テーマ:歩きたくなる古道 旧街道(4)
カテゴリ:社会科(地理・歴史)
このあいだ岸和田市教育委員会さんが設置した「池田王子跡」の説明パネルの地図から熊野古道の今まで知らなかったルートを知ったんよね。
☆その時の記事↓ 熊野古道≪岸和田市~泉北郡忠岡町≫ ☆説明パネルの地図の全体を再掲するね↓ この地図のJR阪和線より右側を熊野古道が通る部分は、よそのサイトでも紹介されてる熊野古道とほとんど変わりないけど、このパネルの地図の熊野古道を北から南方向に下って行った写真を載せて行こうと思う。 ☆この記事で取り上げた一番北側の今回初めて知った泉北郡忠岡町の部分の地図↓ ※上の地図上の赤番号は、下のそれぞれの写真の左肩に付した番号の写真を撮影した場所で、緑矢印は撮影した方向。
向こうに熊野古道を左(東)から右(西)へ渡る猫さんが見える。
向こうにJR阪和線が見える。 だから、この部分では熊野古道はJR阪和線の東側にある。
堺市の鳳駅のすぐ北側の踏み切りで交差して以来、この踏み切りまでは熊野古道が阪和線の東側だった。 この次の交差は岸和田市の久米田駅と下松駅のあいだの踏み切りで、そこで再び熊野古道が阪和線の東側になる。 通過中の列車は「関空特急はるか」でJR東海道線米原からJR大阪環状線を経てJR阪和線を通り関西空港まで乗りいれてる。 次の写真にアップを載せるけど踏み切りの手前の右側の花が供えられてるところに石標がある。
その大津川の河口近くには、今は住友ゴムに合併されたけど、ファルケンタイヤで有名な旧オーツタイヤ本社がある。
だけど、この交差点を交差する道路は忠岡町における唯一の古道なんだ。
”この標識、何十年前の標識やねん!”っちゅう感じでしょ! だいたい、こんな一方通行路の細い道に「大阪30km」なんて表示意味ないやん。 まぁ、すべての道は繋がってるわけやから間違いじゃぁないやろうけどね。 それにローマ字表記OSAKAの「O」の上にバーがついてるなんて今の標識の表記とちゃうし(^。^)
これ、多分地元の人が昔の標識を残してはるんとちゃうやろか? しやけど、ある意味「古道」に似合ってると思う(^^ゞ ってか、ななめにしてるのも古さをかもし出すための狙いかも知れへんなぁ(^^ゞ
手前は「泉北郡忠岡町高月南」、向いの地蔵祠のあるのは「岸和田市箕土路町」になる。 忠岡町と岸和田市の境界線はすべてにわたって、こんな感じの細い道か住宅地の背割りか田圃や畑の畔道になってて分かり難いけど、僕はかって、忠岡町と岸和田市の境界線の全線を踏破したことがあるので詳しいんだ!(^_-)-☆
今回は熊野古道が和泉市から泉北郡忠岡町に入る地点から、南下して忠岡町を横断して岸和田市に入る地点までを載せた。 熊野古道(その3)へ続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月29日 01時53分58秒
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