カテゴリ:社会科(地理・歴史)
日曜の晩のETV特集の録画をやっと見た。
今回もまた、びっくりの内容だったよ! 鎌倉時代に元寇って蒙古軍が攻めて来た大事件があったでしょ。 日本はやばかったんだけど台風が来て蒙古軍の船が全部沈んでしまって日本が助かったって、あの大事件! 僕は白石一郎さんの何冊かの本で元寇の事はかなり知ってるつもりだったんだけど、それは日本での元寇の事だけであって、朝鮮半島や済州島やベトナムで起こった事が日本の運命を決してたなんて事は思いもよらなんだよ。 1時間半の番組だし、一言ではとても書けないから超々簡単に書くとね 高麗が蒙古軍に屈したあとも三別抄という高麗内の軍事組織が蒙古軍に対して何年も抵抗を続け、その為に蒙古軍は対日本戦のために用意してた軍事物資を三別抄討伐に使わざるを得なくなり、日本への攻撃も時期が遅れてしまったんよ。 文永の役では蒙古軍は勝ったのに、すぐに引き上げてしまったでしょ。 どうしてすぐに引き上げたかってのが多分謎だったと思うんだけど、三別抄に物資を使ってしまって長い戦いは出来なかったみたいだね。 文永の役ってさぁ、クビライが 「日本を早く攻めろ!」ってうるさく言うから、物資が足らないのに仕方なく攻めて来たんだろうな。 で、次の弘安の役で、今度は充分な準備をして日本を攻めたんだけど台風で伊万里湾にいた蒙古軍の船はことごとく沈んでしまったんよね。 こんなんホンマ凄い偶然で日本は助かったんよ。 三別抄の抵抗がなかったら、そもそも弘安の役なんか起こらなくて、日本は文永の役でやられちゃったと思うもんな。 三別抄というのはいわば高麗政府に逆らった反逆者とも言えるわけで、その反逆者は蒙古軍によって滅ぼされたって事で韓国にも三別抄についての記録はほとんどないらしいんよ。 1970年代の後半に日本で見つかった資料から、当時高麗から鎌倉幕府へ送られたSOSの国書が実は三別抄からの物である事が分かり、そこから三別抄の事がいろいろ分かって来たのだそうだ。 韓国の大学の先生も、この日本の資料の事をびっくりしてはったもんな! それと、クビライは弘安の役で失敗したけど第三次の日本攻撃の準備をしてたんだって。 だけどね、今度はベトナムが頑張るんよ! 蒙古軍は南にも領土を広げようとベトナムを攻めるんだけど、バクダン川の戦いで蒙古軍は負けちゃうんよ。 ベトナムはすごい頭脳戦で、蒙古軍をやっつけちゃうんよ。 これは凄かった! 日本だって文永の役で一度やられてるんだから、弘安の役までにいっぱい罠をしかけて”飛んで火に入る夏の虫”みたいなしかけを北九州一帯にしかけるくらいの知恵がなかったのかなぁ…?(^_^;) 今津防塁みたいなただの防壁を作るぐらいしか知恵がなかったのかなぁ…。 ベトナムの凄さを知るとどうしてもそんな事を思ってしまった。 ベトナムが強いからクビライは日本への第三次の攻撃軍を呼び返してベトナムへ向かわせたのだそうだ。 こんなん、本当かどうか僕にはそう簡単には信じがたいけどベトナムの学者先生は 「日本を救ったのはベトナムだ!」って、そう言ってはったし、この先生はそう信じてはるみたいだったもんな。 まぁ、なんだ! 元寇というものの見え方が変わってしまった番組だったよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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