テーマ:海外生活(7772)
カテゴリ:ドイツ生活
(昨日のつづき 10月3日から)
マンハイムに戻ると、僕はReferat(クラス内でのレポート発表)の準備にいそしむことになった。内容は日本が最初に作ったピアノの話、つまりヤマハとカワイの創設物語ということだが、何分資料が乏しいために、ネットなどで探すのに一苦労だった。それでテストの結果は気にはなるものの、気を紛らわすことはできた。とりあえず待つしかない。 それまで、面接やテストのことで頭がいっぱいでドイツ語の勉強のほうはかなりおろそかになっていた。宿題もたくさんあったがほとんどさぼっていた。それで、しばらくドイツ語の勉強のほうにも身を入れようと思った。 そして2週間ほど過ぎたある日のこと、授業が終わったときにZIVIが僕宛の手紙を持って教室に入ってきた。 一人のクラスメートは「きっとラブレターだ」などと言ってからかったが、遠目にも封筒が何となく重々しい。これはひょっとして・・・ 手紙をZIVIから受け取ると明らかに商用の封筒。(あて先部分が透明になってるもの) そして裏にはGrotrian-Steinwegの印字。 ついに来た。 この2週間かましてた余裕が一遍に吹き飛んだ。何しろ、この封筒の中に僕の運命が記されているといっても過言ではないのだ。 いつの間にかクラスメートたちがまわりに集まっていた。彼らも非常に気にしてくれていたのだ。そのうちの一人が気をきかせてカッターナイフを渡してくれた。封筒くらいきれいに開けろ、ということなのだろう。 そしてそのナイフで丁寧に開封し、中身を取り出した。また回りくどい書き方だったので人目見て合否がわかるものではなかった。 文章は次のようなものだった。 「私たちは喜んで次のことをお伝えします。私たちは貴方に職場を提供する準備ができました。つきましては書類上にて貴方の進退の意思を確認した後、追って手続きに入りたいと思います」採用、採用だ・・・!と言うと、僕が喜びを表現する前に周りのほうが沸き立った。エジプト人の友人からはハグされ、筋肉隆々の台湾人の友人にはひょいと持ち上げられ、胴上げされる始末だった。当の本人はなかなか実感が沸いてこなかった。しかし、何度も「おめでとう」という言葉を聞いているうちに「ああ、受かったんだ・・・」と思えるようになった。 さっそく日本にも電話した。M社に、友人に、家族に・・・ 「こちらもたった今グロトリアンのほうから朗報お聞きしたところです。おめでとうございます」 「もう言わなくても声の感じでわかるよ。おめでとう」 そして母は、 「そう・・・残念だったねえ。でもまた頑張ればいいじゃない」と最初勘違いしていた。お断りの返事に聞きなれていたから無理もない。 「ちがうよ、受かったんだよ、採用だよ!」そう言うと電話の向こうで腰を抜かしてるんじゃないかと思うほど驚いていた。 ともあれ、この時から夢が現実に変わった。その後もビザの問題、卒業後の進路などさまざまな問題はあったが、この5年間は夢に見ていた以上のものだったと思う。でもこれで僕の夢が終わったと言うわけではなく、懲りずにまた別の夢をみている。そしてその夢がかなってまたこのような日記が書けるようになるのはいつの日のことだろう・・・ (とりあえず、おわり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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