テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:ドイツ生活
今日、10月3日はドイツの統一記念の日で国民の休日である。
僕は6年前のこの日、1999年10月3日にはじめてドイツへ来た。 昨日の日記で書いたようにドイツへ来ることは長年の夢だったが、出発日の2週間前くらいは楽しみというより不安でいっぱいだった。 なにしろそれまで海外旅行もしたことがない。日本語の通じない世界など想像もできなかった。最初は2ヶ月の語学留学だったが、そんなところで一日でも生きていけるんだろうかとさえ思っていた。 そんな期待と不安を胸に、6年前の今日フランクフルトの空港に降り立った。 着いたのは早朝6時頃なのでまだ真っ暗だ。飛行機の窓から町の明かりを見たとき、生まれてはじめて日本以外の文化をリアルに感じた。 その日は語学学校のあるブレーメンへは直接行かず、一度デュッセルドルフで一泊する予定だった。当地で色々手配するのはそのときの僕には難しいと思っていたので、列車やホテルの予約は日本の旅行会社でやってもらっていた(当然かなり高かった)。 空港の到着ロビーから駅まで行くのははじめての旅行者でもさほど難しくはなかった。しかしここでちょっとしたトラブル。 旅行会社でもらったチケットに書いてある到着ホームの番号と駅の案内板に書かれてある番号が違っていた。よく覚えていないが無事乗り込めたことを考えると当時の僕は駅の案内板の方を信用したのだと思う。 やがて予約していたインターシティー(IC)という列車がやってきて、それに乗り込んだ。多分予約していたのは3号車か4号車だったと思う。 なぜなら車体に書かれた「2」という数字を見て「あっ2号車だ。それなら僕の席も近いな」と思ってそこに乗り込んだのを覚えているからだ。 お気づきの方は多いと思うが、その「2」は2号車という意味ではなく「2等車(2.klasse)」の意味だった。一体どこが自分の席かわからない。 自分の席がどこなのかその辺の人に聞いてまわった。思えばそれが現地で使った最初のドイツ語だった。 みんな適当にあっちだこっちだというので、僕もあちこち列車内をウロウロしていた。やっと自分に席につけたときは次の駅であるマインツを過ぎていた。 今はフランクフルトからケルンやデュッセルドルフへ向かう時はICEが直線的にトンネルの中をくぐっていく。しかし当時はICがライン川沿いにゆっくり走っていた。 ちょうどマインツを過ぎたあたりからライン川の風景が楽しめる。目の前に繰り出される絶景にただ唖然とするばかりだった。僕はなんと美しいところに来たのだろう、と感慨にふけっていた。 (つづく) 経過時間 2月 18日 17時間 56分経過 吸った煙草 0本 吸わなかった煙草 807本 浮いた煙草代 161ユーロ 延びた寿命 2日 19時間 15分 体重 71,7kg 体脂肪率 19,9% お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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