テーマ:F1(444)
カテゴリ:車
物置部屋に行ってオークションに出すものを物色してたらさっそくくまが邪魔をしに来た。
↓どの写真もクリックで拡大 くまが箱の上をうろうろしてるんだけど、箱には雑誌を乗せて猫には入れないようにしてる。 なんせダンボールの中には貴重な物が入ってるわけで猫にボロボロにされるわけにはいかないもんね(^_^;) この雑誌はB4判の大きい雑誌なので箱のふたに具合が良いんだ。 でね、このふたにしてる雑誌、昔のF1の雑誌なんだけど、いつもは気にもとめてないゴミみたいな雑誌なんよね。 だけど、昨夜F1の記事を書いて、ピケやらセナなんて名前をブログに書いたものだから、雑誌の表紙に目が行ったんだ。 三つある箱の左下の箱の上の雑誌に食いついてしまった。 これは、ちゃんと見てもらおうと思ってスキャンしたよ(^^♪ えらいでかい写真でごめんなさいm(__)m 一番手前のイケメンがネルソン・ピケ! 伝説のブラジル人ドライバーなんよ。 ワールドチャンピオンにも何度もなってる。 ハンガロリンクでセナのアウトからドリフトして抜きにかかり、ダメだったんだけど次の周で、また同じコーナーでアウトからドリフトしてセナを抜き去ったってシーンは凄かったんよ! F1でのドリフト走行なんか今ではありえないもんね(^。^) そのピケの左上の口髭のおしさんがナイジェル・マンセル! 英国紳士なんだけど、この人の走りはむちゃくちゃなんよ! 命知らずの紳士やな(^。^) スパン!スパン!って抜いて行くんよ! こ気味が良いったらなかったな。 でも、そんなだから派手なクラッシュも多い人だったな。 だけどね、そんな運転をするだけに危機回避能力は人一倍凄い人だったと思う。 とても印象深く覚えてるのが、高速スピンをして2回転か3回転かしたあとで、進行方向にピタっと車の向きを止めて、何事もなかったかのように走り続けて行ったってのがあった。 あれ、ほとんどスピードも落ちてなかったんじゃないのかなぁ! この、おじさん、クラッシュしても怪我もしないしサイボーグやったんかもね(^_-) そのナイジェルの左下のelfのキャップをかぶってるのが、ご存じアイルトン・セナ! セナは、レース中の事故で死んじゃったんよね。 間違いなくダントツで世界一速い男が、その速いときに死んじゃったんだから、そのショックは大きかったなぁ! それにセナって、なんか優しい感じの人で良い人って感じだったし、むちゃくちゃ人気のある人だったんよ。 僕自身のセナの一番の思い出は、鈴鹿サーキットのシケインで観戦してた時のこと。 僕の目の前のシケインの入り口でプロストのインをついたセナのマシンとプロストのマシンのタイヤとタイヤがガチとかみ合って止まってしまったんだ。 どっちも赤白のマクラーレン・ホンダのマシンだったから、そりゃぁ異様な光景だったよ。 プロストは諦めてマシンを降りて僕の目の前を歩いてピット方面に歩いてい行っちゃったんだけど、セナはオフィシャルに車をどけてもらったあと、シケインを直進してレースを続けたんだ。 その後、止まっるあいだに先に行ってしまったベネトンのアレッサンドロ・ナニーニを猛烈なスピードで追い上げ、また僕の目の前のシケインでインをついて抜いて行ったんだ。 シケインスタンドの歓声は凄かったよ! でも、セナはシケインをショートカットしたという事で失格になってしまったから、優勝はナニーニだったんだけど、当日観戦してる僕たちにはそんなのは分からないし興奮して家路についたのを覚えてる。 世界中の人がセナには沢山の思い出を持ってるんだと思うな。 あっ、そうだ、セナの死後テレビでトンネルズの石橋さんのところにセナのヘルメットが届いたって事があって、あれにはジーンとしたなぁ。 セナが生前、石橋さんとゴーカートの勝負をして、”石橋さんが勝ったらヘルメットをやる”ってセナが約束をしてたんよ。 そのゴーカート勝負で石橋さん勝っちゃったんよね。 あれはセナの死後半年ぐらいたった頃だっただろうか。 セナからあのブラジルカラーのセナの緑と黄色のヘルメットが石橋さんの元に届いたんだよ。 石橋さんも涙ぐんでたよなぁ…。 鬼の目にも涙だよね。 黄色いシャツにホンダのキャップをかぶってるのが中嶋悟! ごぞんじ中嶋一貴くんのお父さんだよね。 日本初のF1ドライバーなんよ。 中嶋って、日本一速かったんだけど、速かったらF1に乗れるって世界じゃないんよね。 中嶋はね、F1に乗るまでのドライバー人生の全てをF1に乗るためにだけかけてたんだ。 いつの時代にも、日本一速い人は必ず一人居るわけで、速いだけで乗れるのなら、いつでも一人は乗れるわけでしょう。 中嶋はF1に乗るためにホンダに行ったんだし、スポンサーも探したんだ。 きっと中嶋にとって速く走ることなんかは一番た易かったんじゃないだろうか。 そんなだから1987年にF1デビューをした時に中嶋の夢はもうかなってしまってたのかもしれないな。 結局中嶋は表彰台に上れずに引退しちゃったもんなぁ(^_^;) でもね、中嶋って本当に速かったんだよ。 よくさぁ”雨の中嶋”とか言われたんよね。 若い頃は雨が降ると車に乗って一目散に名古屋の郊外の山をぶっ飛ばしに行ったそうだよ(^^) 雨が降って路面のミューが低くなると、マシンの性能差が出にくくなって、ドライバーの技術勝負になるっていうんよね。 いつだったかのオーストラリアグランプリは雨になったんよ。 中嶋は雨のアデレードで4位になったんだけどね、この時3位だったのがパトレーゼだったんだ。 中嶋はコーナーたんびにパトレーゼのインに車頭を突っ込んで抜こうとしたんだけど抜けなかったんだ。 レース後の中嶋の話だとパトレーゼのインを突くとエンジンに水が入ってガボガボガボって感じでパワーが無くなったって言ってた。 あの雨のアデレードほど悔しい思いをしたことは無かったな。 でも中嶋は、あのひょうひょうとしたキャラだし、そんなに悔しそうでもなくて苦笑をしてたよ。 やっぱ、中嶋はF1に乗ったときに、すでに夢を成就してたんだろうな。 中嶋の右上にオーストリア人のベルガー、中嶋の左に一人おいてイタリア人のアルボレート。 この二人は、この時はフェラーリに乗ってたんだ。 僕が初めてF1マシーンが走ってるところを見たのは鈴鹿の第一コーナーだったんだけど、このアルボレートとベルガーのフェラーリのマシンの余りの速さにどぎもを抜かれたよ。 何故かフェラーリの2台だけが異次元の走りに見えた。 フェラーリがカーブに進入するたびに大クラッシュすると思って両手で顔をおおったぐらいだもん(^。^) だけど、フェラーリは独特のフェラーリサウンドを響かせて、そのままS字を駆け上って行くんよね。 あのフェラーリには興奮したなぁ! アルボレートの上にはプロフェッサー、アラン・プロストがいる・ プロストはフランス人で、その沈着冷静なドライビングでプロフェッサー(教授)と呼ばれてたんだ。 でもね、沈着冷静なプロストも、その気になったら、どんだけ速いねん!ってほど速かった。 特に母国のフランスグランプリでは、意地でもポールポジションを取るみたいな走りをしてたよ。 そんな時のプロストにはセナでも歯が立たなかったって気がするよ。 「昔は良かった」ってフレーズが僕は大嫌いなんだけど、F1に関しちゃぁ、やっぱ昔は良かったって思うよ。 昔はコース上での抜き合いがレースやったもん。 燃料の使い方やタイヤの使い方やピットのタイミングやらで順位が決まる今のF1って、ドライバーの技術の戦いじゃぁないもんね。 だいたいさぁ、予選終了時にパルクフェルメに車は保管されるために、予選から燃料の量がチームの作戦で違うなんてなぁ(^_^;) ほんとに、このコースを1周するのは誰が一番速いのかってのは分からないもんね。 つまりチームの作戦やいろんな総合力の戦いってわけだよね。 そういった部分に面白みを見つけてはる人には面白いんだろうけどね…。 最後に今日は僕と遊ぶよりも気になることがあったみたいなたまを載せとくね(^。^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[車] カテゴリの最新記事
|
|