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カテゴリ:エチオピア一般・時事
今日はアドワ戦勝記念日。
112年前、ティグレ州のアドワにてエチオピア軍がイタリア軍を破ったことを記念する日だ。 日露戦争で日本がロシアに勝ったことと同様に、非欧米が欧米に勝ったということで当時としては画期的なことではあるが、未だにそれを祝っていることに違和感がある。 その後、結局エチオピアはイタリアに数年間占領されているが、当時の国際連盟がそれを認めなかったため、エチオピアはヨーロッパ列強のアフリカ分割を逃れ、アフリカで唯一独立を保った国ということになっている。 イタリアは北の植民地エリトリアと東の植民地ソマリアを繋げたかったから、エチオピアに侵攻した。 イギリスはエジプトから南アフリカまでアフリカ縦断を達成したかったから、フランスは西アフリカからジプチまでアフリカ横断を達成したかったから、イタリアに取られまいとエチオピアを支援した。 エチオピアはイギリスとフランスの協力を得て独立を保ち、その上欲を出して西のスーダンに領土を拡大しようとした。 その当時はどの国も利己的で正義なんてどこにもない。 イタリアが勝手に引いた国境のせいで、未だにエチオピアはエリトリアやソマリアと問題を抱えている。 また、エリトリアの例で言えば、イタリアはエリトリアの支配を容易にするため、エチオピア人に対する優越感をエリトリア人に吹き込み、そのため今となっても微妙な民族感情が残っていたりもする。 ルワンダの虐殺もそうだが、昨今のアフリカの混乱は、元をたどればヨーロッパ列強の植民地支配に原因があることが多い。 でもエチオピア人に聞くと、イタリアに恨みを抱いてはいないようだ。 「確かにたくさんの人が死んだが、道路や橋などインフラを整備してくれた。それに、そんなに昔のことを今になってあれこれ言っても仕方ない」などと言う。 日本と中韓との関係とは大違いだ。 メケレでは、イタリアの血を引いた人がいる。 ごく稀ではあるが、どこから見てもイタリア人にしか見えない人もいる。 そんな人が普通にティグレ語やアムハラ語を話しているんだから、不思議だ。 一昨日アディスでは爆弾テロがあったようだが、今のメケレはサラーム(平和)だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月03日 02時57分28秒
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