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カテゴリ:高校受験
前回の記事についてコメント欄でご質問をいただきました。
大手塾がしているのと全く同じ説明になってしまいますがパクリではありません。 入試規定の字義通りに説明いたします。 仮に定員が100名の高校に150名の志願があったとします。 まず、内申書順位100位(定員)以内「かつ」学力検査点順位80位(定員の80%)以内の人がA群での合格となります。 つまり、学力検査点が1位でも内申書順位が100位に入っていなければいったんB群に回ります。 また内申書順位が1位(1年3学期45点満点+2年3学期45点満点+3年2学期45点満点の3学年合計135点満点)であっても学力検査順位が90位といったように80位(定員の80%)を超えてしまうとこちらもいったんB群に回ります。 内申点が良くて学力検査も定員内だから合格決定とはなりません。 ですからB群に回る人が何名になるか、合格者枠が何名残っているかはその年によって変わってきます。 問題傾向が変わるなどの原因で学力検査に波乱が起こり内申書上位者がガタガタと崩れてしまうとそれだけB群の人数が増えることになります。 このB群に入った人で残っている定員枠を争います。 B群に入った人のうち学力検査順に8割、内申書順に2割が合格となります。 この8割、2割の埋め方なのですが、初めに学力検査順に残り枠の8割を埋めるのか、初めに内申書順に残り枠の2割を埋めるのかは明示されていません。 例えばまだ合格定員枠が40名ある場合、初めに学力検査順に32名を合格させ残り8名を内申点順にするのか、初めに内申点順に8名を合格させ残り32名を学力検査順にするのかは明示されていません。 前者の方だと内申点順位3位・学力検査順位20位、内申点順位7位・学力検査順位25位、内申点順位10位・学力検査順位30位というように抜けていくため、その分だけ内申点枠8名には繰り上がりが生じやすいと思います。 後者だと初めに内申点合格者が8名と固定されるため、残り32名が学力検査順ですので場合によっては内申点順位が9位でも学力検査の出来がひどいと不合格になる可能性があることになります。 前の記事でオール1でも土浦一高に何の不利もなく合格できると書いたのは上記の制度によります。 オール1なら当然B群に回りますが、B群の中では学力検査順に8割の人が合格するので学力検査の点数を取ってさえしまえば内申点合計が45の人が内申点合計110の人より不利ということはありません。 (現実的には土浦一高を受験する人でオール1なんて人はいないでしょうけれども。) 一方で仮に内申書順位が特段に良ければ内申書順位2割に入るでしょうから学力検査で大失敗をしてしまっても合格できることになります。 どのくらいの内申点で「保険」になるのかは高校にもよると思いますし、その年の状況にもよると思いますが、私の塾では2年間の通知表が良かった人にだけは3年の定期テストで発破をかけています。 上記は字義通りの解釈であって実際のところどのように合格判定がなされているのかはわかりません。 学力検査が同点の時だけ内申点を見て判定すると言われたりしていますが、制度上はそうなっていません。 実際には410点で不合格、409点で合格とか、まさかこの点数では合格無理と諦めていたら合格していたということはあるようです。 現在は点数が開示されますが事務処理の間違いではありません。 他の県は学力検査:内申点の比率が1:1の県や千葉県のように学力検査点500点に内申点の135点を乗せている県もあります。 (ただし東葛飾高校のように内申点を0.5倍にして、さらに作文60点を課して、学力検査500+内申67.5+作文60=627.5点満点のような例外もあり。) 県によっては5教科の内申点は素点のままなのに実技科目は2倍して加算していたりするところもあったりします。 これだといくら当日の点数が良くても体育や音楽も得意な上に3年間の学習がきちんとしていなければどうにもなりません。 以上、もろもろ考え合わせると、過程は問わず中3の3月の学力で勝負を決める、ただし特別に3年間毎日の学校生活(態度)と定期テストの成績が良好な一部の生徒は救うという「茨城方式」は私はたいへんに優れた制度だと思います。 あくまでも上記は入試制度の「字義上」であります。 ホントか嘘か今となっては検証しようがありませんが(学校幹部だった人はご存命でもたいへんに高齢でありますので)、私の時は県の制度は脇に置いておいて「学力検査で上から315番(当時の定員)でバッと切って終わり」と授業中に先生が話されたのを鮮明に記憶しています。 まあ昔の下妻一高というのは良い意味でデタラメな学校であり、近隣の県立高校が3学期制だった頃に独自の前期、後期2期制を採っており、「秋休み」(家族総出の稲刈りの名残らしい)があったり、「ホームルームが全くなく授業ごとに出欠を採って各授業の4分の3出席すればよいのでクラス全員が揃っていることはほぼない」ような状況でしたので、勝手なことをしていても不思議ではありません。 あと驚きなのは私のところの生徒の保護者で私とほぼ同年代の水海道一高OBの中には点数開示制度などなかった時代に「自分が4○○点で入試順位が○○位だった」と知っている人がいることです。 ちなみに私の弟も水海道一高OBなのですが自分が何点で何位で合格しているのかを知っています。 会社では入社何十年後に人事部に回って初めて自分の入社時の評価やその後の人事考課を見てひっくり返っている人もいます。(人事部にでも異動しなければそんな機会はないでしょうから多くの社員は入社時の評価なんて知らないまま定年です。) 私がどんな組織に属していたかは言えませんが早稲田からの採用枠2名に対して早慶合計の受験者が230名(慶応の採用枠も2名)、早大内で最終面接に残ったのが7名、うち1人は全会一致ですぐ決定(現在は東大や京大の帝大勢を差し置いて最も早く役員に昇進、日本経済の大動脈を動かしている。ただし同期の帝大卒や1年あとの東大法学部卒で大阪時代の仲良し後輩も役員になり追いかけている)、残り1枠、6人のうち私に関しては強い反対意見と賛成意見が入り混じったそうです。これについては反対意見を述べた人から直接聞きました。 採用時に反対意見を述べた人の見る目が正しかったということになります。 大卒時やその後の人物評価というのも見てみたいですね。 頭はいつの間にか別の人に入れ替わり現在に至りますが、性格評価とか行動評価とかどうだったんでしょうね。 あと誰がどういう評価をつけていたのかも。 新卒時に私に負けた人が新聞辞令で他の会社の中枢部門の幹部になっていることを知りました。「俺がいなければこの人の人生も全く別物だったろうな」と思いました。 運もありますよね。年間採用が全体で20名程度しかないのに、水戸一高出身の人が多くて、たまたま人事課長代理だった人も水戸一高出身で「今年は水戸一高がいないから茨城からこいつにしとくか」みたいなことだったのかもしれません。 でも、サラリーマンは50を過ぎても「辞令」と「折れる危険性の不安」ですよね。まだそれにあくせくしなきゃいけないのかと。 まあ脱藩の素浪人で仕官の口もなく手跡指南くらいが私の身の丈相応です。それでさえアワアワしてるんですから。 それはさておき。 私もいまさら入試で何点で何位だったのかは知りたいですね。入学して間もなく学年全員で模試を受けたので高1の初めの学力というのはわかってはいるのですが入試得点と順位はそれとは全く別の興味としてあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.25 11:34:21
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