カテゴリ:社会科(地理・歴史)
一週間前に行った「山田寺跡」の事を書くね。
山田寺は蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)が発願して建てた寺なんだけど、石川麻呂は完成前の山田寺で自害してしまったんだ。 蘇我倉山田石川麻呂って人は、大化の改新のときの乙巳の変(いつしのへん)で、中大兄皇子や中臣鎌足(藤原鎌足)らと共謀した人物で、皇極天皇の前で石川麻呂が上表文を読み上げてるときに蘇我入鹿を暗殺する手立てだったんよね。 そんな仲間だったのに、その後中大兄ったら、石川麻呂が謀反を企んだってでっちあげて殺そうとしたんだ。 そのとき、京は難波京の時代だったから、みんな大阪にいたんだけど、石川麻呂は奈良の明日香の建設中の山田寺に逃げ帰り、そこで自害してしまうんだ。 蘇我倉山田石川麻呂は、中大兄皇子の妃であり持統サマのお母さんである遠智娘(おちのいらつめ)の父親なんだよ! ひどいよね(>_<) 持統サマのお母さんの遠智娘は、父親を夫の中大兄皇子に殺されたこの事件で頭がおかしくなって死んでしまうんよ(^_^;) この時、持統サマはまだ5歳だったんだけど、その頃は妻訪婚(つまどいこん)だったから、持統サマは石川の家に居て伯母の姪娘(めいのいらつめ)らと住んでただろうし、おじいちゃんとお母さんを死に追いやった、よそに住んでる父親の中大兄の事をどう思ったんだろうな…。 蘇我倉山田石川麻呂が謀反を起こした罪人になったのに、この山田寺が完成したのは、持統サマの力が大きいといわれてるんだって。 持統サマにとっても、姪娘の娘の元明天皇(阿閇皇女)、その娘の元正天皇(氷高皇女)にとっても、自分たちが蘇我倉山田石川麻呂から繋がる蘇我の娘である思いは強かっただろうし、この山田寺は心のよりどころだったんじゃぁないだろうか。 最近はそんな思いがつのってたもんだし、山田寺跡にはちょっと行ってみたかったんだ。 それとね、『茜さす』の主人公なつみは、鎌倉の自宅で朝起きて、新聞の朝刊に山田寺の発掘のニュースが載ってるのを見て新幹線に飛び乗って明日香へ向かうってエピソードがあるんよね。 「最古の木造建築遺構出土 1300年前の飛鳥・山田寺」 小説の中の新聞の一面に↑の見出しが載ってる。 明日香資料館には、その日の各新聞社の一面の紙面が壁に飾ってあった。 ”ふぁ~!なつみはこれを見て鎌倉から、明日香まで飛んできたんだ!”って、そんな新聞にも感動したりして…"^_^"
連子窓ってどんなのか、実は読んだときは分からなかったんだけど、こんなだったんだ! ここに現物は飛鳥資料館に展示してあるって書いてあったから、このあと飛鳥資料館へ向かった。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[社会科(地理・歴史)] カテゴリの最新記事
|
|