大植&大フィルのマーラー3番(2015年)初日
大植英次指揮大フィルによる、マーラー3番を聴きました。指揮:大植英次アルト:ナタリー・シュトゥッツマン児童合唱:大阪すみよし少年少女合唱団女声合唱:大阪フィルハーモニー合唱団管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター:田野倉雅秋マーラー作曲 交響曲第3番9月17日、18日フェスティバルホール前の週の、ノット&東響の3番の直後という、空前の3番高密度週間になってしまいました。もう少し間隔があいてくれれば良かったんですけど、もしもこれが同じ週で、木・金が大フィル、土・日が東響だったら、4日連続になってしまうところだったので、それが避けられただけでも良かったです。大植さんと大フィルのマーラー3番を聴くのは、2005年大阪、2012年兵庫についで3度目です。2005年の3番は大植さんの生命肯定する前向きな明るさに強く心打たれました。2012年兵庫の3番は、詳しく記事に書いたとおり、全体として僕には疑問のある演奏でした。ともかく演奏のたびごとに大きな変化を見せる大植さん、今を生きる実存の有り様が如実に音楽に現れてしまう大植さんのマーラーですから、今回も予断を許しません。それから、大植&大フィルの大地の歌(2011年)で急に出演ができなくなったシュトゥッツマンさんが歌うのにも期待したいところです。まず初日です。本日の僕の席は1階前方、左寄りの席です。オケの入場前に、合唱団の入場が始まりました。女性と児童の全合唱団が入場してきます。そして舞台の後ろの雛壇に、前よりの2列に児童合唱、後ろよりの2列に女声合唱が並びました。それぞれの人数は、ざっとしか数えませんでしたが女声合唱の70人ほどに対して児童合唱が40人ほど。鐘は、舞台左奥。普通の配置です。オケの配置は、対抗配置ではなく、普通に左から1stVn,2nd Vn, Vc,Va,Cbでした。ハープは左側に2台。やがて大植さんが入場し、演奏が始まりました。20012年兵庫では、冒頭ホルン主題の大きなギアダウンがありました。今回も、ギアダウンしました。第5小節の上行音型ラーシードレミーーのところをものすごく遅くしました。そして続く第6小節のダン、ダンはすぐにスピードを速めてもとのテンポに戻しました。その速いままで、レミファーー、レミファーー、レミファーミーレードー♭シーラーソーまで速くとおりすぎ、そのあと第11小節あたりのファソミーーーから再び遅くする、というやり方でした。このギアダウンは、ダン、ダンを重く強調するアルミンクやノットとは全く異なるだけでなく、2012年の大植さんご自身のギアダウンともまた違っていました。2012年のギアダウンについては、「マーラー3番と両親(大植&大フィルのマーラー3番:その3)」の記事で詳しく書きましたので、そちらをご参照していただきたいのですが、2012年も2015年も基本「急、緩、急、緩」というテンポ変化なのは一緒です。しかし、2012年では最初の「緩」の部分が第5~8小節までの4小節でした。この4小節を遅くするという方法は、上向音型部分を遅くする、という特徴があり、そこに僕は父性性の強調という意味を見出したつもりでした。これに対して、今回の最初の「緩」は、第5小節の1小節だけに短縮されていました。前回とは全く異なることになります。ところで、大植さんは今までは3番を暗譜で振っていたのに、今回は譜面台が置いてあり、これにもいささか驚きました(これまでのマーラーは、4番で譜面を見ていた以外には、僕の知る限りすべて暗譜でした。)ただ、置いてはあるがほとんど見ないで振っていて、ときどき思い出したように指揮をしながら何ページもめくっていく、という様子でした。そして第一楽章の後半にはスコアを閉じてしまい、その後はほとんど見ることはなかったです。それにしてもこの第1楽章、オケが乱調です。大太鼓が落ちるし、アンサンブルはそこかしこ乱れます。やがて楽章後半、ホルン主題が再現される前の小太鼓部分にきました。この小太鼓が今回、舞台裏でなく、舞台上でそのまま普通に叩かれました。このような舞台上小太鼓の演奏会には、たまに遭遇することがありますが、まさか大植さんの演奏会で見ることになるとは思いませんでした。いささかショックです。人手不足のためか、練習不足のためか、その両方のためなのか。。。(大フィル公式ブログによると、3日間の練習をめいっぱいやったようですが。)今日の仕上がり具合から想像すると、リスキーなことをやる余裕がないという判断で、舞台裏小太鼓を避けたのかもしれません。そのようなショックな小太鼓に導かれて始まったホルン主題の再現ですが、そこにもさらに驚きがありました。ここでは、冒頭部分の第5小節に相当する部分でのギアダウンを行わず、そのまま速いままでスルーしていきました!何故に冒頭部分だけギアダウンして、ここではやらないのでしょうか?大植さんの意図が謎です。天才的直観によるものなのか、それとも何らかの深謀遠慮によるものなのでしょうか。このような驚きが続いたのでシンバルの人数をすっかり見落としてしまいましたが、二日目に確認したところ、冒頭では一人だけ、再現部分でも一人だけという、打楽器奏者最小限節約スタイルでした。。。やはり人手不足?なお夏の行進での弦半分のところは、各プルトのオモテ奏者のみ弾くというやり方でした。結局今一つ調子が出ないままで、長大な第1楽章が終わりました。今日の大植さんは、冒頭のギアダウンを筆頭として、ところどころで急にテンポを落とし、また戻すというテンポ変化を頻繁に行うスタイルです。こういうミクロ単位というか、短いスパンでのテンポ変化は、6番(2014年)のときに強く感じた傾向で、今回はそれがますます顕著になった感じです。このテンポ変化についていくのはオケとしては確かに大変なことだろうと思いますが、それだけでなく、指揮とオケの呼吸が今ひとつ噛み合わない感じです。ここでオケのチューニングでもしたら良いと思ったのですが、それもなく、そのまま第2楽章が始まりました。大植さんらしい温かくしなやかな歌がもう一つ聴こえてきません。そして第3楽章。ポストホルンは舞台左手奥のドアをあけて、その外で吹いていました。このホールのようにあまり残響が豊かでない会場だと、どうしても開けられたドアのあたりから聞こえて来てしまうということになりますが、これは仕方ないことだと思います。ポストホルンそのものは安定した良い演奏でしたが、ともかくテンポが速くて、あっさりと過ぎてしまい、大植さんらしい明るい歌がここでも不足していたのが、残念でした。第3楽章が終わって、シュトゥッツマンさんの入場です。ここで、はっきりとした拍手が起こりました。大植さんも、指揮者の左前に置かれた椅子に着席するシュトゥッツマンさんの左手をとり、くちづけして迎えます。僕としてはここでは静寂のままの方がずっと好きなのですが、大植さんは以前からこのタイミングでの拍手は良しとしていて、大植さん流というか、独唱者を紳士的に迎えるスタイルをとられます。これはこれで、独唱者のひとつの迎え方と思います。さて着席したシュトゥッツマンさんが第4楽章を歌うためにあらためて立ち上がると、それとともに全合唱団が起立しました。このように全合唱団を第4楽章開始時にあらかじめ立たせる方法は、シャイーがとっていた方式で、第4楽章から第5楽章へのアタッカをスムーズに実現するためにもっとも良い方法と僕は思います。大植さんは2005年、2012年の両者ともに同じ方式で起立させていました。今回もこの方式で、良かったです。そして第4楽章。さすがにシュトゥッツマンさんの歌は聴きごたえがありますが、オケがやはりやや精彩を欠いていました。この第4楽章と第5楽章は、舞台後ろ上部に字幕が出ました。この曲で字幕が使われることはめったにありませんが、意味がわかりやすく、とても良かったです。シュトゥッツマンさんの着席のタイミングは、第5楽章の終わりの一番最後のビンーという長い音が静かに伸びているうちに、静かにゆっくりと着席しました。ついでに合唱団の座るタイミングは、第6楽章が始まってすこししてから大植さんが指示を出し、それに従って合唱団が座るという方法でした。そして終楽章。大植さんの独自のテンポ設定が個性的です。まず楽章冒頭の主要主題の始まりの8小節(いわば主要主題のAメロといえる部分)は、早めにあっさりと演奏されました。しかしそれに続く練習番号1からのチェロのメロディー(いわばBメロ)のところからいきなりぐっとテンポを落とし、メロディーをじっくりと歌い上げます。そして練習番号2で主要主題のAメロが再び出るところからはまた速いテンポに戻ります。こういう具合に、基本テンポはかなり速めに設定され、ところどころに出てくる主要主題のBメロの部分で、ものすごく遅く粘って歌う箇所が挿入されるのでした。練習番号でいうと、たとえば上述の1とか、9とかです。他の、オーボエで始まるやや憂いを帯びた副主題の部分は基本テンポのまま速いし、ところどころに出てくるホルンの強奏部分は、激しいアッチェレランドがかかります。唯一、Bメロ関連部分だけが遅いのです。このテンポの対比はかなり極端です。この対比は、音楽が進むにつれても変わらず、むしろますます顕著になっていくようです。たとえば練習番号11のフルート、クラリネット、オーボエの3人のユニゾン(Aメロ)は速いです。また練習番号26~27の金管コラール(Aメロ)も速い。しかしそれに続く練習番号28から(Bメロ)は極端に遅く、じっくりと歌われます。ここまでテンポ変化が大きいと、悠々とした音楽の流れがさえぎられてしまうように、僕には感じられます。あまり音楽に入り込めないでいるうちに、音楽が終わってしまいました。それでも今日の聴衆は素晴らしく、大植さんのタクトが上がっている間は誰も拍手せず、完全な沈黙がホール内を支配しました。これはなんとも嬉しいことです。大植さんと大フィルがかつて積み重ねた黄金の日々を称え、感謝する聴衆の敬意が根底にあるからこそ実現した静寂だと思います。(ちなみに2012年の兵庫公演のときにはこのような静寂はなく、すぐに拍手やブラボーが始まってしまいました。)拍手が続き、途中で出てきたのは、小さなポストホルンを持った秋月さんでした。過去の3番のポストホルンは、2005年は秋月さん、2012年は篠崎さん、そして今回は秋月さんと交代で吹いてきたことになります。秋月さんの安定した実力が健在でうれしく思いました。(帰りがけにホールの入り口に立たれていた秋月さんに使用楽器をお尋ねしたら、ヤマハのポストホルンということでした。秋月さんありがとうございました。)それから健在と言えば、2005年のこの曲のクラリネットが素晴らしかったことを覚えています、そのとき吹いていたのが確か金井信之さんと記憶しています。今回も、金井さんが味のあるクラリネットを吹いていて、健在ぶりが嬉しかったです。しかし全体として、拍手を浴びるオケの皆様の表情は、非常に硬いです。特にコンマス田野倉さんの表情は硬く、凍り付いたようです。今夜の出来に自ら強い不満を抱えていたのではないかと思います。大植さんはそれを察してか、最後に去るときに、自分の胸ポケットの赤いハンカチを出して、田野倉さんの胸ポケットの赤いハンカチと、無理やり交換しました!エール交換という意味をこめたのでしょうか。思わず田野倉さんの表情にもかすかな笑みが浮かびました。今夜の演奏は、オケ全体としてのまとまりの悪さと、大植さんのユニークすぎるテンポ変化が、僕の中で負のスパイラルを生じてしまい、正直、残念な結果でした。明日の演奏はどうなるのだろうか、ここからリカバリーできるのだろうか、そんな不安というか、悲しみに似た想いを抱いてしまった初日でした。