなれしくなった。朝断ったにもかかわらず。前日会社を休んだこの担当。さくら銀行420円売ってくれという。おいおい。しかし、電話するな。と言った後で、私の気持ちが緩んでいたのと、きげんが良かった。又買えばいいかと半分売ってしまった。実はこの、一時の気の緩みが危険。担当は暴落の恐怖に取り付かれていた。私は上昇する兆しで、休みに入った。気の緩みが。売りの許可の返事を出した。電話を切って。我に返った。サムシングローン。何か自分らしく無い心の動きがあった。危ない。この株は800まで伸びる。仕込み時期を間違えたいなかった。何故、取引税と手数料を払う動きをしたか?悲鳴を上げるセールスマンに同情したのだ。一ヶ月の取引で十分手数料稼がせているはず。前の担当を変えたのは。「普通の人には、底の値段と天井は読めないと言われての事。」つまり、私の判断力は異常だという。有能な担当は質問に良く答えられる。彼の情報に頼る物も多かった。私の力は情報の総合分析力で、超能力ではない。私は底で買いを入れるので、担当によっては、仕手の情報グループで動いていると思われていた。私は一匹狼。確かに仕手株の低位株を扱うのは、同じ千株で動かすのが効率的だから。会社には惚れない。数字の動きだけを追う。現金化しないうちは、数字に過ぎない。このお金で何が買えると物質返還するのは禁物なのだ。他人の言葉で売り買いに影響受けた場合。これはデイーリングには命取り。自分を状態を疑って全面的に撤退したほうがよい。考えた結果。上がるのを待たず。全ての持ち株を処分した。経済の動きを止めた。その頃。夫から、お前の話は株の話ばかりだと、言われたのも堪えた。≪何の為にお金を作っているのか・・・・。≫この家計を支える気力が失せた。夫に、体の不調を訴え病院に連れて行ってくれ、とレンタカーを借りて知っている病院行ったが時間が過ぎて到着。建物、設備が変わっていて。中に入ることも、相談もできなかった。主人は、それだけで病院に連れて行ったというほど、子どもだった。この結婚で、私は他人の大きな子どもを社会人に育てた。もう役目は終わっていた。問題は私の居場所。主人は広告代理店に勤めていた。高卒で、まともな扱いを受けていなくて、過労で転職を考えて、会社を辞めた頃に知り合った。会社に復活させて。年収税込み600万のサラリーマンに成長させた。知り合った年は187万。それでは、知り合った女性を泣かせるばかり。裁判でお姉さんが慰謝料を払う状況を悲しく思ってのこと。妊娠させては堕胎させていた。挙句に裁判した相手をやくざの叔父を持つ人と、妊娠させた自己責任の認識が無い。妊娠させる事をなんとも思わない人物だった。父親の違う18歳年上のお姉さんのツバメのように育っていた。父親の居ない家庭で育った子供だった。お姉さんが買ったマンションでおかあさんと二人で住んでいた。お姉さんは近くに別にマンションを借りて仕事に出ていた。お母さんの看病という理由で、更に閉じ込められるところで私に出会い。結婚を申し込まれた。私も姉の為に開いた店で、姉を衝突を起こしていた。姉が私を恋人のように慕っていたからだ。群馬のイナカに逃げるか?まあ。暇だから何か役に立つことしようと。彼が復職したことで同居・結婚の段取りを取った。話は、飛躍しているようだが・・・・。この結婚を清算する段階で、私の精神はバランスを崩し。離婚届を押してもらった、2ヵ月後。私は、河童の世界に入り込んだ。成り行きで、タクシーで行った新宿で不思議な世界に入り込んだ。翌朝ヒルトンホテルの隣の大学病院で精神科の入院のテ手続きを取った。眠る場所を求めた。わたしの住む場所はもう無いと思ったからだ。新宿から、一人で帰れなくなった。二日間私は行方不明になった。救急外来で待合で休んでいたが。苦しくなって、隣の警備室に乱入して警察の連絡で主人が迎えに来た。手続きは済ませてある。人と話して、考えを掏り合わせる行動と判断を失っていた。入院を待つ間の4日間。主人が面倒をみた。主人の姉と私の姉と。4人で車で病院に向かった。注射を打たれた意識が無くなった。爆睡したらしい。三日間点滴で眠り続けて、4日目に目をさました。是が実質的な、結婚の終着地。夫は、怖がって面会には来なかった。入院病棟の前まで来たが。鉄の扉が怖くて中に入れなかったそうだ。3週間後。クリスマス。夫と連絡を取らない条件で外泊許可を取った。昔からの飲み友達の家に転がり込んだ。病院から友人の家に居候生活に入った。神経過敏症という病名がついた。他人にはわからない病気。理解もされない。自分でも。出口のわからない病気。そして、ドクターにもわからない病気の始まりだった。東京の、祐天寺の友人の家に半年。群馬の友人の家を経由して。群馬の厩橋病院。ここでは、躁うつ病ではないかと、東京の病院の先生と話し合って、リーマスを使い始める。(腎臓の薬)群馬の病院に実家の姉が引き取りに来て、実家に入れてもらえた。その頃、パソコンを購入した。絵を描くために。この続きは又明日。明日は。パソコンで困った事を書く。