カテゴリ:社会科(地理・歴史)
ももづたふ 磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ 万葉集 巻第三 四一六 大津皇子 「磐余の池に鳴く鴨を見ることも今日限りで、私は雲の彼方に去ってしまうのだろうか」
大津皇子が自殺させられた、この磐余(いわれ)の池跡は天香具山の東北800mほどのところにあるんよ。 南阪奈道路が出来たおかげで、驚いたことに、この場所まで、うちからたったの1時間で行けちゃったよ。 っていうか、あまりにも簡単に行けてしまってあいそなかったよなぁ…。 もうちょっと苦労して行き着きたかったよ。 ”はぁ~、とうとう大津の殺されたところへ来たよ”って感じになると思ってたのに、こんなんちょっと近所へ買い物に来たみたいやん(^_^;) 大津皇子は謀反が発覚して、この場所で自殺させられたんよね。 持統天皇が、息子の草壁皇子を次期天皇にするために邪魔な大津皇子を殺したって言われてる。 一年前に二上山の大津の墓に参ったときも単純にそう思ってた。 だけど里中満智子さんや永井路子さんの深いお考えをたくさん知るにつけ、「大津皇子の変」というのはそんな単純な事件じゃなかったって思うようになったんよ。 とりわけ蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)から続く、蘇我の娘たちの”血”のつながりの重たさは尋常なものじゃなかったんだろうって思うようになった。 それは持統サマのあとも元明天皇、その娘の元正天皇までも続くんよね。 そんなんだから、磐余の池跡に行ったあとに蘇我倉山田石川麻呂が建てて、自殺した場所でもある「山田寺跡」へまわったんだけど、それはまた次回に書こうと思う。 それでね、去年二上山に登ったのが、ちょうど一年前の今日六月一日だったんよ! なんか因縁を感じるんよね。
持統サマが「私の気持ちも分かってやってよ!」って僕に怨念を送り続けたのかもしれないな(^。^)
そもそも僕が古代に夢中になりだしたきっかけが2月に放送された里中満智子さんのNHKの番組「万葉 こころの旅」~悲劇の皇子と姉を追って~を見たことだったんよね。 その番組で磐余の池跡で里中さんが語った大津の気持ちが、なんか深く心に響いてしまったんだ。 今も大津が眠る二上山の写真をいっぱい撮ったので一部を載せるね(^^♪ ↓どの写真もクリックすると大きい写真にリンクするよ。
↓最後に「磐余の池跡」の地図を載せておくね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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