テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:ドイツ生活
昨日で「思い出ビデオ」の上映は終わろうと思ったが、何だか続きを書かないと中途半端で気持ち悪い気がしてきた。そこでもう少し先まで書かせていただくことにする。
翌日はドイツ語学校「ゲーテインスティテュート」のあるブレーメンへ出発。 昨日の慌てふためきはどこへやら、すっかり旅慣れてでもいるかのような気分で列車に乗り、ブレーメンについた。 ブレーメンのゲーテはいかにも学校らしい古めかしい建物だった。この日は入所日だったので、他の生徒らしき人たちもそのあたりに大勢いた。スペイン語か、ロシア語かよくわからない会話が聞こえてくる。なんだか自分が場違いな気さえしてきた。費用は払ってるのに、何か本当にここ入っていいのかな、と不安になった。 そうしてオドオド、キョロキョロしているとそこにいたいかめしい顔のアラブ人らしき大男が僕を見下ろすようにして何かしきりに指差していた。その先には入口があった。「ダ、ダンケ・・・」と言って中に入った。 中で一通りオリエンテーションを済ませると寮への送迎があった。寮は学校から結構離れていて、歩いていくのはちょっと無理だった。 寮では細面の長髪の若者が受付をしていた。ドイツではこういう仕事はZIVIと言って、兵役がわりの社会奉仕としてされることが多い。彼もその一人だった。外国人相手だと言うのに彼はとてつもなく早口でまくし立てた。聞き返す間もなく「はい次の人」という感じだった。 おかげで朝食のことを聞きそびれた。自分の部屋に荷物を置くと、挨拶がてら隣の部屋の人に朝食のことを聞こうと思った。隣の部屋には茶髪の背の高いアジア人青年がいた。 「朝食のこと何か知らない?」と聞くと、「ごめん、僕ドイツ語できないんだ・・・」と言った。彼は韓国人でそれまでまったくドイツ語を勉強したことがなかった。僕も英語はほとんどできない。だけど不思議とそれから長い時間話し込んでいた。今でも一体何語でそのとき会話してたのか謎である。彼とは一番仲が良くなり、コース終了後も度々会っている。 彼は朝食を頼んでなかったので、また他の人に聞かなければならなかった。が、そのことで逆に多く友達を作ることになった。その中には先ほどのアラブ人大男もいた。大男はレバノン人で僕よりなんと5歳も年下だった。いかつい顔と思っていたが良く見ると童顔だった。 日本にももちろん何人か外国人の友人はいたが、僕は彼らとはもっぱら日本語を使っていた。この日、はじめて日本語の通じない世界で色々な国の人と出会い、すっかり国際人にでもなったような気分になった。その日は時差ボケにもかかわらず遅くまでみんなでしゃべっていた。 経過時間 2月 21日 4時間 1分経過 吸った煙草 0本 吸わなかった煙草 831本 浮いた煙草代 166ユーロ 延びた寿命 2日 21時間 15分 体重 72,3kg 体脂肪率 17,4% お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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