小学4年のとき、両親が離婚してから親父と会うことは母親に禁止された。
隠れて会ったらもう家には入れないといわれてた。
それから親父とは数えるくらいしか会ったことがなかった。
裏の玄関に置かれていた俺たち兄弟が欲しかったゲームの平安京エイリアンがあったクリスマスも母親の一言で指一本触れることが出来なかった。
母親は誰かと会ってたクリスマス。
その後、雪に埋もれたプレゼントと同じものを買ってきた母親はどんな気持ちだったのだろう。
雪に埋もれたクリスマスプレゼントはいつの日か誰かが持っていった。
病院のベットに横になってる親父に「あのプレゼント貰わなくってごめんね」と言った。
俺は思い出させちゃいけないこと謝ったかな。
「よくそんなこと覚えてるなぁ」
親父はそういって笑った。
お互いそんなこと言ってたらつまらなくなる。
お互い少しだけ気になってたことを告白した後、そういうことを口にするのはやめたんだ。
このとき、親父にはみんなで隠していたが医者にはあと1ヶ月だと言われていた。
俺は見舞いに行っても話すことはなく、ただ近くで座ってた。
お互い何を話そうかそれだけを考えるだけで口に出す前にやめていた。
口に出すことといえばとりとめもないことでまるで、あの頃のキャッチボールのボール拾いみたいだった。
本当はもっと沢山話したいことは沢山あった。
相談したいこともあった。
親父のギャグもなかなか面白くて実は好きだった。
俺が中学になった頃、親父は会社帰りのスナックのママと結婚した。
一度だけそこに連れられて行ったことがある。
スナックのママの話では親父はいつもそこで愚痴っていたそうだ。
そうやって愚痴って口説いた親父の再婚相手は僕らを前に病院の食堂で泣いた。
良く分からない、ピンとこないが、彼女は親父と一緒に暮らした年数は僕らより長い。
なんだか不思議な気がした。
人知れず時は不思議なものだ。