カテゴリ:社会科(地理・歴史)
このあいだの記事美具久留御魂神社の中で「太陽の道」に触れたんだけど、興味を持ってくれはった人もいらっしゃったので「太陽の道」のことを書くね♪
僕が「太陽の道」のことを知ったのは、内田康夫さんの浅見光彦シリーズ『神苦楽島(上下巻)』の物語の肝に「太陽の道」をガッツリ据えて書いてはったんを読んだからやねんね。 『神苦楽島』の中に「太陽の道」は奈良の写真家・小川光三さんが発見したこと。そして当時のNHKプロデューサー・水谷慶一さんが、それをさらに厳密に検証してNHKのドキュメンタリー番組「NHK特集『謎の北緯34度32分をゆく――知られざる古代』」として放送されたことを書いてはった。 そしてNHK出版から『謎の北緯34度32分をゆく・知られざ古代』と題した本が出版されてることを知り、すぐに購入して読んだ。 読んだというより、教科書一冊勉強したって感じで付箋だらけで手垢だらけになってもた。 この本↓ 四六版ハードカバー324ページ。 昭和55年(1980年)初版発行。 最初に故松本清張さんが序文を寄せてはる↓ 「~この奇跡を疑う前に本書を読んでもらいたい~」と書いてはるし、ほんと、解釈はともかく、この不思議な事実は疑う余地がないんよ! 「書籍横断検索システム」で、この本を検索してみたら、アマゾン中古で3冊、日本の古本屋で2冊、売ってるみたいやよ↓。 「書籍横断検索システム・知られざる古代…」 で、今回「太陽の道」を検索してみると、たくさんの人が、いろんな研究をされてて、複雑なことを書いてはってびっくりした。 しやけど、盛れば盛るほど、なんや訳分からんくなって、僕が思ってた「太陽の道」の本質が解りにくくなってる気がしたな。 多くの人が、『謎の北緯34度32分をゆく・知られざ古代』に記載されてる地図をスキャンして、そのまま貼って載せてはるし(^^; でね、ややこしい事は言わずに「太陽信仰」に限った話だけに絞って書こうと思う。 でも、勝手に書くので間違った事もあると思うけど、それは「こいつアホや」と笑ったってちょうだい(^^ゞ なんせ読んでから四年も経ってるから、記憶の中で、いろんな事が変遷してる可能性があると思うし…。 まず、今回地図を作ってみたので載せるね。 なるべく、大きい地図にするために東西に分割した。 「太陽の道」東部(クリックで大きくなるよ)↓ 「太陽の道」西部(クリックで大きくなるよ)↓ ○太陽信仰 ほら、元々天皇の祖先は宮崎に天孫降臨したでしょ。 天孫降臨しはった神様はアマテラスの孫やったと思うけどニニギの尊やったかな。 宮崎は「日向の国」で太陽に向かう場所やんか。 日向から太陽の登る方向は海だけやし、日向は良い土地やったんやろね。 しやけど、もっと太陽に近い場所があるのを知り「神武東遷」で奈良の橿原にやって来るわけやん。 そして、飛鳥時代が始まるわけやけど、先祖の太陽神アマテラスを天皇と同じ屋根の下に祀るのんは不遜やとして、倭姫(やまとひめ)がアマテラスを祀る場所探しの旅に出るんよね。 で、最初に祀った場所が「4・檜原神社」やったんや。 そして、倭姫が最後に行きついた場所が「2・斎宮跡」っちゅうわけよ。 伊勢は紀伊半島の東の端で、その先は海しかないわけやんか。 ここは太陽が海から登る場所で、ここにアマテラスを祀ることで、飛鳥にお宮を設ける事が安定したんやろう。 でも、アマテラスを皇室がしっかりと祀るために「斎宮制度」を導入するねんね。 皇室の未婚の皇女(ひめみこ)が、長い時間をかけて禊をして伊勢の斎宮に赴きアマテラスを祀るんよ。 斎宮に選ばれれば、身内が罪を犯すなどして斎宮を解かれるまで結婚もできないっちゅう厳しい仕事やったわけで、太陽神アマテラスを祀ることは、皇室にとって重要やったんやろね。 ほら、大津皇子の姉・大来皇女(おおくのひめみこ)が斎宮になったけど、大津が謀反の疑いで持統天皇に処刑されたときに大来は斎宮を解かれて飛鳥に帰って来るやんか。 で、倭姫が最初に「4・檜原神社」に祀った事の意味なんやけど、ここって「3・三輪山」と「5・箸墓」の間やねんね。 箸墓というのは「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」のお墓なわけやねんね。 で、「3・三輪山」は大和国・一宮大神神社(おおみわじんじゃ)のご本尊やねん。大神神社には本殿がなく三輪山自体がご神体なんよね。原初の神道は磐座(いわくら)といって、自然石を神としてたみたいで、その形がそのまま残ってる最古のものが大和国一宮なんやから凄い。 倭姫は、最初は檜原神社のある場所は近いし手頃やしここしかかないと思ったんやろね。 でね、面白いのが「5・箸墓」が卑弥呼の墓である可能性があるってのが、最近の発掘調査で分かって来てるねんね。 箸墓自体は宮内庁の管轄だから発掘できないけど周辺部の発掘物が卑弥呼の生きてた時代と、めちゃくちゃ合うらしいんよ。 すぐ北側の纏向遺跡は邪馬台国である可能性が出てきてるし! だから、「卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命説」が有力になって来てる。 で、卑弥呼がどうした?って思うやろうけど「卑弥呼=アマテラス説」があるんよ。特に安本美典さんの説が好きで、僕は、安本さんの本はほとんど読んだと思う。 さらに言うと戦前は「卑弥呼=倭姫説」が有力やってんて。 卑弥呼がアマテラスだとすると箸墓は太陽神のお墓ってことやし、倭姫だとしたら太陽神アマテラスを祀る場所を探した人のお墓ってことでしょ。 井沢元彦さんは、卑弥呼は太陽信仰の化身やと言ってはる。 いずれにしても、倭姫が箸墓の近くにアマテラスをまず祀り、そこから太陽の登る真東の陸地の終わる伊勢湾にたどり着いたのが分かる気がする。 でね、太陽神アマテラスを伊勢に祀ったのなら、それより先の「1・神島」なんて島はどうでも良いやろうって思うやろうけど、神島には、「ゲーター祭」という不思議な祭りがある。 このゲーター祭は太陽を祀る祭りなんよ。 太陽にみたてた「アワ」という直径2メートルほどの輪っかを何十人の男たちが竹で持ち上げる、っちゅう語源も由来も不確かな謎の多い祭りなんだって。 そういう由来も伝承されてない祭りって、古い祭りやと思うやんか! 倭姫が斎宮跡にたどり着いた頃まで古いかも知れへんやん! 行きつくことができるもっとも太陽に近い場所で、太陽を迎える祭りをしたって、なんかとってもしっくりくる。 皇學館大學の学生さんが作りはったゲーター祭の真面目な良いyoutubeがあったので貼っておくね↓ そして、神島から東は、もう陸地がない。 愛知の伊良湖岬も静岡の御前崎も、伊豆の石廊崎も太陽の道より緯度が高いので海だけで、あとはアメリカまで陸地がない。 もしかしたら、太陽の道が渥美半島の伊良湖岬にギリでかからないってのも重要やったんかもしれへんね。 ただね伊豆半島の南にある利島って小さな島が日本の領土としてはあるんやけど、流石に海上の遠距離は地球の丸みがあるので、当時の人も知りようがなかったんやろね。 地上の東西を知るのは、太陽が一番高くなる方向の直角方向だから、一年中いつでも晴れてさえいれば知る事が出来る。 二上山の頂上からだと三輪山から淡路島まで、太陽の道を簡単に見ることができたと思う。 この写真は「4・檜原神社」前から「6・二上山」を臨んだもの↓ 「3・三輪山」から「2・斎宮跡」は、途中の山塊がすごいので、測量には何分割もしなければならなくて大変だったろうけど、当時の技術は相当優れてたんとちゃうやろか。 特に天文観測は相当なものやったろうから、存外難しいものではなかったのかも知れない。 一応、太陽の道が通る日本の領土が全部分かる地図も作ったので載せるね(クリックで大きくなるよ)↓ あとポイントについて、ちょびっと書くね。 7・聖徳太子御廟 ここは、大阪府南河内郡太子町というところで、この辺りには天皇の陵墓がたくさんある。 ・敏達天皇陵 ・用明天皇陵 ・推古天皇陵 ・孝徳天皇陵 ・小野妹子墓 西側、太陽が沈む方向は死者のイメージがあるんやろね。 しやけど、一番太陽の道に近いのが「日出国の天使」で有名な聖徳太子のお墓なんが面白い。 聖徳太子の時代は、太陽の道の中でも一番新しいと思うので、ここは当初の太陽の道の目的とは違って、わざと太陽の道上に作ったんとちゃうやろか。 ここよりさらに西には、日本で二番目に大きい応神天皇陵なんかがある古市古墳群がある。 さらに西に行くと、日本一の大きさの仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群があるし、西側にお墓を作るってのが基本的やったんやろね。 9・大鳥大社 ここは、太陽の道を西に向かい、海にたどり着いたところになる。 現在は、大鳥大社から海がある浜寺公園まで2キロもあるけど、当時は大鳥大社は海に面してた。 今は、海まで歩くと結構きつい! 和泉国一宮である大鳥大社が、太陽の道が海に到達した場所にある事実は良い!(^_-)-☆ 何が良いって、和泉国の住民である僕には、こんな愉快なことはあらへんやん(^^♪ 11・石上神社 ここは磐座(いわくら)があって、けっこう神秘的な場所なんよね。 女性禁制で鳥居をくぐってはならない。 だけど、女性は鳥居をくぐらずに、脇の竹藪の中の小路を通って、そこに祀られている稲荷社に参って、そこから石上神社のご神体を遥拝することは許されてる。 だけどね、僕がお詣りに行った時は、一緒に行った友人が、突然気持ち悪くなって切羽詰った感じになって「寒い寒い」と言いだしたものだから、慌ててその場を立ち去ったんよ。 僕は鈍感で何にも感じない人間だけど、あそこは体調の良いときにちゃんとした気持ちでお詣りに行ったほうが良い場所に違いない。 そんな事があったから、太陽の沈んで行く最後のポイントであるここに、ちょっと怖い印象を持ってしまったな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月09日 04時07分05秒
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