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カテゴリ:格闘技映画
テレビの夜明け、それは街頭テレビによる 力道山のプロレス実況中継から始まった。 戦後、GHQ統制下も時代 アメリカ人に頭が上がらない日本人だったが 力道山はプロレスを通じて外国人を 必殺!空手チョップで倒し 国民は力道山の凄さに心酔した。 そんな時代だった日本プロレス界に初来日したのが 「ココバット」と呼ばれる頭突きで力道山を苦しめた ボボ・ブラジルであった。 テレビが普及していない1957年、 お茶の間で見るのが困難だった力道山の試合を スクリーンにて実況上映したのが 大映公開の「頭突と空手チョップ!! 力道山対黒人ブラジルの血戦」である。 真夏の東京体育館は1万人の超満員。 メインイベントは力道山vsブラジルの シングルマッチ戦 これは明らかに若さと力を持て余した 初来日のブラジルは飛行機に弱く 日本に到着するまで乗り物酔いが酷い所為か 力道山の試合運びと噛み合わなくて混乱。 1本目、2本目共にリングから降りてしまい 試合放棄負けとなるハプニング。 続く力道山vsブラジル第2試合目は 同じく東京体育館での連戦。 メインはタッグマッチ 力道山&豊登vsブラジル&ロード・レイトン だが試合はあっけなく力道山組の勝利で終り ボボ・ブラジルの日本における評価は ブルファイター止まりであった。 この映画はテレビ同様、実況中継で綴っており 丁度この頃、日本テレビが毎週土曜日の夕方に プロレスの普及を図る目的の定期番組 「プロレス・ファイトメン・アワー」を開始していた。 また黒い魔神:ボボ・ブラジルは 1966年にバディ・キラー・オースチンを破り WWA世界王座を獲得。 1968年6月の来日では防衛記録を積み重ねていた ジャイアント馬場を破りインターナショナル王座を獲得。 直後に行われた再戦で馬場の必殺技 「32文ロケット砲」三連発に沈み タイトルを奪回された。 1972年12月に空位となっていたインター王座を 「頭突き世界一決定戦」と呼ばれた 大木金太郎戦で勝利し再び獲得しました。 大の飛行機嫌いで有名で、ジャイアント馬場の 5000試合達成記念試合のスペシャルゲストとして ブラジルを招こうとしたが 飛行機の件であっさり却下された。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 【フィギュア】レア品■力道山 タオル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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