歯車は回っている?
窮すれば樹にも登れり秋の蟹蟹は甲羅に合わせて穴を掘る、とは父親に言われたことであるが、なるほど、然り。砂浜に穴が開いている。貝殻で掘り進むと、運がよければ、蟹が取れる。食べた記憶はない。ということは、巣穴から強制撤去させたということだけか。蟹に擬人化して、自らを思ったことはある。「いただきます」という言葉が、世の中から消えつつあるとも言う。省みて、そう言う前に箸をつけている自分がいる。知人は、「食材」という言葉が嫌いだと言う。なんで、食の材料なのかと。モノを物として見てしまうことのある種の貧しさなのか。いずれ人は、他の生命を殺して生きている。なかには同種の人を殺す奴もいる。あるいはまた、無意識に殺しに加担している奴もいる。生命に対する畏怖というのなら、何かが違ってきているのであろう。傲慢であることも、謙虚であることも、超越的な価値観によっては、是非を問えない時代である。何がいいのか、悪いのか、だれも断定できない時代。だからこそ、だれもが自分の価値観で生きるしかないのだが、それとて、難しい。誰かが与えてくれる価値観に乗り、そんな自分を生き生きと感じてしまうような世の中が、今後予定されているように感じてしまうのは、老婆心なのであろうか。意識されない不安は、意識されていないだけに、幸福でもあり、危険でもある?