カテゴリ:社会科(地理・歴史)
「ひとつ前の記事・誉田八幡宮」にお詣りしたあとに仲哀天皇陵に立ち寄った。
なんせ、ここは「古市古墳群」といって、狭いエリアに巨大古墳がゴロゴロあるんで、すぐに行ける。 応神天皇の父親であって、八幡神の三神のうちの一神である仲哀天皇の陵も、すぐ近くだしね。 だけど、拝所に行こうと思ったけど駐車場がないんよね。 前方後円墳は「方」が前で「円」が後ろだから、「方」の中央部に行けば、宮内庁管轄の古墳だと鳥居が建っててお詣りできるようになってる。 で、前方部中央を目指したんだけど、 「宮内庁管轄地のため立ち入り禁止」の立札が立ってたのでサイドに回り込んでお詣りして写真を撮った。 これが前方部↓ これが後円部↓ ↑上の2枚の写真で全体をカバーできてる。 前方部の堀の向かいの中央部をアップにすると、ちゃんと鳥居が建ってる↓ 車じゃなくて歩いて行けば、鳥居のところに行けたのかも知れないな。 やっぱ事前に調べて行かなあかんなぁ…。 実を言うとね、応神天皇陵も最初に前方部中央に行ったんだけど、駐車場がなくて徒歩でしか入れないようになってたんよ。 ほら、宮内庁の管轄古墳には必ず立ってる看板があるでしょ。 普通、陵が見えるところに立ってるのに、こんな風に離れたところに立ってたんで、紹介してもしかたがないと思って載せなかったんやけど、歩きのほうが良いって分かるように載せておくね↓ しやけど、仁徳さんには大きな駐車場や案内所があるのに、やっぱ二番じゃダメなんですね!(^^ゞ ましてや17番目なんか、全然サービスなしやわ(>_<) そうなんよ、この仲哀天皇陵は「岡ミサンザイ古墳」って名前で、大きさランキングは17位なんだって! でも仲哀天皇って、応神天皇の父ってことよりも、もっとビッグネームにゆかりの天皇やねんで。 まず奥さんが神功皇后(じんぐうこうごう)! ほら、神功皇后って日本国外に打って出た最初の人なんとちゃう? いわば、侵略行為を歴史上初めてやった日本人ってわけやから、自慢できるもんでもないねんけどね…。 だけど、そんな大物やから「神功皇后=卑弥呼説」もあるぐらいやもん! ってか、奥さんの方が有名な天皇さんてのも珍しいよね(^^; そして仲哀天皇の父親ってのが、もっとビッグネームのヤマトタケルノミコト! この人って、日本書紀での表記の「日本武尊」って書いてあるのんをよく見るけど、なんかセンスないよね(^^; ってか日本書紀に書いてあるんやから、センスとか言うてもしゃぁないんやけどね(^^; ちなみに僕は、古事記表記の「倭建命」が好きやねん♪ 実はね、この古市古墳群から帰った翌々日に、FB友達の倫子さんが峯ヶ塚古墳の23年前の新聞記事のスクラップをFBに載せてられてるのを見てビックリしたんよ! なんで、ビックリしたかというと、この峯ヶ塚古墳は古市古墳群の古墳なんだけど地図にも載ってなくて、車の窓から「あれも古墳かな?」と思って見たのを覚えてたんよ。 この地図の「峯ヶ塚古墳」の場所に赤ピンを刺してみた↓ ↑ほら、赤ピンの場所には「陵」や「古墳」の表記もなければ緑色ですらないやんか! L字型の池があるだけやん。 しやのに、スクラップの新聞記事には、ここは「大王墓級の可能性」って書いてあるし「豪華副葬品」が発掘されたって書いてあった!(@_@) 地図には応神・仲哀をはじめ巨大天皇陵がいっぱい載ってるけど、ただの池にしか見えない大王墓もあるっちゅうんやから、きっと完全に破壊されてしまってるのんもたくさんあるんやろうな…。 ほんま、古市古墳群おそるべし!やね(*^^)v お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年05月21日 22時45分54秒
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