カテゴリ:社会科(地理・歴史)
土曜日も、もう夜遅くなってからの事”「蒲生野」ってどこだろう?”と思い立った。
額田王(ぬかたのおおきみ)が中大兄皇子(なかのおおえのみこ・天智天皇)の前で歌った有名な歌があるでしょう。 あかねさく むらさきのゆきしめのゆき のもりはみずや きみがそでふる ってやつ!(^_-) それに返した大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)の歌がこれ↓ むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに われこひめやも 近江京(おうみのみやこ)に天皇の宮があった頃、朝廷のみんなで「蒲生野」というところに泊りがけで遊猟に行ったときの夜の宴会のときに歌った歌なんだ。 この二首がどうして、こうも有名かというと額田王は元大海人皇子の奥さんだったのが、この時は中大兄皇子の奥さんなんよね。 それなのに、お昼の狩りのときに、額田王が前夫の大海人皇子と逢ってたって噂がたって、中大兄皇子の目の前で額田王が上の歌を詠んで、それに大海人皇子が下の歌を返したんだ。 どっひゃぁ!って歌なんだよね! 最高権力者である夫の目の前で、額田王は 「番人が見てるのに、あなたは愛情をこめて手をふるの」と詠み 「美しいあなたが人妻と分かってても今でも恋してる」って大海人皇子が返してるんだもんね。 って、僕は古文が読めないし、ちゃんと調べて訳したわけでもないので、間違ってたらごめんなさい。 早く古語辞典を買わなくちゃ…(^_^;) このあいだの記事永井路子著『茜さす』を読んで…。で、この『茜さす』って本が大好きになって今再読中だって書いた。 この永井路子さんの本のタイトル『茜さす』は額田王の、この蒲生野で詠んだ歌のことなんだ。 『茜さす』の主人公のなつみは、この額田王の歌のことを大学の万葉集のゼミで報告するんだけど担当の岡崎助教授に、かなり突っ込まれてしまうんよ。 この額田と大海人の歌は宴の歌かも知れないって岡崎助教授に言われて、もっとロマンチックに考えていたなつみは面白くないんよ。 で、なつみは、この蒲生野での二人の気持ちをいっぱい考えてるうちに鵜野讚良皇女(うののさららのひめみこ・持統天皇)のことに思い至るんよ。(※鵜は字が違うけど正しい字は&#文字で表記できませんでした(>_<)) 「ああ、私忘れてた」ってね^^ 額田と大海人の事ばかり考えてたけど、蒲生野には讚良も一緒に行ってたのに違いない。 大海人の今の奥さんの讚良はどう感じたのだろう?ってなことを考え出し、なつみの興味は讚良へ讚良へと向っていくんよ。 途中からはやたら「持統さま」って言葉が出てくるもんな(^。^) で、その「蒲生野」なんだけど滋賀県蒲生郡蒲生町という地名を僕は昔から知ってた。 アマチュア無線で市郡を追いかけてたから、地名にはやたらと詳しい僕なんよ。 で、土曜日の夜中に地図で蒲生町を探したら、これが無いんよ(>_<) 蒲生郡は竜王町と日野町と安土町の名前はあるんだけど蒲生町が見当たらないんだ。 平成の大合併で、かなり大幅に自治体の統合と地名の変更が行われてしまったようだ。 で、旧蒲生郡蒲生町は現在の東近江市の一部になってることが分かった。 で、この東近江市は旧八日市市も含み、大きな市になってる事も初めて知った。 八日市市がいつのまにか消滅してたことにも驚いたけど、東近江市という大きな市が出来てることにもびっくりしたよ。 そこで、「蒲生野」というのがどこになるのかを調べたら、舟岡山と瓶割山と雪野山と布施山に囲まれた一帯だということが分かったんよね その一帯は、蒲生郡安土町の一部、旧蒲生郡蒲生町の一部、それと旧八日市市であることが分かった。 つまり、「蒲生野」はだいたいは現在の東近江市内に含まれるのが分かった。 でね、その「蒲生野」に行ってみたくなったので日曜日の朝早く行こうと思ったんだけど、いかんせん「蒲生野」調べを夜中過ぎまでやってたもので、起きたらもう昼前だったんだ(>_<) 「蒲生野」だけ調べれば良いものを、地名の変遷まで気になって古地図と新地図を並べて、どの部分がいつの時点でどうなったかを一々確認したりして没頭してしまったんだな、これが(^_^;) しかも日曜日は一日雨で、行かなきゃいいのに、思い立った時に行かなけりゃ、二度と行けないのではないかという強迫観念に襲われるんだよなぁ…。 で、お昼に出発したんだけど、今、名神高速道路は工事中だってことをすっかり忘れてて大渋滞してたんだ。 そんなんで、なんやかんやあって、蒲生野に着いたときは、小雨の夕方という最悪の結果になってしまったんだ(>_<) まず舟岡山に「万葉歌碑」があるということなので、そこに行ってみた。 ↓どの写真もクリックすると大きくなるよ。 これ、もう夕方だし小雨まじりだったんだけど、とっても綺麗だったよ。 写真じゃ分かりづらいだろうけど、これ、めちゃくちゃでかいんだ! 陶製のタイルで作った絵だと思う。 ちゃんと額田と大海人の歌が書いてあった。 するってぇと、この絵の馬上の二人は大海人皇子と中大兄皇子だな。 で、二人の女性は額田と、あとのもう一人は誰なんだろう? やっぱ讚良なんだろうか? そうか、仲良く薬草を摘んでる感じは額田のお姉さんの鏡王(かがみのおおきみ)かもな…? 里中満智子さんの『天上の虹』の物語の中では「蒲生野」の出来事はもう少し複雑なんよね。 蒲生野で逢ってたカップルは額田と大海人以外にも実はもうひと組あって、それは十市皇女(とおちのひめみこ)と武市皇子(たけちのみこ)のカップルだったんだ。 十市皇女は大友皇子(おおとものみこ・弘文天皇)の奥さんであり、額田と大海人とのあいだにできた娘なんよ。 で、武市皇子は大海人の長男なんよ。 で、大友は中大兄の息子なんだよな。 そんなんだから、こちらの方の二人も、カップルで居たとなっちゃぁ中大兄にとっちゃぁ許されないカップルだもんね。 で、讚良は噂になってる密会のカップルがどっちのカップルか分からなかったので、武市と十市を守るために額田と大海人の密会のことを宴会の席上でばらしちゃうんよ。 讚良としては、若い武市と十市では切り抜けられないピンチでも、賢い額田と大海人ならなんとかするだろうと踏んだわけだ。 そして讚良の思惑どうり、額田と大海人はこんな歴史に残る素敵な歌を詠んで宴会の余興みたいにして切り抜けちゃったんよね(^^♪ ひゃー!やっぱ『天上の虹』は面白いよ!(^_-)-☆ だけど、この事で中大兄も大海人も十市も武市も讚良も、いっぱい思い悩んでしまう事になるんだけど額田だけは泰然自若としてるんだよね(^_-) で、舟岡山に行ったあと、もう日も暮れかかってたんだけど、せっかく来たのだから「蒲生野」と呼ばれてるところの真ん中辺を目指して舟岡山と瓶割山と雪野山と布施山に囲まれた真ん中辺に行ってみた。 そこから四方の山の方を写してみた。
晴れた日の昼だったら綺麗だったと思うけど、「なんじゃこれ?」みたいな写真だけど、でもここが蒲生野なんだ(^_^;)
ここから見渡せるどこかで、大海人皇子は額田王に手を振ったんだろうな。 名神高速道路から近いことだし、またいつか晴れた日に来ようと思う。 なんせ、前日の夜中に急にまったく知らないところへ行くと決めたものだから、下調べを何もしてなくて情報不足だった上に到着したのが日暮れ前だったので、なんとももったいない蒲生野行きになってしまった。 でも、行きたくなってしまったんだからしかたがないわなぁ(^^ゞ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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