カテゴリ:マーラー演奏会(2012年)
ヒロノミンVさんから先の記事にいただいたコメントに触発されましたので、蛇足ながら、2009年の5番と今回の5番について、もう少し書いておこうと思います。
ヒロノミンVさんの想像されたように、今回もまた、楽譜から一つ一つのフレーズの意味を読み取り、再構築されたマーラーでした。そして大植さんのマーラーの場合、楽譜を頭で分析するというより、魂で感じる、実存で読む、という傾向が著しく強いと思います。だからこそ2009年の5番は、あのような、二度とありえない5番、一期一会の5番になった、と思います。 仮に2009年の5番の録音があって、なんらかの形で世に出ることがあったとしても、僕は聴かないつもりです。 あのとき、さしせまった状況の只中にあった大植さんの魂が、あのように演奏するしかなかった。そのようにして生まれたあの演奏を、あとになって繰り返し聴くという行為は、言い方が変ですが、大植さんに申し訳ないような、そんなふうな想いがあります。 その点、今回の5番は、大植さんの本来の生命肯定の方向性が、無理なく発露された、そういう気がします。 今回の5番は、デッドな会場で、音の響きとしてはさみしいものがあったし、オケのパフォーマンスも、演奏の傷は少なからずありました。だけど、良かったんです。そこかしこ、ぐぐっと胸に響くものがあったし、特に終楽章になって、前向きなエネルギーが強く大きく現れてくるのに、非常な説得力を感じました。これもヒロノミンVさんからの触発ですが、岸和田の5番、音は乱れても、音楽は乱れなかった。音楽は一貫していた。 2009年の記事にも書きましたが、僕はこの曲の終楽章の明るさが、どうにも唐突な感が強くて、なかなかなじみにくかったのです。2009年の5番は、明るくならず、救いのないままに終わった5番で、その耐え難い重さが、尋常でない深い感銘につながった、究極の体験でした。マーラーの意図からそれた5番でした。 今回の5番は、マーラーの意図に即し、終楽章で明るく前向きに転じた5番でした。そして僕にとってこれまでにないほど、曲全体の流れの中で、終楽章の前向きさが、すっと納得できた体験でした。しかもその納得したという実感が、演奏を聴いていたときよりも、次の日、さらに次の日と、時間がたつほどに、僕の中でじわじわとこみ上げて、成長してきている感じなんです。 この岸和田の5番、完成度という点では、先日の9番のような境地には全然達していないです。でも、現在の大植さんの魂から、実存から、ほとばしる前向きなエネルギーが十全に現れていたという点で、すばらしい5番でした。 大植さんのマーラーに、最終回答はない。大植さんの発展、変化とともに、いつまでも変化し続ける、大植さんのマーラー世界。 前にも書きましたが、そうたびたびなどという贅沢はいいません、たまにでいいですから、これからも聴かせてください。大植さんの開く、すばらしきマーラー世界を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[マーラー演奏会(2012年)] カテゴリの最新記事
|
|