カテゴリ:超カテゴリ
長らくお待たせしました。 全6回、綿密な推敲で更なる完成を目指した「新・見せ物小屋の招待」。今回で大団円。 私が住んでいた町の神社の夏祭りは、夏休みの最後の土曜日と日曜日に行われることが多かった。 金曜日の午後から準備が始まって、普段またいで遊んでいる狛犬や碑が祭りの飾り付けでほとんど目立たなくなってしまう。待ちきれない子供は、金曜日の夕方から行くが、まだほとんどの店はやっていなかった。まあ、店によっては相手をしてくれていたが。祭りは、土曜日が朝から夜の9時くらいまで続く。日曜日は、夕方店じまいが始まるので、やはり盛り上がるのは土曜日の夜だった。 日曜日の昼前に、7歳の私はお姉さんに返すためのお金30円を持って、祭りに行った。 まず、一番最初はやはり、見せ物小屋のあたりに行ってみた。お姉さんは今日も見せ物小屋を見に来るだろうか。 日曜日も昼前では、まだ出店も開いていないところが案外と多かった。祭りのBGMも流れてはいない。ほとんどが午後からのようで、当然お客も、それを知っているので、あまり来ていない。そこら辺でうろうろしているのは、近所に住む私のような世間知らずの子供がほとんどであった。これでは、やはりまだお姉さんも来ていないだろう。 見せ物小屋もまだ入り口でおじさんの口上は始まっていなかった。 それでも昨日と同じで、お祭りの象徴であるかのようにテントは燦然とそびえている。 テントの入り口はあいていた。入れるようであった。 そこにお姉さんがいないと知りつつも、なぜか相変わらず妙に好奇心がわき出して、おそるおそるテントの中に入ってしまった私である。 中は、電灯が一つだけついていた。 誰もいないのかと思っていたが、誰かいた。 いや、誰かどころではない。 口上のおじさんと、大人が2、3人。子供が一人? そして、ヘビ女のおミネおねいさんもいた! 彼らは、安っぽい木製のテーブルとイスに座って、ラーメンを食っていた! 「あ、ヘビ食ってない・・・」 思わず私はつぶやいた。 でも、大人たちには聞こえなかったようだ。 しかし、気づかれた。 ヘビ女は、やっぱり普段は出前のラーメンを食っているのだ。ヘビだけじゃないんだ。 「オイ、ボーや。まだだよ」 一緒にラーメンを食っている大人が、私に声をかけた。 「まだ来ちゃダメだよ」 口上のおじさんだ。よく見ると子供だと思っていたのは、こびとのミーちゃんだった。 すると、ラーメンを食っていたヘビ女おミネおねいさんがどんぶりと箸を置いて、おじさんたちの方にまあ、いいじゃないか、と言って、笑顔で立ち上がった。 そのとき、私の目には驚くべき光景が飛び込んだ。 彼女は「びっこ」をひいて歩いているのだ(!) いや、彼女は、義足だったのだ!! 足のすねのあたりは、金属と木でできていた。 傷痍軍人をご存じだろうか? 傷痍軍人は、最近は見ないが当時繁華街などでよく見かけた。太平洋戦争により怪我をして手足を失い、そのため義足をつけていたり、片手になっていたりして、アコーディオンかなんかひいて、道行く人たちに寄付をもらっていた(中にはどう見ても、戦争に行ってないと思われる歳の人もいる)。だから、義足を見たのは、初めてではなかった。 しかし、あの威勢のいい野獣のようなヘビ女おミネおねいさんがよたよたと義足の足で私の方に歩いてきたのは、さすがにショックだった。 そうだったのか! 彼女が番台の上に乗っかって、こびとのミーちゃんのように舞台(と言ってもロープが貼られている地面)に降りて、動き回らなかった理由が、わかった! 彼女は、あまり動き回ることはできなかったのだ! 驚愕にたたずむ私に、「ハイヨ、持っていきな」 ヘビ女おミネおねいさんは、飴を手渡した。 やはり、そばで見ると美人だった。でも、足は義足だったのだ。 そして、なんと昨日のお姉さんたちと同じように私のほっぺたをつねったのだった。 「またあとで来てよ」 また・・・と言うことは、私の顔、覚えられていたのか? 私は、うなずくと、あわててテントを飛び出した。驚きと怖さと恥ずかしさの入り交じった複雑な気持ちで走り去った。 ヘビ女にかわいがってもらってしまった!やっぱ、年上にもててしまった! 結局、浴衣の上級生のお姉さんに会うことはなかった。と言うか、実は、そのお姉さんたちの顔はもはや覚えていなかった。やはり見せ物小屋の記憶があまりにも強烈なため、日常の人たちの顔は記憶に焼き付けられなかったわけである。私の記憶に残ったのは、やはり、ヘビを食う石川亜沙美と、こびとのジャイアント馬場であった。 そして、最後に見たヘビ女おミネおねいさんの義足だったのだ。 親にもらった、30円は遊んで使ってしまった。親には内緒で。 見せ物小屋では、その日は子供たちに飴が配られたらしい。私がもらった奴と同じだ。 あのとき、飴をもらったときに、ヘビ女に誘われたけど、その日、見せ物小屋には行くことはなかった。 やはり、あれ一度きりで、私の見せ物小屋体験は終わったのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10数年たち、大人になって、一度だけ「見せ物小屋」に出会ったことがある。 ああいうものが、人権だとか何とか騒がれてしまい、今ではもう廃れてしまったと思っていた。 それは、新宿の花園神社という警察署やゴールデン街に隣接したところで、そこのお祭りでやっていた。 そのころ、私は新宿に住んでいた。人々からは新宿鮫と呼ばれおそれられていたのだが(嘘)、ふと帰り道に神社を通り抜けようとすると、その日は夏祭りの真っ最中だったのだ。 そして、大きなテントに、あの見覚えのある「きいちのぬりえ」のような絵で描かれた垂れ幕がかかっていた。そこには、オオカミ少女のような絵と、ろくろ首の絵が描かれていた。ヘビ女とこびと娘はいなかった。 体の不自由な人を売り物にする見せ物はなくなったのではないだろうか。 入り口の口上をしているのはどちらかというと若いおじさんだった。入場料は800円!あのころ30円だった見せ物が、20倍以上値上がりしていた。私は、高いと言うことではなく、もう見る気はなかった。 今になって思うと、あの二つクビの牛も、どう考えても作り物だった。結局は、インチキの子供だましだったのだ。800円も払って、偽りある看板に乗る必要もないことは、もう理解できていた。 考えてみると、あのころの見せ物小屋は、本当に見世物小屋だった。体が不自由でも、何とかそういうことをやって糊口をしのぐ人たちの集団だったのだ。そして、あのラーメンを食っていた中にいた数人の大人は、たぶんその集団の仲間、つまりサクラだった。やけに、威勢のいいかけ声が多かったのはそのせいだったのだろうと思う。 ヘビ女おミネおねいさん、こびとのミーちゃん、口上のおじさん、サクラ・・・彼らは、それでも精一杯生きていた。そこにいた人間は本物だった。 それも・・いや、それが彼らの人生だったのだ。今頃、ヘビ女やこびとのミーちゃんはどうしているのだろう。結構いい歳になっているはずだ。 見せ物小屋や出店を背にして神社の出口に向かって、私は歩き始めた。 そのとき、 境内を通り抜けようとすると、ふと私の後ろから「食うぞぉぉーーっ!!」という声が聞こえてきた。 はっと思って立ち止まり、振り返ると、見せ物小屋の入り口で、相変わらず口上のおじさんが元気よくしゃべっているだけであった。 まさか・・・ いや、気のせいだろう。 私は、再び歩き始め、神社をあとにした。 子供の時に見た不思議な世界は、大人になると不思議ではなくなるものである。 でも、そのとき聞いた声は、大人になってもまだ子供の心を忘れられない私への、不思議な世界からの呼び声だったのかもしれない。 そう・・・ それは、「見せ物小屋の招待」だったのである。 (完) しかし、もうちょっとつづく・・・ なぜなら、ヘビ女のおミネおねいさんと再会することになるからだ。 /// お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月08日 14時34分56秒
コメント(0) | コメントを書く |
|