潤との出会いからの奔走
川崎某所に住み毛の無い生活に耐え切れず半年うさぎをお迎えしようと安易に考えでも1週間は悩み満を持して(自分的にはうさぎをお迎えにその時一目ぼれしたお尻が今の潤さん当時潤平と命名もちろん店員にオスと言われたから小汚い怪しい鳥屋で鳥かごに兄弟たち(推定)と詰め込まれた中交通量の多い店の前一番動じないで、一番大きいお尻が眠ってた顔を見たのは家に帰って箱を開けた時開けた瞬間・・・尻だったw ってオチ付きそこからなかなか大変な子だった図太いのか繊細なのか丈夫なのか病気がちなのか夏に斜頸を発症して注射冬にご飯食べなくなって点滴その後もなにかとご飯食べなくなったりが多々そのたび生きた心地がしなかったそこから2年がたち埼玉某所にわたしの身勝手な都合で転がり込むのに付き合わせお引っ越し潤にとって一番長い電車移動 ごめんねそして今は旦那様になった同居人との出会い最初は勝手にもってくれば~くらいの反応だったのに持ってきて見れば同居人「こんにちぃわぁ うさぎしゃんだねぇ~」的なwめろめろ(笑)そこから2年を1DKのDK部分の一畳ちょっとを独占占領しその間にプチ拒食は何度かありつつもそこまで悪化せず今思えば思いのほか安定した1~2年だったような潤も程よいお年頃の3歳前後だものね…その間に爪折れ事件 大反省…引っ越してからの難点は川崎時代の先生を超える病院に出あえずその後今の家への潤さん2度目のお引っ越しこの辺りから、定期的に拒食掛かった病院が糞だった、絶対わすれない知識ないのがまるわかりでヘタにエコーとかして処置をなかなかしない(うちのハム『おもち』はここで皮膚の検査のジェルが 最後の要因で死んだと思ってる、許さない…)一番許せない言葉は「もう年ですからね」潤でも おもちでも同じこと言いやがった年なんて飼い主が一番わかってるそれでも何とかしてあげたくて行くのが病院だろ?ここまで動物病院に不信感を持つとは思わなかったこの辺りから一生懸命病院さがして見付けたのが2駅離れた病院で潤さんの体調もガクンと悪くなったころ・・・絶食からの 斜頸再発 いろいろ覚悟しつつも必死で病院探したうさぎに強い先生がいるのでその頃、車無かった我が家なのでわたしがキャリーに潤つめて結局5日間通院精神的にも肉体的にも金銭的にも辛かった時期(じつは無職時代・笑)それでも労力と金をついやし、なんとか復活をとげたまぁこれを気に社会復帰(笑)ありがとう潤平ニート生活にピリオドを打たせてくれて潤さんの爪がのびてきていい病院は無いかと探して(前の先生が、移動なのか居なくなってたし遠かったから)わりと近所にある動物病院に健康診断と爪切りをしに♪小島義男風な見た目の目力のある先生でしたなかなかお話も情熱的(笑)爪切りも一人でこなすし、あぁちょっと信用できるなと…(この頃まだ医者不審が続いてます)ちょこちょこ食欲不振のお腹動かす薬とか貰ってたぁその頃、我が家に二匹目のメンバーが(笑)その子の健康診断も兼ねて通院そして同居人の親権の2号ちゃんの避妊手術をどうするか悩み始めたころその病院はある意味ほんとに良心的な病院だとおもうのはうさぎの手術の件数は少ないって正直に行ったところかなしかしやっぱりそこはその病院で手術するかってーと話は別で熱心な同居人がうさぎ情報を調べ今通っている病院を知る・・・うさぎで有名な病院実はこのあたりで我が家に3号が:∵;(;:゚:ж;゚;,);:∵行こう行こうといいつつ重い腰を上げられない我が家に事件潤さんの瞬膜が腫れる!たぶんぶつけただかしたのかな?新入りに柵ごしにアタックとかしてたからはじめましてで緊張しつつ病院に向かうと待合室にうさぎ多数、こ、こんなの初めて・・・そして先生の対応めちゃウサギに慣れてる( ゚Д゚)瞬膜はカサブタになってひっかかってるのをとったら炎症は収まりそうで健康診断もそこまでは問題なし っほでもいつもの絶食の話をすると腸を動かす薬と、食欲増進のお薬を♪大抵病院後ストレスで絶食するからね…困った子だよすごく信頼できそうなうさぎの病院でやっとホームドクターが出来たね と難点は遠いくらい(´ω`)その後 3号がオスで我が家の初オス、スプレーが酷過ぎて愕然2号の将来の病気の事もあり悩み始め悩みに悩んで悩みぬいた結果、2号3号は手術しようとなり 無事終了二人ともほんと元気で良かった・・・信頼できるうさぎの病院探しがうさぎを飼う上でどれだけ難しいかできないのにホームページや看板に堂々とうさぎって書いたりうさぎを飼い始めると医者探しの奔走が始まるのだなと…