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じゃくの音楽日記帳

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2012.06.02
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前回の記事で、今回の大植さんの3番が、僕にはかなり特異なものに感じられた、それはお父様がなくなられたことと関係があるような気がする、もしお父様のご逝去のすぐあとでなかったら、ずいぶん違った3番になった気がする、と書きました。

こういった受け取り方は多分に僕の思い込みかもしれず、他の方の共感は得にくいであろう、と思いますが、書いてしまった以上、もう少しそのあたりを書いておきたいと思います。以下まとまりのない文章になってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。

実はマーラーは3番について、親との関連性に触れた興味深い発言をしています。最初にそのことを知ったのは、だいぶ以前にどこかでどなたかが書いていた文章の中で、「マーラーは、両親がいなかったら自分も、3番も存在していなかったという発言をしている」と読んだときでした。それが僕には非常に印象に残ったんです。いったいマーラーはどういう意味でそう言ったのだろうと、とても興味がわきました。

それでその出典を知りたくて、そのような発言が記録されているとしたら最右翼と思われるナターリエ・バウアー=レヒナーの本を見返していたら、見つかりました。アッター湖畔のシュタインバッハで、1896年夏に散歩中にレヒナーに語ったマーラーの話の中にありました。その部分を引用しておきます。文中の「彼」が、父のことです。

”「母は彼を愛していなかったし、結婚式の前まで彼のことをほとんど知りもしなかった。母はより自分の好みにあった別の男と結婚したいと思っていた。しかし、彼女の両親と父は、彼女の意向をうまいことねじ伏せて、彼の意思を押し通した。ふたりは、互いに火と水のように気があわなかった。父は頑固一点張りであり、母は優しさそのものだった。この非常に不幸な結びつきなくしては、僕も、僕の第三交響曲も存在しないわけだ。-それは、いつ考えても奇妙なことにしか思えない。」”(ナターリエ・バウアー=レヒナー著、高野茂訳「グスタフ・マーラーの思い出」、音楽の友社、131~132ページ)

なるほど、この文章を読むと、僕が最初に思ったほど、3番と親との特別な結びつきを意味した発言ではないような感じですね。この当時の1896年夏は、マーラーが第三交響曲第一楽章の作曲に没頭していたときですから、「3番が存在しない」という言葉になっていますが、もしこれが2番とか4番の作曲中だったら、「2番が存在しない」とか「4番が存在しない」という言葉になっていても不思議はない、と言う程度の意味に考えておくのが普通でしょう、きっと。

それでも、その言葉が「3番」であったことに、もしかしたらもう少し何らかの意味があるのかも、マーラー自身もそれに気がついていないかも、と僕は思いたくなってしまうんです。というのも、3番、とりわけその終楽章を聴くと、それから受ける感動の中に、抽象的なイメージですが母性的なものと父性的なものの相克・止揚というようなものを、僕はいつも感ずるからです。

マーラーの母親に対する強い愛着はいうまでもないとして、では父親に対してはどういう思いだったのか?我々が持っているマーラーの父親像といえば、上のマーラーの言葉にも表れているように、頑固で、母マリーに強圧的にあたるなど、芳しくないイメージが目立ちます。しかしだからと言ってマーラーが単純に父親を憎んでいただけとは思えません。村井翔氏の解説によれば、「彼が子どもの教育に気をつかい、しかし同時に子どもの希望を良く理解し、必要とあらば果断な行動に出ることのできる父親であった」として、ひとつのエピソードが紹介されています。11歳のマーラーを勉強のためにプラハに下宿させたものの、マーラーがいじめられたりしてつらい生活をしていることを知ると、すぐにマーラーを迎えに行き、プラハから故郷に連れ帰ったということです。(村井翔著、「作曲家 人と作品シリーズ マーラー」、音楽の友社、36ページ)

このように父親なりにマーラーを大切にしている気持ちは、当然マーラーにも通じていたのではないでしょうか。

ところでマーラーの生活史年表から、3番作曲前後の出来事をいくつかピックアップしてみました。

1888年 3月 (27歳) 第一交響曲完成
1889年 2月 (28歳) 父親死去
1889年10月 (29歳) 母親死去
1894年 2月 (33歳) ハンス・フォン・ビューロー死去
1894年12月 (34歳) 第二交響曲完成
1895年 2月 (34歳) 弟オットー自殺
1895年 夏  (34~35歳) 第三交響曲第二~第六楽章作曲
1896年 夏  (35~36歳) 第三交響曲第一楽章作曲
1897年 4月 (36歳) ウィーン宮廷歌劇場常任指揮者として1年契約を結ぶ
1897年10月 (37歳) ウィーン宮廷歌劇場監督への昇格が発表される
1898年 8月 (38歳) 妹エマ、エドゥアルト・ロゼーと結婚
1899~1900年 (39~40歳) 第四交響曲作曲
1901年 夏  (40~41歳) 第五交響曲着手
1901年11月 (41歳) アルマと出会う
1902年 3月 (41歳) アルマと結婚。妹ユスティーネ、アルノルト・ロゼーと結婚。

すなわち3番を作ったあとマーラーは、長年の野心の目標だったウィーン宮廷歌劇場の監督の座をついにかち得、ウィーンに乗り込み、そしてアルマと出会い結婚し、最高の地位と人生の伴侶を得た成熟した大人としてのマーラーになるわけです。両親亡きあと、そして弟オットーが自殺したあと、マーラーが長兄としていろいろ面倒をみていた2人の妹も、この時期にそれぞれ結婚し、それぞれ大人としてのライフステージを歩み始めます。

3番はそういった一連の出来事の前の、青年期マーラーの最後を締め括る作品に位置します。そういう時期に作り上げたこの3番について、マーラーが上のような発言をしたのは、たまたま3番を書いていたから、というだけではないという気がするんです。3番の音楽の中に、青年マーラーの両親へのいろいろな想いが、マーラーが意識せずとも、自然界のイメージと混ざり合い重なり合い、昇華されているからではないか、という気がします。

3番冒頭のホルン主題をみてみます。まず第4小節までの旋律。曲の冒頭では威厳を持った父性(もちろん父親そのものではなく自然界の中での父性的な性質)の象徴のように響くかと思うと、第一楽章途中では夏の行進の中心的役割を担い、ときに楽しく明るく、ときに力強くと、様々に響きます。そして終楽章冒頭の主題は、なんとなくこの旋律がやや変形されて生成されているように感じます。そしてその主題は、自然界というか世界の中での母性の象徴たる愛の主題として発展していき、楽章最後の高らかな讃歌に至ります。いわば父性と母性の止揚した高みにいたるということでしょうか。

3番冒頭のホルン主題の、続く第5~第8小節では、レミファー、レミファー、と上行を繰り返す動機が重要です。第一楽章途中でやはりホルンにより、威圧的に他を圧するように響きわたり、父性性、それも厳しく威圧するような父性の象徴という感じがします。(終楽章では、この上行動機は出てきませんが、やはりホルンを主とした雷鳴のとどろきが威圧的に繰り返され、聴き手に自然というか超越的な存在への畏怖の念を喚起するかのようです。)

マーラーの音楽の中で、3番のこれらの主題や動機ほどに、父性および母性的なイメージを強く喚起されるものは、他にちょっとないのではないでしょうか。すなわち、3番の音楽には、自らの両親への想いが、自然・世界を表現する中に織り込まれ、昇華されている。それにより自らの青年期までをまとめ、来るべき大人マーラーに進む道が開かれていく。僕にはレヒナーに語ったマーラーの言葉が、そのような意味を持つように思えるんです。


さて、スコアに目を向けて、曲冒頭の主題のテンポ指示をみてみましょう。第4小節までをAとして、第5~第8小節の上行音型部分をB、第9~第10小節の下降音型部分をC、そのあと第11小節以降の主題提示が終わったところをDとしておきます。すると、Aのあと、Bに「Nicht eilen」(急がずに)の指示があり、Cにはテンポ指示はなく、Dには「Zuruckhaltend」(2番目のuにはウムラウトがつきます)で、これは「引き留める、減速する」というような意味ですので、結局ABCは同じテンポで、Dで減速、というのがマーラーの指示、ということになります。Dは主題提示が終わって一息つくところですから、ここの減速の指示は、もっともですし、多くの演奏で実行されていますね。

前の記事にも書いたセーゲルスタムで、この部分のテンポはどうなっているのか、久しぶりにCDを聴いて確認してみました。わりあい普通のテンポではいったAのあと、Bでやや遅いテンポになるのがユニークで、続くCはBと同じテンポで、Dから一段とゆったりします。すなわちA・B・C・Dは「並・やや遅・やや遅・さらに遅」というテンポ構成でした。

対して今回の大植さんはどうだったでしょうか。実は曲の冒頭の主題提示のとき、僕はBでの減速のショックが大きくて、CとDのテンポがどうだったのか記憶がない(^^;)のですが、楽章後半で主題が再現されるときと同じだったとすれば、Aがかなり速めで、Bがかなり遅く、CがAのようにかなり速く、Dが再び遅い、というものでした。すなわちABCDが「急・緩・急・緩」でした。前の記事ではセーゲルスタム路線を推し進めた、と書きましたが、こうやってあらためて見てみると、セーゲルスタムともかなり違うテンポ構成になっています。

このうちDで遅くするのは、マーラーの指示にもあることで、それほど奇妙ではありませんから、結局大植さんの今回の演奏できわめてユニークなのは、かなり速いテンポのAとCに挟まれたBだけを、極端に遅くした、ということになります。

言い方を変えれば、Bを極端に強調した、すなわちレミファー、レミファー、という上行動機を強調した、ということ。威厳ある、きびしい、父性性の象徴の動機を強調した、ということ。うーんこれは、やはりお父様のことが影響しているのではないでしょうか。。。

・・・まとまらない文章になってしまいました。「だから何なのだ、音楽を聴くのにそういうことは関係ない」、そのように不快に感じられる方がいらしたら、お詫びします。マーラーにとって父親がどういう存在であったのかは、我々には所詮わからないことだし、大植さんのことも、同じです。これ以上、だからどうだ、とか詮索するつもりはまったくありません。

ただ、これまで数年間、大植さんの音楽を聴いてきて、そういうところが音楽に現れてしまうとしたら、いかにも大植さんらしいし、それこそが大植さんの音楽なのだ、と思います。

これからも大植さんの音楽、とりわけ大植さんのマーラーを、僕は聴いていきたいです。僕なりに受け止めて行きたいです。






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Last updated  2012.06.04 10:29:36
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