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じゃくの音楽日記帳

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2014.09.04
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カテゴリ:音楽一般

今回入院するにあたって、この機会にじっくりと聴こうと思ってiPodに入れてきたCDがあります。BISのBOX SETで、シュニトケの交響曲全集、0番から9番までの全10曲です。

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シュニトケは、非常に好きな作曲家です。ただ、交響曲は単発でそれなりに聴いたことはあっても、全曲をまとめて聴くということはこれまでなかったので、この機会に是非全曲を順番に聴きたいと思って準備しておいたものです。

しかしさすがにシュニトケの曲ですから、いざ聴こうという気持ちになったのは、手術後だいぶ日がたってリハビリも順調になって元気が出てきてからでした。約1週間かけて、0番から順番に、聴いてきました。ひととおり聴いたあと、また戻って何曲か聴き直しました。充実した聴体験でした。

0番は、1934年生まれのシュニトケが20歳台前半に書いた作品で、ショスタコ風な、習作的なものでした。

1番は、30歳台半ばに書かれ、これはシュニトケの個性がパワフルにあらわれた作品で、まさに1番にふさわしい曲でした。エレキギター、サックス、ジャズヴァイオリン、オルガンの大音響を含むオーケストラの野放図な叫び、ほんとうに何でもあり。終演後の熱狂的な拍手もすごいです。シュニトケの多様式主義(要するに何でもありの主義)の大いなる宣言といったところでしょうか。聴いていて確かに面白いですけど、のちの作品に比べると、やりすぎというか、冗長な感じがしました。この曲の斬新な作風は、ソ連当局から目をつけられ、ソ連作曲家同盟から糾弾されたということです。ショスタコーヴィチの時代よりは良かったとはいえ、シュニトケはかなり窮屈な思いをしたことでしょう。

2番「聖フローアン」(1979年)は、ブルックナーゆかりのあの聖フローリアンをシュニトケが訪れたときの印象をもとに書いた作品ということです。これも、多様式主義全開で、レクイエムのラテン語典礼文のグレゴリオ聖歌を静かに歌う合唱に、オルガン、エレキギターなどがはいった大規模なオーケストラがじわじわと割り込み、やがて豪快に鳴るということを繰り返す、すごい曲です。

なお、この2番を書いた翌年の1980年に、シュニトケはソ連作曲家同盟を棄権し、そしてソ連からの一切の出国が禁止されたということです。

その後もシュニトケは我が道を歩みます。3番(1981年)も、シュニトケの多様式主義全開で、オルガンを含む大規模なオーケストラが、大胆に鳴り響き、自由な音の奔流がほとばしり、最後は闇に消えていきます。傑作と思います。

僕がシュニトケの音楽の強烈な個性と思うことの一つに、調性音楽(あるいはグレゴリオ聖歌など、古い時代の音楽も含む)と無調音楽の同時並列があります。古き良き時代の明るい素朴な音楽が鳴っていると、間もなくその背後から無調音楽の不気味な響きが重なり始め、次第に勢いを増してきます。やがて古き素朴な音楽は、その黒々とした巨大な闇に飲み込まれてしまいます。あるいは、古き素朴な音楽の整ったフォルムが、にじみ寄る無調音楽にじわじわと侵蝕され、歪み、崩れていきます。まさにこのような瞬間に、シュニトケの音楽は、現代の不条理に抗おうとする人間の絶望、むなしさ、孤独を、強烈に突き付けてきます。

この一切の救いのなさを、私かねてからシュニトケの音楽の中でも特に惹かれる魅力に感じていて、個人的に「地獄に仏」ならぬ、「地獄にシュニトケ」と呼んでいました。だいぶ以前に体験したことですが、FMラジオのスイッチをつけたときに、たまたま古典的なきれいな曲をやっていて、それを途中から何気なく聴いていたところ、次第に無調音楽に変容・崩壊していき、背筋が寒くなるような大変な衝撃を受けました。それがシュニトケの作品だったのでした。

1番から3番までは、この「地獄にシュニトケ」の特徴が際立って聞こえます。オルガンを含む巨大編成のオケが、あるときは阿鼻叫喚し、あるときは不気味な静かさを持って、何でもありのルールで圧倒してきます。オケの鳴りっぷりも、何物にも縛られない豪快なパワーがあります。

しかしその後、4番(1984年)から、少し作風が変わりはじめます。オケは小編成になり、音が少なく、薄くなり、室内楽的な響きの方向に変わり始めます。オケが大音響で鳴るところでも、3番までのように気持ちよく十分に鳴らし切ってすっきりとすることがなく、何か奥歯に物がはさまったような、抑制がかかるようになります。5番(1988年)ではその傾向がさらに明確になります。そして何よりも3番までと4番以降とで決定的に異なるのは、上記した古き素朴な音楽と無調音楽の同時並列が、なくなっていることです。僕としては、シュニトケらしさを一番感ずるこの特徴が、早くも4番から失われていることを今回認識して、いささか驚きました。そもそも改めて聴いてみると、4番以降では、同時並列がないどころか、古き良き音楽自体が、単独としてもほとんど出てこなくなるのでした。

それでもまだ4番、5番では、オケが大きな音で強烈に響くことはそれなりにあるし、3番までの作品との連続性を感じました。続く6、7番では、作風がさらに変化することになります。

なおシュニトケは、4番を書いた翌年の1985年、脳卒中で倒れ、以後は病気と闘いながらの作曲生活になります。この1985年には傑作のヴィオラ協奏曲、85年~87年にはこれまた傑作のバレー音楽「ペールギュント」を書いています。

シュニトケは1990年、ロシアを出て、ドイツのハンブルグに定住します。
6番(1992年)、7番(1993年)は、4,5番で見られ始めた作風の変化がより明瞭になります。さらに音がうすく、少なくなり、室内楽的な響きになります。もはや多様式主義では全然なくなっています。ぶっきらぼうな音の羅列が延々と続き、オケの炸裂もなく、正直難解な曲です。7番の最終楽章には、古き良き音楽が久しぶりに明確に出てくるのですが、かつてのシュニトケのような、無調音楽との同時並列はまったくなく、単独で出てくるだけです。この時期シュニトケは、ロシアを離れ、新しい作風を模索していたのではないでしょうか。

こうした模索のあと、1994年に書かれた8番は、傑作です。作り方自体は6,7番と似た方向にあり、ゆっくりとした動きの旋律がユニゾンを主体として延々と流れ、そこに時々薄い和音がかぶるだけというシンプルな作りなのですが、そこには抒情性があり、美しいです。ついにシュニトケ、新しい境地に到達した感があります。

しかし病気は悪化し、シュニトケは病苦の中で9番の作曲に取り組みますが、未完成でついに没します。後年、他者の補筆で完成版ができます。この9番も、8番の延長線上にあり、美しく、かつ最終楽章になると躍動的にもなり、ある種の突き抜けた明るささえ感ずる音楽になっているのは凄いです。曲はそのようにして躍動的に終わるかと思いきや、最後に突然、謎めいた和音が何回か長く鳴らされ、そのまま終わります。シュニトケの魂はどこに帰っていったのでしょうか。

今回全曲を順番に聴くことで、シュニトケに対する理解が深まった気がします。特に3、8、9番は印象に残り、今後も折に触れて聴きたいと思いました。






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Last updated  2014.09.05 08:12:44
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