カテゴリ:社会科(地理・歴史)
おとといの「その時、歴史が動いた」は間宮林蔵の生涯だったんだ。
間宮林蔵って、サハリンと大陸との海峡を発見した人で世界の世界地図に「間宮海峡」という名前を残してる人で有名な人だよね。 でも、間宮林蔵がどういう経緯で間宮海峡を発見したかなんて全然知らないから興味があって観たんだ。 実は僕は間宮林蔵って人に、あんまり良い印象がなかったんだよね。 てゆうのが僕は昔、吉村昭さんの『ふぉん・しいほるとの娘 (上・中・下)』という長い小説を読んだんだよね。 シーボルトの娘イネの物語で、この本でイネとシーボルトに思い入れを持っちゃってたもんだから、シーボルトが伊能忠敬の伊能地図を国外に持ち出そうとした事を間宮林蔵が幕府に密告して多くの人が死罪とかの処分を受けたことがなんか嫌だったんだ(^_^;) でもね、この番組を観て間宮林蔵の気持ちが分かったんだ! 間宮の探検は想像を絶する過酷なもので、ほとんど生涯をかけて北海道や北方4島やサハリンの測量をやったんだよね。 幕府の人間だった間宮だから幕府の命令だとはいえ一生を極寒の地で過ごしたようなものなんだ。 しかも、びっくりしたのが大陸のアムール川の上流の方に、何処かの国の出張所みたいな事務所があることを聞きつけ、言葉も通じない大陸の内陸部の方まで行くんだ。 元々幕府はロシアからの侵略を恐れての北方の調査をしてたわけだから、間宮はその何処かの国の事務所がロシアの物か何処の国の物か調べることが必要だと思ったんだ。 間宮は言葉の通じない何処の国の人かも分からない人たちに殺されそうになりながらもその事務所にたどり着き、その事務所が清国のものだと知り、そこの清国人と筆談をして、ロシアの脅威はまだもっと遠いところまでしか及んでないことを突き止めるんだ。 すごい人だと思ったよ。 アイヌ語も漢文もあやつれたんだそうだ。 間宮は亡くなる前に、自分の持ってたすべての資料を処分したんだって。 それは、自分の死後、日本にとって重要な北方の資料が外国に持ち出されることを恐れての事なのだそうだ。 だから間宮の持ち物で残ってたのは硯が一つだけだったんだって。 なんせ、仕事以外の私物は着物が一着だけってんだから仕事が生活のすべてだったんだろうな。 そんな話を聞いたら、シーボルトが日本地図をオランダへ持ち帰ろうとしたことを幕府に知らせたのは当然すぎることだと思うよな。 間宮の部屋には地図やら書物やら地球儀やら天球儀まであったっていうから処分するのは、とても辛かったと思うよ…。 間宮林蔵って人は間宮海峡を発見した、とっても偉大な人だったって素直に思えるようになって、この番組を観て良かったと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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