テーマ:浜岡原発は大丈夫?(31)
カテゴリ:脱原発に向けて
浜岡原発の現状、何号機がどうなっているのか、良くわかってなかったので、現状と歴史を自分なりにまとめてみました。 1号機は1976年3月、2号機は1978年11月に運転開始しました。日本の原発の耐震指針が決められたのが1978年9月ですから、これらふたつの原発は、まだ耐震指針が無い時期に設計され建設されているわけです。耐震性は加速度450ガルという値でした。 ついで3号機は1987年8月に、4号機は1993年9月に運転開始しました。これらふたつの原発の耐震性は、600ガルでした。 2001年11月7日、 1号機で配管破断・炉水もれが起こり、水素爆発事故が発生しました。1号機はこのあと、2002年4月から運転停止状態となりました。続いて2号機も、 2002年5月に冷却水漏れ事故、2004年2月にタービン建屋の火災事故が発生し、それ以来運転停止状態となりました。中部電力は結局2008年12月 に、これら古い1号機と2号機を廃炉とすることを発表し、2009年1月に運転終了しました。どちらもほぼ26年間運転したことになります。 ところで1、2号機の廃炉は、「古くなって危険だからそろそろやめ よう」と中部電力が健全に考えて決めたのでしょうか。残念ながらそうではありません。これらの古いものを1000ガルの耐震性に補強するのには、とてもお金がかかるわけです。それで中部電力は、補強するよりは、これをやめにして、代わりにここに新しい大出力の6号機を作ろう、浜岡以外のところに新規に土地 を見つけるのも困難だから、そのほうが得だ、と考えて決めたのです。そして6号機の建設計画が、1・2号機の廃炉計画と同時に2008年12月に発表されました。 その後、運転差し止めの控訴審のほうは、原告側は石橋克彦神戸大学名誉教授や立石雅昭新潟大学教授という強力な証人を立てて訴え続けていますが、被告側の対応が遅く、なかなか進展せずに時間が経過し、現在にいたっています。 さて、この1000ガルの耐震性、大丈夫なんでしょうか。全然大丈夫でありません。上記した2007年7月の新潟県中越沖地震(マグニチュード6.8)では、柏崎刈谷原発3号機タービン建屋1階で2058ガル!の揺れが生じたのです。また、2009年8月11日に 駿河湾地震(マグニチュード6.5)が起こりました。運転中だった浜岡の4・5号機は緊急自動停止しました。このとき浜岡1,2,3,4号機での揺れは、 109~163ガルというわずかなものだったのに、なぜか5号機の揺れは、426~625ガルという大幅に高い揺れが生じたのです。それでも耐震性 1000ガルなら大丈夫か、と思いきや、5号機のタービン建屋周辺は地盤が10センチ沈下し、タービン建屋にひび割れが発生し、その他数々のトラ ブルが発生したのです。 マグニチュード6クラスの地震でさえ、こういう揺れや被害が発生するのです。それが、来るべき東海大地震(マグニ チュード8.0~8.5)が直下で起こったら、どうなるでしょう。1~2メートルの地盤隆起と長く激しい揺れが予想されています。配管や電気配線はたちま ち断裂 し、冷却不能に陥ってしまうことは必至でしょう、津波以前の問題なのです。 被害を受けた5号機ですが、2011年1月、多くの住民の不安・懸念を無視して、「安全だ」とされて運転再開されてしまいました。 そして3月11日が起こってしまいました。地震活動期にはいった日本列島、いつ東海大地震が起こっても不思議はありません。浜岡原発の4・5号機は今日も動いています。現在の安全性で充分とはとても考えられません。ともかくまず止めるべきではないでしょうか。首相が言っているような、「まず福島の収束、それから考える」では遅いのです。 ・広瀬隆 「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」 ダイヤモンド社
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