テーマ:神社(398)
カテゴリ:社会科(地理・歴史)
昨日書いたユニクロの話はこのユニクロなんだ↓
↑どの写真もクリックで拡大。 写真の右に見えてるビルにユニクロのロゴが見えるでしょ。 このビル、「岸和田カンカンビベイサイドモール」ってところなんだ。 で、写真の左に見えてるのが「浪切ホール」。 手前の道が府道29号線・通称「臨海線」という道路で、大阪湾に一番近いところを海岸線に並行に走る大幹線道路なんだ。 だいたい昔の海岸線あたりを走ってる道で、この道より海側は昔はぜ~んぶ海で大阪湾だったんだ。 関空から大阪湾の最内側を通る阪神高速湾岸線が出来るよりも何十年も前に出来た道なんだ。 その後、第2阪和国道(国道26号線)が開通し、湾岸線が開通するんだけど、それまではこの臨海線が堺市以南に向かうには最も速い自動車道だった。 その臨海線ができる前、多分40~50年前はこの写真の景色も海を望める景色だったに違いない。 そうに違いないんだけど、この写真の「浪切ホール」と「岸和田カンカンビベイサイドモール」のあいだに妙なものが見えるでしょ。 この瓦屋根の建物と鳥居とこじんまりとした森が妙チクリンでしょう! で、行ってみた。 「浪切神社」という神社だった。 っちゅうことは浪切ホールの名前もこの浪切神社から取ったってことみたいだ。 多分、50年ぐらい前にはこの「浪切神社」の裏側に海の波が打ち寄せて波しぶきがあがってたのに違いない。 それで「浪切神社」という名前なんだろう。 帰ってから「浪切神社」の事を調べたら、この「浪切神社」は ”岸和田だんじり祭の安全曵行を祈願して「安全祈願祭」が毎年行われてる” って事だった。 だけど、祭神も分からないし起源も分からない。 式内社リストにも載ってないので古代からある神社ではないようだ。 鳥居の裏に日付が掘ってあったので写しておいた。 昭和12年といえば1937年日中戦争が勃発した年で、この年から1945年の玉音放送の日まで戦争が続くってそんなタイミングの時なんよね。 この鳥居が出来たのが1937年だというだけで、もっと古い神社だとは思うけど、少なくとも大阪湾の埋め立てが始まるよりは前からあったのは確かなようだ。 ここには海岸があって、松林なんかがあって、波打ち際に、この「浪切神社」だけがポツンと建ってたんだと思う。 余談なんだけど、大阪から関空へ向かうと、この浪切神社前を直角に右カーブして、すぐその次に直角に左カーブしてるんだけど、ここのS字コーナーのことを走り屋さんたちは『別寅(べっとら)コーナー』と呼んでるらしいんよ。 上の写真のように可愛らしい別寅かまぼこの大きな看板があるんよね。 制限速度で走る僕にはたいしたカーブじゃないけど走り屋さんにはかなりスリリングなカーブなためにそんな名称がついたのかもしれないな。 こんな目立つ看板があるから「浪切神社」に行くのには別寅コーナーを目指せばなんなく行けるよ(^_-)-☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月27日 01時55分12秒
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