名湯百選(めいとうひゃくせん)の湯 草津温泉
名湯百選(めいとうひゃくせん)は、NPO法人健康と温泉フォーラムが、温泉療法医がすすめる温泉として選定した日本の温泉の一覧。百選とされているが、実際の件数は79件(「繋・鴬宿温泉」のように複数の温泉が並記されているものを別々に数えても92件)である。草津温泉(群馬県)群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことで林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つである。北西部には、草津白根山(白根山〈2,160m、湯釜〉・本白根山〈2,171m〉・逢の峰〈2,110m〉)が聳えている(上信越高原国立公園)。上毛カルタの「く」の札に、「草津(くさづ)よいとこ薬の温泉(いでゆ)」と歌われている。草津の読み方は「くさづ」。泉質 草津温泉の湯は基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)である。場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられる。酸性が強くpHは2前後である。この強酸性のために下流の品木ダムには酸性中和施設がある。適応症は皮膚病・神経痛・糖尿病ほか。草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。降ってから数ヶ月から数年の比較的新しい地下水が主体となっており、湧出量は直前の降水量の影響を強く受けている。また、白根山の山頂に近いほどpHが低く、含有成分も変わる。源泉 源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほか、ホテル等が所有している小源泉も多数存在する。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も摂氏50-90度前後と高い。万代鉱温泉はラジエーターを使い高い湯温を下げて配湯している。時間湯では昔から草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板と言う)で温泉をかき回し、湯温を下げるのが特徴的な「湯もみ」が行われる(現在も、観光客向けに実演する施設があるほか、2箇所の共同湯では湯治の一環として行われている)。ちなみに、草津節は草津温泉最古の共同風呂「鷲の湯」が発祥の地である。1975年に万代鉱源泉の利用及び町による管理配湯が始まってからは多くの小規模源泉が破棄された。主な源泉 湯畑(ゆばたけ)温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲がロータリー状に整備されている。デザインは当時の町長のホテルに投宿した岡本太郎が手がけ、工事の際に昔の囲いは撤去された。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも数少なく、夜間のライトアップで湯畑を演出する催しも期間限定で行われ、観光客の目を楽しませている。最後の滝になって落ちる箇所には、かつて「大滝乃湯」(現在は町営温泉施設の名にされている)と呼ばれる共同湯があり、1960年頃に取り壊されるまでは草津で唯一、番台のある「滝の湯」があった。温泉街には熱の湯、地蔵(じぞう)の湯・白旗(しらはた)の湯・煮川(にかわ)の湯、千代の湯など大小様々の源泉がある。しかし、千代の湯源泉は当時の町長(上記同人)時代に取り壊された結果、源泉は隣接する大阪屋旅館地下に湧出。そのため、その後は湯畑から引湯している。なお、湯畑をはじめとする草津温泉の各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、それはイデユコゴメなどの温泉藻である。白旗(しらはた)湯畑からお寺の階段方向に向かった隅に白旗湯畑がある。源頼朝が発見したと言い伝えられている源泉である。湯畑横の共同浴場「白旗の湯」では気軽に楽しむこともできる。西の河原(にしのかわら)別名:賽の河原(さいのかわら)温泉街西側の荒原地帯に湧く源泉の総称で、一帯には遊歩道が整備されて気軽に温泉が湧出する様子を観察できるようになっている。多くの町民も西(にし)を(さい)と誤読しているが、ここには町営の「西の河原露天風呂」がある。ここの湯は後述する万代鉱源泉から引いたものである。 賽の河原はここと、地蔵地区と2箇所をそう呼んだ。どちらも地蔵がある。以前は西の河原の向かって右の河原にはチャツボミゴケ(地元では見た目でマリゴケと呼んでいた)が生息していたが、一時期の開発の影響により現在は見られない(奥草津に見ることができる)。綿の湯(わたのゆ)お好み焼き屋の下より湧き出る源泉で、主に別荘地に給湯される。共同湯でこの源泉を引湯しているものはない。熱の湯(ねつのゆ)湯もみショーが行われる湯小屋の湯船の底に今でも直接湧いているが、現在は白旗源泉を使用している。千代の湯源泉は隣接する大阪屋旅館の工事のさいに敷地内(現在の同旅館売店地下)から湧きだしてしまったが、現在も復旧することなくそのままになっている。地蔵の湯(じぞうのゆ)湯畑から少し入った所にあり、側には名前の通り地蔵堂がある。2006年4月に建て替えられた。ここには足湯、共同浴場と共に湯治専門の時間湯もある。ゆりかご橋西の河原の上流部に時折湧き出る源泉。近年はほとんど湧出しない。万代鉱(ばんだいこう)1970年に硫黄鉱山の坑道から噴出した新しい源泉で、標高の高い地域では主にここから湯が引かれている。摂氏90度以上と非常に高温で熱交換により湯温をさげている。このとき生じる高温の真水は消雪などにも利用されている。「万代持ちますように」との縁起を担いで名付けられた鉱山だが、温泉の噴出を抑制できなかったことや、硫黄鉱山の需要低下[3]もあって廃坑となった後は、小殺生地区に垂れ流されていた。しかしながら近年の技術の進歩と多大な努力により有効に活用されている。現在、草津の町に入ると近隣の山の中腹でジェットの如く高く蒸気を吹き上げている箇所があるが、それが万代鉱の源泉である(犠牲者が出たため源泉地区は立ち入り禁止)。pH1.7で含有する成分も多いが、肌の弱い体質の場合は、体に影響をおよぼす恐れがある。溢れ出た湯は湯川の上流で派手に蒸気を噴き出しつつ投棄されている。香草(かくさ)pH1.0-1.2で有効な含有成分も多く玉川温泉と双肩する強酸性泉で、かつては一井旅館の別館が引湯していた[4]が、湧出地点があまりにも奥地でかつ湧出量も僅かであるため現在は使用されていない。川原から今も湧き出ていて野湯ファンが訪れることもあるが、向かうには遊歩道を外れ川や滝を登らなければならない。エルヴィン・フォン・ベルツが発見したことや、当地での温泉まんじゅう発祥の「さいふ屋」がこの湯でまんじゅうをふかしていたという歴史がある。温泉街 泉地の中央に湯畑を中心とした古い風情の温泉街があり、それを取り巻くようにリゾート・ホテルやペンション、大滝の湯・西ノ河原公園・テルメテルメおよび温泉センターなどの温泉関連施設のほか、草津音楽の森国際コンサートホールや草津熱帯圏などの諸施設が位置している。また、草津白根山に面して草津国際スキー場がある。町外れには湯治に来て亡くなった人の無縁仏が多数ある。古いものでは明治年間の墓石もある。温泉を用いた医療施設として、群馬大学医学部附属病院草津分院があった(現在は閉院)。高血圧・喘息・リウマチなどの治療に温泉を使用していた。草津温泉の湯畑の木の樋を通して採取される湯の花は土産物としても知られている。プラスチックのねじ込みの円錐状容器に赤文字で「湯の花」と筆書体で印刷され、1,500円程度で販売されている。2,3ヶ月に一度、僅かな量しか出荷されないことからすぐに売り切れてしまう場合がある。内湯めぐり 草津温泉の旅館15軒が、「和風村」の名前で各旅館の内湯の日帰り入浴サービスを行っている。加盟している旅館で「通行手形」を購入することで利用可能である。共同浴場 町中に共同浴場が多く存在している。ただし草津温泉では昔から「めぐり湯」は「してはいけない」と戒められている。湯治場 草津温泉には古くから「万病に吉」として多くの湯治客が訪れてきている。温泉の保温効果に加えて、草津温泉の強酸性泉による殺菌作用、成分に含まれる硫酸アルミニウムによる収れん作用、皮膚の刺激作用により切り傷からハンセン病、梅毒、皮ふ病まで幅広い病を受け入れてきた。また草津温泉独特の入浴法として「時間湯」がある。温泉の成分を出来る限り変化させずに入浴する為に熱いお湯を水で薄めずに湯もみ板で湯をもみ、湯長の号令で一斉に入浴し、3分間の入浴を行う。最盛期には熱の湯、白旗の湯、松の湯、千代の湯、鷲の湯、地蔵の湯の6湯で行われていたが、現在は千代の湯、地蔵の湯の2湯で行われている。草津温泉の温泉宿一覧