ノット&東響、藤村実穂子さんほかによる、マーラー3番を聴きました。非常に感動したので、まだ頭の中がまとまらないけれど、ともかく記事を書いておきます。
指揮:ジョナサン・ノット
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
児童合唱:東京少年少女合唱隊
女声合唱:東響コーラス
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:大谷康子
マーラー 交響曲第3番
9月12日サントリーホール
9月13日ミューザ川崎シンフォニーホール
まずは初日、サントリーホールの感想です。
今日の僕の席は、1階平土間席のかなり前方、やや右寄りです。席に座って舞台上の楽器配置を眺めると、コントラバスが舞台下手に9台、ハープが上手に2台、両翼配置です。定かな記憶ではありませんが、何回か聴いたノットさんの演奏会はみな両翼配置だったように思います。ノットさんの基本スタイルが両翼配置だとすれば、僕としてはとてもうれしいです。マーラーは、両翼配置で聴くのが断然面白いです。
ところで、鐘が舞台上に見当たりません。P席あたりを見回しても、どこにもありません。どこだろうと思っているうちに、開演時刻になり、オケの入場に先立ち、女声合唱がP席に入場して来ました。良くある方法とは異なり、女声合唱はP席の前方3列(2~4列)に座りました。それより後方は空いています。それで児童合唱が女声合唱の後方に座るのだろうと思いました。これは、素晴らしい配置です。児童合唱が高い位置に陣取るからです。
以前の記事にも繰り返し書いているように、マーラーはスコアに、児童合唱と鐘を高い位置に置くように指定しています。しかしこの指定が守られることは比較的少ないです。たとえばサントリーであれば、鐘は普通に舞台上に置かれてしまい、P席の前方に児童合唱、P席の後方、一番高いところに女声合唱という配置などが多いです。この、鐘と児童合唱と女声合唱の配置を見るだけで、指揮者がどれだけこの曲にきちんと向かい合っているかが伝わってきます。
女声合唱の入場のあと、オケが入場しチューニングです。児童合唱は、まだ入ってこないので、曲の途中で入場するようです。鐘がどこにも見えないので、もしかしたら、尾高&札響の3番(2010年)のように、第5楽章が始まったときに、P席後方のドアをあけて、通路で鐘を鳴らすのかもしれない、と思いました。
第一楽章が始まりました。冒頭のホルンのユニゾンの主題から驚きが待っていました。まず第5小節からテンポを落としました。メロディーでいうと、ミラーソラファードッ、ファラーシドシーラーソーミー、このあとです。ラーシードレミーー、のところからテンポを少し落とし、さらに次のダン、ダン(第6小節)のところから、強烈に遅くしたのです。
そもそもスコアではこの第5小節に「Nicht eilen」(急がず)と指定されています。マーラーが「速くするな」と言っている部分で、それならばと、逆に遅くし、第6小節で一段とだめを押すように遅くしたのです。このダン、ダンは、すごい重みがありました。
ホルンの主題の途中でこのように大きく遅くする方法(以下ギアダウンと呼びましょう)は、かなり珍しいスタイルです。CDではセーゲルスタムがやっています。実演では、大植&大フィルの兵庫での演奏会(2012年)で、このギアダウンに初めて接して、非常にショッキングだったことが忘れられません。次いで、アルミンク&新日フィル(2013年)がそうでした。今回のノットさんは、僕の接した中で3回目のギアダウンになります。最初の大植さんの場合は、第5小節のホルンの上行音型(ラーシードレミーー)のところから大きくギアダウンしていました。アルミンクは、第5小節はややテンポを落とす程度で、続く第6小節のダン、ダンからギアダウンしていました。今回のノットさんは、アルミンクと同じ方法になります。
大植さんのときにはこのギアダウンはかなりショッキングな体験でしたが、今回は3回目だったためか、それほどのショッックはなく受け止められました。それにしても、この頃こういう演奏が多いということは、国際マーラー協会の新校訂版は、ここに何かテンポ指示が加わっているのだろうか、とも疑問が生じます。僕の持っているポケットスコアは古い版なので、いずれ新しい版を見てみたいと思います。
それで、この第一楽章、すごく良いのです。峻厳としたところはびしっと厳しい音作りだし、打楽器のときどき思いがけない強打が新鮮で、音楽を引き締めます。一方でうきうきと楽しいところは喜ばしく温かさが感じられ、多面的な魅力を存分に伝えてくれます。これはすごいです。
たとえば峻厳性でいえばベルティーニ&都響(2001年)、生き生きとした喜びの表現で言えば大植&大フィル(2005年大阪)が、僕にとっての忘れがたい名演奏ですが、その両者の面をともに、これほどたっぷりと伝えてくれる演奏は、そう滅多にないです。
テンポ設定はやや遅めで、そしてインテンポというわけではなく、微妙な加速や減速はあるのですが、それが目立たず自然な変化なので、聴いていてそれほどテンポが変わっているような感じがしないのに、気が付くと多少変わっている、そういう感じで、音楽がとてもしなやかです。まさに柔にして剛の3番。
なお、トロンボーンのモノローグが終わって、夏の行進が小さく始まってしばらく続くあたりに、しばらく弦の奏者が半分で演奏するところがありますね(練習番号21~25と、その再現部にあたる63~65)。ここは、それぞれの弦パートの前方のプルトが弾くことが多く、あるいは各プルトのオモテないしはウラの一人が弾く場合をたまに見かけます。しかし今回は、それぞれの弦のパートの後方のプルトが演奏していました。この方法は珍しく、僕が接したのは今のところ大野和士&京響(2011年)の演奏くらいです。大野&京響のときは、初めて聴くためか、かつ指揮者にかなり近い席だったためか、音楽が空洞化したような違和感がありました。今回は2回目のせいなのか、音楽がすばらしいせいなのか、あまり違和感はありませんでした。でも、敢えてそうするメリットというのも特には感じませんでしたが。
すこぶる充実した第一楽章が終わって、このあとの展開がとても楽しみになりました。
オケがもう一度チューニングして、第二楽章。この楽章もチャーミングな美しい演奏でした。
第二楽章が終わって、ノットさんはしばし間合いを取りました。その間に、遅れてきた観客が座席に座ります。そのかすかなざわめきの中で、メゾソプラノの藤村さんがいつのまにかしずしずと目立たないように舞台に入場して、指揮者の左横におかれた椅子に静かに座りました。拍手が起こりにくように配慮された、巧みな入場でした。
このタイミングで一緒に児童合唱が入ってくるかと思いましたが、P席には誰も入場しませんでした。それならば第三楽章が終わってから入ってくるのだろうと思いましたが、その予想は良い意味で裏切られることがのちにわかります。
第三楽章。ここから一段と音楽が深みを増しました。特にポストホルンの部分が素晴らしかったです。ポストホルンは、僕の席(1階平土間前方左寄り)からは、やや右前方の高いところから、しかしどこから聞こえて来るのかはよくわからないようなふわーっとした感じで、聞こえてきました。吹き始め少しの間こそ、わずかにしんどそうでしたが、しり上がりに調子をあげ、明るくあたたかな音色でゆったりと響いてきました。あとで2階RA席で聴いていた友人に訪ねたところ、RAブロックの2箇所のドアをあけ、客席の外の通路で吹いていたようだ、ということでした。
ポストホルンは、しばしば舞台上の横のドアをあけてその外で吹かれます。その場合、音はそのドアのところ1ヵ所を通って出てきますから、席にもよりますが、結局そのドアあたりから聞こえてくることになりがちです。これに比べると、今回のように高いところのドアを、しかも2ヵ所あけるのは、より遠くから聞こえる効果を得やすくて良い方法と思います。もちろん今回の方法でも、開けたドアの近くの席の人は、より直接的に近くから聞こえてしまったと思いますが、ホールの多くの聴衆には、遠くからの十分な距離感を持って響いたことと思います。「どこから聞こえて来るのかはわからないけれど、どこか遠くから聞こえて来る。」これまさにマーラーの目指したポストホルンの響きだと思います。この距離感、絶妙でしたし、響きも豊かで美しかったです。
さらに特筆すべきは、このポストホルン部分のテンポです。ものすごく遅く、ゆったりとしていたのです。舞台上で奏でられる音楽もデリカシーがあり、全体として夢のような世界に浸れました。これは本当にすばらしかったです。
そしてポストホルンが終わって、にわかに雰囲気が変わり、ハープのグリッサンドに導かれてトロンボーンとホルンの斉奏の楽節(練習番号31)、アドルノが神の顕現と呼んだ重要な部分も、十分な荘厳さがありながら、温かみがある響きで、久々にこの箇所で満足できる演奏を聴くことができました。
(長くなりすぎましたので、この続きはすぐ次の記事にわけて書きます。)