カテゴリ:社会科(地理・歴史)
春過ぎて夏来るらし白栲(しろたへ)の
衣ほしたり天の香具山 「春が過ぎて夏がやって来たらしい。白栲の衣が干してある天の香具山に。」 万葉集 巻一 二八 持統天皇 先月聞きに行った里中満智子さんの講演会で、里中さんはこの歌の情景を ”香具山の上に雪が積もってるのを見て詠んだ”っておっしゃったんよね。 寒い冬の雪の日に新しく出来た藤原宮の縁側から、まっ白に雪を被った香具山を見て、たわむれにこんな歌を詠んだんだって! 実は里中さんの漫画『天上の虹』の中に、持統サマがこの歌を読むシーンが出てくるんよ。 16巻44章「香具山」に出てくる↓ 「春がすぎて もう 夏が 来たようね」 「ほら 香具山にみつぎ物の布が干してあるわ まっ白に輝いてきれいだこと」 外は雪がしんしんと降ってるわけで、それを聞いたお付きの女官たちがびっくりするんよね。 持統サマがオカシクなった!って(^。^) 「おもしろいじゃない 雪を白布にみたてて… 」 「夏の日ざしが目にうかぶわ それだけで―― 「寒い」と感じてる気持ちを忘れそう」 これを聞いて女官たちは感心するんよね(^_^) なんかねぇ、この歌をそんな風に歌ったなんて考えもしなかったから、このシーンは印象に残ってるんよ。 だけど、のちに、この歌は実際の夏の情景を歌ったってのもどこかで読んでどっちなんだろうって思ってた。 里中さんはその時の講演会で、この歌にはいろんな説があるとおっしゃってた。 『天上の虹』の中の画には、実際の雪を被った香具山も、持統サマの想像の夏の陽ざしを浴びて衣がはためいてる香具山も画いてあるし、どっちゃでもいいんだけど、あの”持統サマがオカシクなられた”ってシーン好きだし、僕は里中説に乗っかろうと思う。 でね、日曜日に、せっかく香具山に登ったのに、この上の歌の歌碑を発見できなかったんだ。 香具山の北東側には「万葉の森」というのがあって、森の中にたくさんの歌碑があるんだ。 意地になって山中歩き回ったのに、違う歌ばっかだったんだ。 でね、山頂から裏に少し降りたあたりに、こんな看板があったんだ。 この看板に書いてあったのはこうなんよ↓ 春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ 天の香具山 ↑これ、一番上の万葉集の持統天皇の歌と少し違うでしょ。 これは『百人一首』に載ってるもので、持統サマの死後500年ほどたった『新古今和歌集』時代に変えられちゃったんだってさ。 そのことを、僕は永井路子さんの『よみがえる万葉人』という本で知ったんよ。 その中の「女帝サマはお腹立ち」って小題の文に書いてあったんだけど、その中に目から鱗の面白いたとえで「持統サマのお腹立ち」のことを書いてらっしゃるんよ↓ 持統サマ→「第一、あの『百人一首』とやらのかるたの絵は何です。私はあんなもの着てませんよっ」 ごもっともで。かるたの持統サマは平安朝の、いわゆる十二単衣姿だが、あれはまったくのまちがい。あのころだったら高松塚ふうでなくてはなるまい。あれでは江戸娘がジーンズスタイルで描かれているようなものだ。 ↑これは、うちにあった『百人一首』を引っ張り出してきてスキャンしたんだけど、ほんとだよね~! 持統サマがこんな姿をしてるわけないもんね! でも、”江戸娘がジーンズスタイルってのは言い過ぎとちゃうのん?”って思ったんよ。 で、計算してみたんだ。 持統サマが生まれてから平安遷都までの年数が 794年(平安遷都)-645年(持統サマ誕生)=149年 江戸時代の終わる明治維新から今日までの年数は 2009年ー1868年(明治維新)=141年 ねっ、計算してみたら、江戸時代から今日までの方が短いんよね。 それに、十二単衣なんてのは平安文化もかなり熟成してから出てくるような気もするから、もしかしたら江戸娘のシーンズ姿の方がまだましなのかも知れないよ(^。^) 確かに永井さんのたとえの「江戸娘がジーンズスタイル」ってのは言い得て妙だよ(^。^) 持統サマも、十二単衣なんか着るより、今のガーリーファッションみたいなのを着せられたほうがよっぽど嬉しかったんじゃないだろうか? でぇ、せっかく香具山に行ったのに香具山の写真がろくなのが無いんよ(>_<)
香具山の南側に降りたいので、道っぽいところを降りて行ったらいつのまにか道がなくなってしまって、この写真の中央あたりから出てきてしまったんだよね(^_^;) 畝傍山や耳成山はきれいな円錐形の独立峰なんだけど香具山は、なんだかダラっとしてて、こんなもんなんだよ。
で、香具山から、まっすぐ山田寺跡に向ったんだけど、また今度書くね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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