テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:本
このごろ、毎日のようにニュースで紅葉中継をやってるよね。
おとといだったか、少し気になったのが男のアナウンサーが 「まだ真っ赤に紅葉してなくても薄い色も風情がありますね」なんて風に言ってたことなんだ。 この薄い色というのは「黄色」とか「茶色」とかの色のことを言ってるのじゃないかと思ったんだ。 辞書によると 『紅葉』 ○秋になって葉が紅色に変わること。 ○また、その葉。 ○葉緑素がなくなり、アントシアンなどの色素が蓄積して起こる。 ○黄葉を含めていうこともある。 ○もみじ。 辞書って凄いよね。 この五つの意味でちゃんと説明してあった。 そういうわけで『こうよう』って言葉はあいまいなんだよね。 「紅葉(もみじ)がみごとに紅葉(こうよう)する」なんて文章も、別に普通に正しい日本語なんだもんね。 近所の紅葉がみごとに紅葉してた(^^♪ 「こうよう」と言えば「秋になって葉が紅色に変わること」と云う意味で言うこともあるし「黄葉を含めていうこともある」、の方で使うこともあるんだけど、この辺が微妙なもんで、あの男のアナウンサーの言葉に違和感があったりするんだよね。 『錦秋』って言葉がある。 辞書によると 「紅葉が錦(にしき)の織物のように美しい秋」 この『錦秋』は「黄葉を含めていうこともある」方の『紅葉』だと思うんだよね。 赤や黄や茶や緑が錦のように入り乱れてる様を想像しちゃうんだ。 宮本輝さんの小説『錦繍』の意味には、織物などの意味もあるけど、『錦秋』と同じ意味も持ってるらしいんだよ。 『錦繍』の中の亜紀の最後の手紙のなかに出てくる京都山科の料亭「しの田」の庭からの風景描写を書くね。 ”何百種もの朱色が、何百種もの黄色が、そして何百種もの緑色や茶色が、秋の陽の中で踊り騒ぐように動いてるさまを見ながら、私は父に、勝沼と別れたいと言いました。” 亜紀の最初の手紙の蔵王のドッコ沼からダリア園へ下りるゴンドラからの描写も書くね。 ”全山が紅葉しているのではなく、常緑樹や茶色の葉や、銀杏に似た金色の葉に混じって、真紅の繁みが断続的にゴンドラの両脇に流れ去って行くのでした。それゆえに、朱い葉はいっそう燃えたっているように思えました。何万種もの無尽の色彩の隙間から、ふわりふわりと大きな炎が吹きあがっているような思いに包まれて、私は声もなく、ただ黙って鬱蒼とした樹木の配色に見入っておりました。” どちらも、ため息が出るほど素敵な文章だよな…。 僕は、真っ赤な「こうよう」ってあんまり興味ないんだよね。 『錦繍』に輝さんが書いてるような「こうよう」が好きだ! 昔、長野県の諏訪で見た「こうよう」がそんなだった。 また、あんな凄い「こうよう」を見たいと思う。 でね、↓の写真なんだけど、これは輝さんの『錦繍』の新潮社のハードカバー本のカバーの絵なんだ。 これ、「みごとに紅葉した紅葉」の絵だよね。 この絵だと、もみじの「葉が紅色に変わること」だよね。 これは輝さんが『錦繍』のなかで書いてる「紅葉」とは違うと思うんだよ(^^ゞ 綺麗な絵だけど、これ、違うと思うんだよなぁ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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