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カテゴリ:国内外旅行
利根大堰の上に架かる武蔵大橋を渡り群馬県に向かう。 車道は片側1車線で車線幅は、大型車がミラーをたたまずになんとかすれ違いできる程度。 歩行者、自転車用通路は狭く片側のみ。自転車の乗ったままのすれ違いは不可能? 利根川上流側。 群馬県側からの利根大堰の姿。 何故、利根大堰の上の武蔵大橋を渡る国道20号線は群馬県側でT字路の 突き当たりになり左折しU字型の急カーブになっているのであろうか? そして茂林寺の駐車場に車を駐め総門に向かう。 他の観光客の姿は全く見えなかった。 茂林寺の総門。茂林寺は「分福茶釜」で有名な曹洞宗の寺。 青龍山茂林寺宝物縁起には、「元亀元年の夏、当山七世月舟和尚の代に千人法会があり、 適当な湯釜がなく寺で困っていたとき、代々の住職に仕えた守鶴和尚が、 一夜のうちにどこからか一つの茶釜を持って来て茶堂に備えたと。 ところがいくら湯を汲んでも湯がなくなることはなく、この不思議な茶釜を 守鶴和尚は自ら紫金銅分福茶釜と名付けられた。守鶴和尚はその後十世天南和尚の代まで 百六十年間当山に降りましたが、天正十五年二月二十八日、漂然と寺を去り行方が わからなくなったと。後世、守鶴和尚を狸の化身と伝えるものがあり、 現在のお伽話となった」と。 そして現在の「お伽話」 総門から山門に向かう参道の左右には幾つものお狸様が並んでいた。 これだけ並んでいるとちょっと異様。 色々ユーモラスな表情をしたタヌキの像が両側に立って出迎えてくれたのであった。 茂林寺の山門(三門?=三解脱門)。 茂林寺らしく大きな狸の像が立っていた。さすが東武鉄道の寄進。 茂林寺のサワラ。 樹高 27m、目通り幹囲 5.3m、推定樹齢 伝承300年弱と。 守鶴堂。茂林寺に功績のあった守鶴和尚を祀ったお堂。 茂林寺の本堂。 曹洞宗なのでご本尊は釈迦牟尼仏。 境内の枝垂れ桜の老木も見事な姿であった。 「茂林寺」と黄金色で書かれた扁額。 本堂は 藁葺屋根の建物。 応仁2年(1468)に建立され、享保12年(1728)に改修されたと。 客殿と社務所。 社務所には「木曜日はお休みです」の張り紙が。 ご朱印もお休みしますと。残念!! 群馬県指定の天然記念物茂林寺ラカンマキ。 高さは14m。ラカンマキは葉先がとがっているため、魔よけとして ヒイラギとともに1426年に植えられたもので、樹齢は591年。 群馬県内では最大のラカンマキであると。 聖観音像。 「聖観音」は、江戸神田鍋町の太田久右衛門(藤原正儀)が鋳造し、高瀬善兵衛が 元禄三年三月二二日元禄3年(1690)に寄進したもの。 上野国館林村大窪荘の高瀬善兵衛の娘が元禄元年(1688)に病没し、その供養の為に 造られたのだと。 参道の両側に並ぶタヌキたち、全部で11対22体並んでいた。 それぞれ姿にちなんだ句がつけられていた。 狸群像一体一句遊吟。 「これはこの濁酒の酔いの明るさに」 「やや少し化けのこしたり安居前」 「春浅くなお化けきれぬ尾をかつぐ」 何と言ってもおみやげは陶製の狸。 茂林寺総門前の土産物屋には、店中にタヌキの置物がずらりと並んでいて壮観。 狸は災いをよけ、子宝に恵まれ、「分福」の名の通りに幸福を分けると考えられ、 会社や住宅の新築祝いに、候補に飾ってある高さ1メートル以上の品を購入する人もいると。 参道沿いの別の店も。 まん丸の目に、ふっくらした頬や誰かに似たお腹。 2本足で立って笠をかぶり、とっくりを右手に握っていたり、狸が茶釜に化けて 恩返しする昔話にちなんで茶釜に化けていたりと、どれも愛嬌たっぷり。 表通りからの入口付近に「青龍山 茂林寺」と刻まれた寺標。 この右手は我々が車を駐めた駐車場。 数軒の土産物屋さんが並んでいたがここにも観光客の姿は殆ど無し。 最後に久喜市のラベンダー堤を訪ねたが花は既に終わり、来年に向けた手入れが 行われていた。 そして帰路へ。国道122号線・昭和橋で利根川を渡り切った場所にあった 道の駅「はにゅう」で遅い昼食を。 帰路は私の運転で、「白岡菖蒲」ICから首都圏中央連絡自動車道(圏央道)を 利用しひたすら走り、約2時間で我が家に到着したのであった。 ブログの引っ越しを行いました。 以前の『JINさんの陽蜂農遠日記』は下記にアクセスお願いします。 https://plaza.rakuten.co.jp/hitoshisan/
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