カテゴリ:マーラー演奏会(2011年)
その1の続きです。
4番:今年は沢山の4番を聴けました。白眉は、6月のハーディング&マーラー室内管の演奏会でした。この演奏会、オールマーラープログラムで、前半が花の章と、「子供の不思議な角笛」から抜粋して何曲かの歌曲、そして後半が4番でした。マーラー室内管のしなやかな音の美しさも非常にすばらしかったですし、さらに驚いたのは、最初の花の章が始まるときに、ソプラノも一緒に入場してきて、指揮者のすぐ左に座って待っていたことです。そして花の章が終わって、拍手が起こる前に、ごく自然に歌手が立ってそのまま歌曲が始まったのです。この異例とも言える曲間のアタッカ!にこだわったハーディングのこだわりは見事。歌もすばらしかったです。後半の4番も、もはや記憶がさだかでありませんが、確か第三楽章の始まる前にソプラノがしずしずと入場してきましたが、聴衆も心得たもので拍手なしで迎え、そのまま第三楽章が始まるという理想的なものでした。演奏も、第一、第二楽章はややもたついた感がありましたが、第三楽章からすごくオケも音楽ものってきて、第四楽章の歌もすばらしく、これまでに僕の聴いた中でベストの4番でした。演奏が終わってから、ハーディングは長いこと手を下ろさず、その間ずっと長い沈黙が会場を支配しました。相当長い時間がたって、まだハーディングは手を下ろさなかったときに、ひとりの不心得者が「ブラボー」と叫んだのですが、すぐ他から「シッ!」というお咎め(むしろ「チッ!」という感じにも聞こえました)がはいり、ふたたび会場は長い沈黙へ。そのあとしばらくしてからようやくハーディングが手をゆっくりとおろし、そして拍手が始まりました。お咎めした人、あなたはえらい。このコンサートのとき、途中の休憩中にはハーディング自身やマーラー室内管のオーボエ奏者の吉井さんが、ロビーで募金箱を持って、募金を募っていました。ハーディングの心意気には本当に頭が下がります。ありがとう。 他の4番では、1月の金聖響&神奈川フィルが、かなり良かったです。11月の準メルクルは期待したほどではなかったです。あとの4番は、聴いていてしんどいものでしたが、これは詳しく書くのをやめておきます。 5番:震災直後、東京では演奏会がことごとく中止となりました。3~4月に上野で予定されていた「東京・春・音楽祭」も、目玉のコンサートが軒並み中止となりました。4月2日には、もともとマーラーの大地の歌が、ボーダー指揮、読響、外人歌手で予定されていました。このチケットは買っていましたが、外人が来ないだろうし当然中止になるだろう、と思っていました。そうしたら、代わりに急遽、読響が尾高さんの指揮でマーラー5番を演奏する、と発表されました(払い戻し希望の人には払い戻しするということでした)。僕はこの時期は音楽を聴こうという余裕がまったくなく、余震のこわさもあったので、行くつもりはありませんでした。しかし一緒にチケットを買っていた友人が、めげずに行こう、という意欲を見せたので、それでは僕も、ということで聴きにいきました。震災後に初めて行った演奏会でした。演奏会は、まずバーバーのアダージョが追悼として演奏され、それから短い休憩をおいて5番でした。 この5番、不条理の災害に対する、やりばのない、ぎすぎすした怒りに満ちた音楽でした。こういう音楽を聴く体験は初めてだったし、今後もおそらくないと思います。音楽の感動というより、惨憺たる気持ちをその場の人々が共有した、そういう体験でした。心に重く刻まれ、繰り返し聞こうとは思わない、そういう体験でした。大植さんの5番と、違いもありますが共通点もある、忘れ得ない5番となりました。演奏終了後には、エルガーのエニグマからニムロッドが、再び追悼として演奏されました。 そして5月、ふたたび読響が5番を。指揮は、予定されていたマーカルに代わって、ブロンスキーという人。これは野生的な、土俗的なパワーのある演奏で、僕としてはマーカルよりも好きなタイプの演奏でした。(これが気に入ったので、会場で売られていたブロンスキー指揮の6番のCDを買って聴きましたが、これは細部の荒さが目立ち、それほどでもない演奏でした。) そしてもう一つ、5番といえばハーディング&新日フィル。震災当日に演奏会が予定通り決行され、ごく少数の聴衆のもとで演奏されたということは以前書きましたし、6月にあらためてハーディングが新日フィルと演奏した5番を聴きに行ったことも書きました。ハーディング、本当にありがとう。それにしても、マーラー5番に限らないですが、名曲は、作曲者の意図を超えた、さまざまなメッセージを伝えることができるんですね。 8番:さすがN響の底力を見せてくれた演奏でした。僕は2階の中ほどで聴きましたが、バンダの音が高貴に響きました。演奏が終わってからバンダの位置を確認したら、2階の右ブロックのなかほどの通路で吹いていました。 9番:金さんの9番は照明の演出が凝っていました。終楽章の最後、だんだんと暗くなっていて、最後は弦楽器の譜面台に付けたライトだけになり、最後の音とともに全部消えてまっくらになるという演出でした。この演出、1回は体験してもいけど、やはり普通の照明の方が良いかな。 大地の歌:今年はすばらしい大地の歌が3回聞けました。しかも全てが同じ週のうちにです!奇跡の大地の歌週間でした。大植さんのマーラー、今年は1番、4番ときて、いよいよ大地の歌。初日(11月9日)はオルガン席で聴きました。シュトゥッツマンの代役として急遽登場した小川さんの歌唱が見事でした。オルガン席でしたので歌はあまり聴けないだろうと覚悟していましたが、第二楽章冒頭から引き込まれました。そして第四、第六としり上がりにさらに良かったです。それに大植さんのマーラーのすばらしいこと!特に第二楽章や終楽章での弱音部での寂寥感は、迫るものがありました。終楽章の途中、歌手が座ってオケだけの長い間奏部分では、まさに大植さんが歌っているかのような、味わい深いマーラーでした。この日は僕の周囲の聴衆の集中もすばらしく、大植さんのマーラー世界に没入できました。大地の歌はそれほど沢山聴いていませんが、マイ・ベストの演奏でした。会場で偶然ぐすたふさんと会い、東京チーム一同、ぐすたふさんとともにアフターコンサートの楽しいひとときをすごさせていただきました。深謝です。 二日目(10日)は、歌をききたくて1階平土間、しかしさすがに端の方しかとれなくて、中ほどの右よりの席で聴きました。オケは中間楽章でアンサンブルがやや乱れましたが、小川さんの歌唱は前日に増す、すばらしいものでした。二日連続の大植さんのマーラーを充分に味わえ、幸せな体験でした。(どちらかを、と言われたら、僕としては席のことも含めて、初日の演奏により感銘を受けました。) 翌々日の12日は、N響で大地の歌を聴きました。指揮は、当初予定されていたコウトが怪我して、シナイスキーに変更されていました。コウトのマーラーを楽しみにしていたので残念でしたし、正直大植さんの大地の歌の余韻がありましたので、聴きに行かないほうが良いかも、などと思っていました。演奏会の前半は、10番の第一楽章。どちらかといえば柔らかな手触りの感じで、なかなか良い第一楽章でした。そして後半の大地の歌。親切に字幕があったので、わかりやすかったです。シナイスキーは、割合に淡々と振っていきますが、要所は程よくテンポを落として、悪くないです。そして特筆すべきは、マーンケさんというアルト。格調高く品のある声で、すばらしいです。世界にはいろいろな人がいるのだなぁとつくづく思いました。というわけでこの週は、夢のような、奇跡の大地の歌週間でした。 歌曲集:4月のキルヒシュラーガーのマーラー他のリサイタルが中止、11月のシュトゥッツマンのリサイタルも中止、となかなか機会がなかったですが、ゲルネ、ゲルハーエルの男声陣が充実のマーラーを聴かせてくれました。 ゲルネは、2007年に東京交響楽団と、「角笛」で強烈な歌唱を聴かせてくれました。今回は、シューマンの歌曲と1曲ずつ交代に歌うという、考えられたプログラムで、精緻な研ぎ澄まされた歌で、シューマンも、マーラーも、良かったです。ゲルハーエルは、盟友のピアニストフーバーとの、息のあった暖かい歌で、二日にわたってマーラーの歌を聴かせてくれました。フーバーさんのピアノがまた陰影に富んですばらしく、「トランペットが美しく鳴り響くところ」のトランペットなど、本当に美しかったです。初日はアンコールに「原光」。二日目は、大地の歌のピアノ伴奏による終楽章をメインにしたプログラム。解説も詳しくて、オケ版とピアノ伴奏版との歌詞の違う点なども書いてあって興味深いものでした。ゲルハーエルは、このピアノ版大地の歌を大事にしているということで、その気持ちがとても伝わってくる歌でした。この日はアンコールもなく、余韻をたたえて終わりました。 昨日NHK-FMで「2011年のマーラーを振り返る」という4時間半の特集番組をやってました。朝目覚めてラジオのスイッチをつけたら3番の第一楽章の夏の行進が流れてきたので、びっくりして目が覚めて、そのあとながらで聴きました。この番組の中で、交響曲を全曲流したのは3番だけでした。未曾有の災害にさいなまれた年、来年にも人々の苦しみとさまざまな難題が持ち越されてしまう年の最後に、マーラー特集で3番を流してくれたのは、3番の生命肯定性、希望につながる内容から、とてもふさわしい選曲だと思うし、きいていて、個人的にもややしんどい状況の中で、元気をもらった放送でした。来年は、より希望の見える状況のなかで、マーラーを聴ければ、と願います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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