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カテゴリ:歴史コミュ ~奈良時代
天智天皇が何故、近江に遷都したか?
これは白村江の敗戦への反発で飛鳥京に入れなかったからとか、攻めてくるかもしれない唐や新羅への防御に近江の地が適してたとか言われていますが経済的にも、武力的にも基盤がないところにただ、防御に優れているからという理由だけで遷都できるわけないですよね? これを解く鍵は先日「大兄」のことで話題にした「押坂彦人大兄」に関連してきます。 押坂彦人大兄は敏達天皇の皇后である広姫(推古天皇の前に皇后だった人です)の子供です。 もし、広姫が生きていたなら当然大王を継承していました。 では、広姫って誰?と言うと息長真手王の娘(広姫は息長家に養子に入った継体天皇の皇子「阿豆王」の娘?の説もあります)です。 この息長氏と言うのは大切な武器である鉄を握っていた?と言われています。 藤原氏が蘇我氏のマネをして皇后を送り込むことで政治の実権を握っていましたがその蘇我氏の前に大王家の皇后を送り出し実権を握っていたのがこの息長氏です。 たぶん古代においては鉄を制することが権力を握ることだったんですよね。 この息長氏の本拠地が近江で、広姫の子供の押坂彦人大兄の血を引く天智天皇が近江に遷都したのはとても興味深いことです。 最初に触れたような理由もあるとは思いますが息長氏本拠地と言う下地があっての遷都かな?と思ったりします。 ただこう書いてて自分自身心もとないのが近江京は大津、息長氏山津照神社は米原で琵琶湖を挟んでいるんですよね。 この距離がどういうことなのかまだ考えに至っていません。 そしてこの息長氏は押坂彦人大兄の子孫が以降皇位を継承しているのにも関わらず押坂彦人大兄同様消えてしまっています。 藤原氏にとって変わられたということなのでしょうが理由はわかりません。 秦氏と並んで謎が多い息長氏、こんな本があるよ、とかこんな説があるよ、とか古代において「鉄」がどんなキーワードを持っているのか、とかぜひ教えて下さい。 ☆ここでティータイム☆ 今日はちょっと記念すべき日! この記事は私にとって500本目になりますヾ(@^▽^@)ノ ワーイ 歴史関係のことを書いていろいろな方に教えてもらいたい!と思って始めたこのblogが500本目の記事!!! 自己満足ですがとーっても嬉しいです。 開設から526日、私の場合1日1本しか書かないので26日サボった勘定になりますね(^▽^;) 旅行の時もあるし、決算期は更新できなかったりで自分なりにはそれなりの数字だと思っています。 (記入率100%なんて尊敬します♪) いつもゴチャゴチャでまとまりがないし、ボケて変なことを書いたりしますがこれからもぜひよろしゅうお頼み申し上げます。 よ(^○^)ろ(^○^)し(^ー^)く(^○^)ぺこm(_ _)m ワールドカップ 今日から3試合目、決勝トーナメントをかけた試合になりますので同組のカードが同じ時間に行われます。 11時からと4時からの試合ですね。(日本はF組なので4時、、早く起きなくちゃ!) 今日はA組とB組ですがA組はエクアドルとドイツが、B組はイングランドが既にトーナメント進出を決めています。 残るB組最後の枠はスウェーデンが有利でしょうか? リーグの順位が決勝トーナメントの組み合わせを決めるので駆け引きもあり面白いところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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