テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:ドイツ生活
(昨日のつづき)
「ミレニアム」という言葉がさかんに使われていた1999年の年末、誰もが来るべき新しい時代への幕開けを心待ちにしていた。 そのような中、僕が心待ちにしていたのは色々なピアノ工場に出した手紙の返事だった。 ブレーメンから帰国したばかりの頃は友人たちも土産話に耳を傾けてくれていたが、それもすぐに飽きられた。 「で、これからどうするの」と必ず聞かれる。 「手紙は出したからとりあえずその返事を待つ」と返事する。 しかし僕にとっても友人たち、家族にとってもドイツの会社に手紙を出してその返事を待つというのはあまりリアリティーがない。 それはあたかもアイドルスターにファンレターを出してその返事を待っているようなものだった。 待っている間、大阪のゲーテインスティテュートでドイツ語を学び、アルバイトで調律をしたりしてどちらかと言えば暇な毎日を過ごしていた。 最初の返事は帰国後2週間くらいでやってきた。ある南ドイツのメーカーからだった。その内容は 「私どもの会社に関心を寄せていただきありがとうございます。残念ですが今年度につきましては募集を終了させていただきました。来年度もしくは他の会社を当たってみてください。ご成功お祈り申し上げます」 まあ、ブレーメンの楽器店の話でも断られて当たり前ということだったから、あまり落ち込まないようにしよう、と決めた。 ところが年が明けてから立て続けに返事が来た。内容は全て申し合わせたように同じものだった。ドイツ語の初心者でも理解するのに辞書もいらないほどである。その丁寧な文章の言葉の裏にある意味は 「うちではあなたは必要ない」である。何回も同じ文章を読むたびにそのことを痛感していくのだった。バブル崩壊後の就職難を経験した妹によればそんなの当たり前で落ち込む方が甘い、ということだがこの時はじめて本当の意味で世の中が甘くないことを知ったのかもしれない。 手紙を送ったほとんどの工場から返事が来た。比較的手堅い(?)と思っていたところからは全て断られた。もうそれほど若くもないので、そろそろ「引き際」についても考えなくてはならなくなった。やれるだけのことはやってみたい。でもどこまでが「やれるだけのこと」なのだろうか・・・。 あきらめムードの高まったある日、1本の電話がかかってきた。 「M社の○○と申しますが、中島○○さんでいらっしゃいますか」 「はい、中島ですが」 「実はドイツのグロトリアンの方からあなたが修行を希望されているとお聞きしたのですが・・・」 (つづく) 経過時間 2月 27日 30分経過 吸った煙草 0本 吸わなかった煙草 890本 浮いた煙草代 178ユーロ 延びた寿命 3日 2時間 10分 体重 71,6kg 体脂肪率 17,1% お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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