カテゴリ:社会科(地理・歴史)
『物部守屋(もののべのもりや)敗北と捕鳥部万(ととりべのよろず)』という記事を、僕は3年前に書いてんね。
3年前の記事はここをクリック。 どういう記事かというとね、『物部守屋敗北と捕鳥部万』というのは、日本書紀の「巻二十一 崇峻天皇 泊瀬部天皇」に書いてあることでね、その舞台が近所にあることを地図上で見つけて行ってみたことを書いたんよ。 その日本書紀に書いてある出来事は3年前の記事に書いたことをコピペするね↓ ******* で、内容を要約すると、捕鳥部万は物部守屋の家来で、守屋が殺されたあとに逃げたけど、追い詰められ、最後は自害したんだって。 でね、話はそれだけではなくて、史実としてはどうでも良いようなその後の忠犬物語が書いてあるんだ。 捕鳥部万の事を朝廷は酷く怒り、捕鳥部万の身体を「八つ切りにして八つの国に串刺しにしてさらせ」と命じたんよね。 で、捕鳥部万を八つに切り串刺しにしようとしてる時に、万の飼っていた白犬が、万の首をくわえて逃げて古いお墓に収め、その上に横になって飢え死にするまで万の首を守ったんだって! 朝廷はその話を聞き感動して、捕鳥部万のお墓と白犬のお墓を作らさせたのだそうだ。 ******* でね、この捕鳥部万のお墓と白犬のお墓のあるところは、僕の数あるウォーキングルートの中での最遠地なんよ。 へとへとになるけど何とか歩ける、ちょうど良い塩梅の距離やねん。 3年前に初めてお参りしたときには片道3時間近くかかってた。 あれから、半年に一度ぐらいは捕鳥部万のお墓へのウォーキングをしてるんだけど、今では最短ルートをきわめて片道2時間で行けるようになった。 で、今年の1月にもお参りして来たんだけど、捕鳥部万のお墓が酷いことになってた。 ちょうど地元のおじさんが通りかかったので、この危険状態のことを尋ねたら、近所の悪ガキが階段の石を外して階段下に放り投げたんだって(>_<) 岸和田市は史跡って銘打ってるんやから、速攻でちゃんとした工事をいれて直したら良いのにね。 だって階段下からしか手を合わすことがでけへんのんは、やっぱ寂しい(ーー;) 壊れた階段を外した写真も撮った でね、今回は3年前に初めて行った時以来行ってない白犬さんのお墓にもお参りした。 というのがね、3年前は場所が分からなかったので山の中をさまよって、山の裏側からたどり着いてね、表から出てきたら出口に立ち入り禁止の札がかけてあったんよ。 ほら、知らなかったら仕方がないけど、立ち入り禁止だと知ってしまったら、もう入れないじゃない。 だけど今回は立ち入り禁止って書いてなかったんよ!(^^♪ やったぁ!とばかりに山に入った♪ 3年ぶりの犬塚は、今も綺麗だったよ。 地元のおじさんは犬塚のことを知らなくて、日本書紀に記載されてることも知らないってことやった。 初めて行った3年前も、何人もの人に犬塚の場所を訊いたんやけど誰も知らなかったから、山の中をウロウロする事になったんよね。 曽我氏が物部氏を滅ぼしたという、あの有名な日本史の出来事の中のエピソードで、日本書紀にちゃんと書いてある事やのに、近所の人たちが知らんのんはなんでか?ってのが今回分かったように思う。 ここ新興住宅地やねん。 ↓は捕鳥部万のお墓から和歌山方面を臨んだ写真。 古墳の回りは造成された住宅地になってて、みんな他所から来た人たちなんやろね。 しやから、お爺ちゃんやお婆ちゃんから教えてもらうなんて事がないんやと思う。 残念やね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年02月05日 22時36分15秒
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