今日からまた忙しい毎日が始まりました。
2012年の個別のコンサートのことを書くのは、時間の関係でそろそろ終わりにしようと思います。
最後に、2012年秋から始まったインバル新マーラーチクルスから、やはり3番だけは一応簡単に書いておきます。
10月27日 横浜みなとみらいホール
10月28日 東京芸術劇場
マーラー 交響曲第3番
指揮:インバル
管弦楽:東京都交響楽団 (コンサートマスター 四方恭子)
メゾソプラノ:池田香織
女声合唱:二期会合唱団
児童合唱:東京少年少女合唱団
まず初日の横浜公演です。
オケの配置はごく普通で、チューブラーベルは下手側に、他の打楽器と同じ高さの雛壇に普通に置かれていました。
第一楽章、速めのテンポできびきびと進んでいきます。弦のアインザッツを鋭く強調したりする、インバル得意の表現主義的マーラーが展開されていきます。勇ましい感じですが、しかしちょっと単調で、それにインバルが先に先に急ぐので、なんだかあわただしい感じがします。それから、たとえば木管のちょっとした愛らしいフレーズなど、弱音で奏でてほしいところが、大きめの音で鳴らされることが多く、微妙なニュアンスが聴こえて来ないと感ずることが多く、もどかしいです。あわただしいやらもどかしいやらのうちに、第一楽章が終わってしまいました。
思い起こせば、2010年3月に聴いたインバル&都響 のマーラー3番、初日の演奏はやはり恐るべき速さで進み、オケがついていけず、浮き足だってしまい、ちょっと破綻していました。それに比べると、今回の初日は、オケは速いスピードにもしっかりとついていき、インバルの要求に応えていたと思いますが。。。
第二楽章も、同じ調子。テンポが速く、固い感じで、デリカシー不足です。
第二楽章が終わって、ここでインバルが一度退場し、その間に声楽陣が入場してきました。
インバルは、2010年のときには第三楽章が終わった時点で途中退場して、かなり驚かされたものです。特に2010年の初日は、児童を含む全合唱団が曲の始まる前にあらかじめオケとともに入場していたのにもかかわらず、インバルが第三楽章終了後に突然途中退場したので、びっくりしました。満場の聴衆と、それからもしかしたら合唱団やオケの人たちも驚いて、みなが固唾をのんで静かに待つことしばらくして、インバルが再登場して、演奏が再開されたのでした。2010年の二日目は、合唱団は最初には入場せず、インバルがやはり第三楽章が終わって退場したときに、入場してきました。
さて今回合唱団は、2010年(サントリーホール)のときと違ってP席ではな く、舞台上に入場してきました。舞台後方に横に長く3列で並び、最前列が児童合唱、後ろ2列が女声合唱でした。すなわちベルと児童合唱を高くというスコアの指示は気にしてない、普通の配置でした。なお独唱者は、合唱団と一緒に、目立たないように入場してきて、左右の中央に位置しました。
声楽陣が着席し、しばしの間合いのあと、インバルが再び登場し指揮台に上りました。聴衆も心得たもので拍手が起こりません。
第三楽章は、先行楽章よりもテンポが遅くなり、ようやく落ち着いたテンポになりました。でも音楽の歌わせ方が、それまでの楽章と同じように、音は大きくはっきりしているものの、弱音の柔らかなデリカシーに著しく不足していています。自然の息吹が感じられません。
ポストホルンは、しかし素晴らしかったです。朗々とした歌が、適度な距離感をもって響きました。この時ようやくにして、舞台上のオケがきれいな弱音を奏で、ポストホルンとともに美しい音楽を歌いはじめ、ここにきてようやく、3番らしい美しさを感じることができました。
第四楽章、黒い衣装に銀の襟のドレスの独唱者が歌います。歌は良いのです。しかしここでも、途中の木管が不必要に大きな音で、デリカシーがなく、興が削がれます。
合唱団を立たせるタイミングは、2010年のときと同じで、インバル独特のタイミングでした。第四楽章半ばでまだ独唱者が歌っているうちに、合唱団が静かにすっと立ちました。この方法は、なかなかいい感じです。
そしてアタッカで第五楽章が始まりました。女声合唱の約30数名に対して児童合唱は約30名でした。児童合唱にはかなり小さい子もいましたが、立派な歌唱で、この児童合唱は健闘を称えたいと思います。
合唱団の座るタイミングも、2010年と同じで、僕が個人的に命名した「シャイー方式」でした。すなわち第五楽章の最後近くの合唱の休止する3ー4小節の間 に素早く全合唱団が着席し、そこから楽章最後までのビムー、バムーを座ったまま歌うという方式でした。この方式が個人的にはベストと思います。
そのままアタッカで終楽章へ。終楽章はやや速めのテンポで、普通に良かった、という感じです。
今回のオケは、インバルの要求にしっかり応えたというか、かなり頑張っていたと思います。なかでも特筆すべきはトランペットの高橋敦さんで、第三楽章のポストホルンと、終楽章最後の金管コラールの一番トランペットの両方を担当し、どちらも美しくきっちりと吹いていて、見事でした。
一方インバルの描き出そうとする3番は、全体通じて(特に前半)、大きくはっきりした音は出ていたものの、弱音のデリカシーに配慮が乏しく、そこが僕としてはかなり残念さを感じた演奏でした。不完全燃焼の思いを抱きながら、帰宅しました。
翌日二日目は、東京芸術劇場での演奏でした。このホールは9月に改装オープンし、残響がかなり長くなりました。
二日目の演奏は、インバルの強弱の表現に幅というかふくらみが出てきて、デリカシーが感じられ、1日目よりずっと良くなっていました。
オケの頑張りは今日もすばらしかったですし、トランペットの高橋さんはこの日も、昨日と同じく、第三楽章のポストホルンと終楽章最後の金管コラールの一番トランペットの両方を、見事に吹ききりました。脱帽です。
この二日目、オケの技術的な面も含めて、高い水準の演奏であることは間違いありません。きっと多くの方が感動されたことと思います。
でも、僕はこの演奏から大きな感動を得ることは、残念ながらできませんでした。2010年の二日目には僕も感動したのだけれど。
どうしてだろう。
僕の3番の聴き方が変わってきているのかもしれません。
このあたりの感じ、言葉に表すのは難しいのですが・・・
かなり昔から感じていたことですが、もともとインバルの目指すマーラーの方向性は、僕がマーラーの音楽に求める方向性と、本質的なところで、「ずれ」がある ように思っていました。以前からインバルの演奏に接して、その「ずれ」が気になってしまうことが多かったように思いますけれど、演奏によってはその「ずれ」が、あまり気にならずに大きな感動を得られる場合も、ときにありました。
その「ずれ」が、このごろやや拡がったような気がします。 2012年にインバルのマーラーを数回聴いて、そのように感じます。インバルのマーラー像が変わったのか、僕の聴き方が変わったのか、その両方なのか。。。このあたりのことは、まだ自分の中で言葉になるまで熟してないですね。今回はこれくらいにしておきます。またいずれ機会があれば、書いてみたいと思います。