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テーマ:ダム(19)
カテゴリ:ダム
「堤頂部ほぼ全面に渡って、自由越流式の非常用洪水吐があり、堤体下部に放流水を減勢工に導く堤趾導流壁を備える。堤趾導流方式を採用した最初のダムのようであり、以後この方式が自由越流式のダムでよく用いられるようになったという。」とダム便覧にあり、階段状のスロープと壁のことらしい。
1981年竣工の洪水調節、河川環境保全、上水用水目的と。常用洪水吐が、半円形で水面に穴が開いているようで、珍しい。 24吋別窓表示 元々加茂郷と言う地域でそこに流れる川で加茂川と言うらしい。川沿いに山城跡(山崎城跡324、坂元城跡325)があり、上流域(菅野城跡163 岡山県中世城館跡総合調査報告2020はこちら)にもある。上流域は平安時代は荘園だったそうで、古い社が残っていた。平坦な地域で、500万年前の隆起した時代の平原が浸食を免れて平面が残った地形、準平原面が残っているらしい。 大山道が通っていたそうで、大山詣や牛馬市に庶民が往来したらしい。関東にも丹沢の大山詣があったが、こちらは伯耆大山に詣でるもので山陽から山陰まで吉備高原、中国山地を横切る道のようだ。古い県道には多数の道標が残っているらしい。 鳴滝湖、青少年の自然体験フィールドとして整備されていた。24吋別窓表示 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 5, 2024 08:03:22 AM
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