カテゴリ:社会科(地理・歴史)
読んだら絶対損するいつもの雑文なり。
古代の日本は妻問婚(つまどいこん)だったって事は、昔から知ってたけれど、最近永井路子さんの本をいろいろ読んでるうちに、漸くその本当の意味が分かってきたように思うんだ。 きっと、こんなのは常識だと思うんだけど、僕の中であまりにも古代の風景が変わってしまったので、その風景を書こうと思う。 妻問婚というのは、男が結婚した女のところへ通うって結婚なんよね。 でね、その結婚形式自体は、まぁ、ある意味ただの別居婚と考えればどうってこともないんだけど、問題は生まれた子供の事なんよ。 その子供はどこでどう育てられ、その財産や地位はどうなるのか。 で、答えは、子供は母親の家で育てられ、母親の兄弟姉妹や、その家に養育義務があり、それゆえに母親の財産を受け継ぐんだって! で、父親からは地位を受け継ぐのだそうだ。 って、超簡単なことなんだけど、子供が母親の家族の中で教育されて大きくなるって事の意味って凄いって思わない?! その子供は父親本人や父親の家の考え方には染まらずに、母親と母親の家の考え方をするようになるよね。 それに、生んだ母親にとっては、子供は自分の子供であり自分で育てるのだから、可愛いしいっぱい愛情を注ぐでしょ。 でもね、男性にとっちゃぁ、自分の子供ったってよその家の子供なんよね。 自分の家には姉妹たちの子供たちが居て、その子供たちの養育義務もあるんだから、もしかしたら、自分の子供よりも甥や姪のほうが、いろんな意味で近い存在じゃぁなかったのかと思う。 天皇の後継について、しょちゅう混乱が起こってた飛鳥時代奈良時代ってのも、当然かなっ!って思えちゃう。 だって可愛い甥っ子や姪っこと違って、よその家に居る息子に地位だけ譲るなんて、なんか不自然だもんね。 だから天智天皇の「不改常典」とかって、めっちゃたいそうな決めごとみたいにして皇位は父から子へって定める必要があったんだろうね。 妻問婚の下での父子継承なんてのは、人情としては不自然だし、その都度、殺し合いをしてたってぇのが奈良時代までの歴史だって気がするもんな。 いわば、今の外孫内孫が、そっくりそのまま入れ替わったようなものなんだろうな。 だからね、父子継承ってのはよその家の子供に継承することだけど、兄弟継承ってのは、自分の家の中の者への継承だもん自然だったんだろう。 子供たちを養育してるのは、お母さんの兄弟の伯父さんなんよね。 ってぇと、天皇が崩御したときに、伯父さんが実力者だったら、よその家の天皇の子供よりも、天皇の兄弟である甥や姪に継承させたくなるのは自然だろうね。 たとえば超実力者っていうか、もう日本の大王だったかも知れない蘇我馬子の甥や姪が3人も続けて即位したってのも、なんか分かるんよ。 用明天皇、崇峻天皇、推古天皇って、みんな子供の頃から馬子伯父さんに扶養されてたんだろうからなぁ。 いわば、皇后になるって事は、天下を取るようなもんなんだ。 だって天皇の子供を自分の家で育てられるんだもん。 だから皇后は皇室の人間じゃなくちゃなれないって決めごとがあったんだろうな。 長屋王っているじゃない。 高市(天武の息子)と御名部(天智の娘)との間にうまれた人。 この人の奥さん吉備は、元明天皇と草壁(天智と持統の息子)の娘なんよね。 木簡がたくさん発見されて、この長屋王の館だったって言われてる所があるでしょ。 長屋王は謀反の疑いをかけられ、この長屋王の館で自害させられるんだけど、この時、吉備も吉備の3人の息子たちも殺されるんよ。 でね、この長屋王の館は、実は吉備の館で、そこに通ってた長屋王が、そこで執務を行ってたって説があるんよね。 この説なんかも妻問婚で考えたら、さもありなんだし、本当の目的は吉備と吉備の子供たちじゃぁないかとも思えるんよ。 なんせ、吉備の子供たちにとって、元正天皇は叔母さんだし、その母親は元明天皇で、もうバリバリの女系血筋の末端に居るわけで、藤原一派にとっては、長屋王以上に邪魔だったかも知れないもんな。 長屋王の奥さんである藤原不比等の娘の長娥子と長娥子の子供たちなんか、蚊帳の外だし、息子の山背なんかのちに出世もしてるもん。 長屋王の変は藤原四兄弟がしかけたわけだし、長屋王の子供だといっても、自分たち藤原の子供である長娥子の子供は身内なんだよ。 それと、文武、元明、元正、聖武、孝謙って継承するとこがあるでしょ。 これなんか、子供は母親の家で育つって目で見たら、聖武天皇のところで、天皇の血筋は見事に藤原家に行ってしまってるのが見えるんだよね。 元明にとって、文武も元正も我が子だけど、文武が藤原に妻問して藤原の宮子に生ませ藤原家で育つ聖武なんか、完全によその子だったと思うもん。 だからねぇ、男系だって言ったって、妻問婚の下での男系なんて、とっても危ういし、精神的には、かなり女系だったって気がするんよね。 母親から子供への継承は自然に出来るけど、父親から子供への継承は、いつでもややこしい事になってると思うもん。 だからね、女帝が良いんよ! 女帝だったら、自分の家で育てる自分の子供に皇位を継承するという当たり前の事が初めて出来るんよ! 古代って、建前は男系だけど、けっこう女系だったって気がするな。 で、推古天皇から称徳天皇までの天皇の男女別の人数と在位期間を表にしてみたんだ。
ねっ!人数ではタメで在位期間では女帝のほうが2年勝ってるんよ! よく女帝は繋ぎのように言われたりするけど、古代においては、女帝のほうが自然な形だったのかも知れないなんて思えるんよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月18日 01時58分18秒
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