カテゴリ:社会科(地理・歴史)
このあいだの『蒲生野』の記事に蒲生野に着いたのは、なんやかんやあって夕方になったと書いたんだけど、そのなんやかんやを書くね。
名神高速道路に吹田JCから乗ったんだけど雨はしっかり降るし名神は現在長期の工事に突入してて大渋滞してたんだよね(>_<) で、渋滞を抜けるのに90分もかかるってんだから、もう止めようと思ったんだ。 トイレにも行きたくなったし名神を走り続けるのが無理なことだけは確実になっちまったんよ(>_<) でね、そこで思いついたのが大山崎JCから京滋バイパスに入って宇治に行ってやろうってことだったんだ。 そっ、完全に予定変更!(^^ゞ って言うのが宇治橋という古代からある橋の事を思い出したんよ。 「壬申の乱」の前に大海人皇子は出家して近江京(おうみのみやこ)を脱出するんだけど、その時に宇治橋まで赤兄(あかえ)と金(こがね)に見送られるんよ。 日本書紀によると 巻二十八・天武天皇・大海人皇子吉野入り 十九日、吉野宮に入られることになった。左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連および大納言蘇賀果安臣らがお見送りし、宇治まで行き、そこから引返した。ある人が言った。「虎に翼をつけて野に放つようなものだ」と。 つまり古代においては宇治川を渡るのは宇治橋しかなかったし、この宇治橋を渡るときが大海人皇子が翼をつけて放たれた瞬間だったんだと思うんよ。 ↓宇治橋~!(^。^) (どの写真もクリックすると大きくなるよ) ここは宇治橋の東詰だから近江京から来た大海人皇子一行は、ここで大友皇子方の赤兄や金連と別れて橋を渡って明日香を目指したんだ。 この橋を渡ったところに大伴馬来田が用意しておいてくれた馬があり、大海人皇子たちは明日香までの残りの60キロを4時間で駆け抜けたそうだ。
で、ここから近江京を目指すことにした。
つまり大海人皇子の近江京脱出の逆ルートってわけだ。 カーナビに従って行ったんだけど、帰ってから車で走ったルートを地図で確認したら、大海人皇子の脱出行のルートとほぼ近い道になってたよ。 ただ、最後に京都から大津に抜ける国道161号線西大津バイパスの長等トンネルは1700年前にはなかったので、この部分だけはかなりのショートカットになってしまってた。 この長等トンネルの部分は、小関越えといって、奥藤尾を通るルートが古代の道だったらしい。 ちなみに永井路子さんの小説『茜さす』で主人公なつみが近江京から明日香を目指して歩き出してすぐにダウンしてしまったのはこの部分なんだ。 ここをクリックしてもらったら小関越えの部分のグーグルマップにリンクするよ。 地図中央の「奥藤尾公園」の下を東西に抜けてる道が「小関越え」だよ。 その上の国道161号線西大津バイパスが僕が車で通ったルートなんだ。 近江京の場所は京阪近江神宮前駅(上のグーグルマップだと地図の上の端)をめざせば簡単に行けるけど、車を停めるのは電車道の西側100mほどのところを南北に平行に通ってる県道47号線を北へ200mぐらい行ったところの東側に「大津京シンボル緑地」というのがこしらえてあるので、そこの駐車場に停めると良いよ。
「近江大津宮錦織遺跡」は第1地点から第9地点まであるんだけど、そちらのレポートは長くなるので次回にするね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月23日 20時18分47秒
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